恒例の歌会始めの日でした。初めてテレビに録画してみたのですが
皇族方が居並ぶ所に一般の人が姿勢をただして座っている風景は
緊張感あふれつつ、雅な光景だと思いました。
今年のお題は「生」です。
皇太子妃は「体調に配慮して」欠席でした。
今年の一般の方々の歌で、とにかくすごいなと思ったのがこの一句。
福岡県出身の北川光君14歳の作品
熱線の人がたの影 くっきりと 生きてる僕の影だけ動く
修学旅行で広島に行った時に見た原爆でくっきりとついた人の影
をみての思いだそうで。素晴らしい歌だなと思いました。
天皇陛下 御製
生きものの織りなして生くる様見つつ
皇居に住みて十五年経ぬ
普通に読めば赤坂御所から今の皇居に移り住んで15年の間
様々な生き物の生きざまを見てきた・・・という意味だと思うのですが
意味深に感じるのは私だけでしょうか?
皇太子夫妻が結婚して15年。ちょっと背筋が寒くなりますね。
皇后陛下御歌
生命あるもののかなしさ早春の光のなかに
揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ
揺り蚊というのはボウフラのような池などにいる蚊でふ化してから
1日2日で死んでしまうもの。まだ寒い光の中に生まれた揺り蚊は
あっという間に死んでしまう。命あるものの悲しさ、短いだけにいとしさを
感じるとでもいう意味でしょうか?
これまたちょっと意味深で・・・はたしてこの「揺り蚊」とは誰の事?
季節はずれで勘違いして出てきた蚊とは?
皇太子殿下
水もなきアラビアの砂漠に生え出でし
草花の生命たくましきかな
最初「は?アラビア?去年行ったのはブラジル・スペインじゃなかった?」
と思ったのですが、どうやら1994年に雅子妃と訪問したサウジアラビア
を歌ったものらしいです。陛下は15年間を詠み、東宮は15年前を詠む。
あの頃に帰りたいとでもいうのでしょうか?
「草花」を「そうか」と読んじゃうと意味が違うそうです
皇太子妃殿下
制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり
妃殿下の歌は段々劣化しているようで、適当に作りました感が
ありありで不愉快にすらなります。「赤」「吾子」は外せないのね。
妃殿下はその昔「知恵遅き子」と詠んで「差別用語では?」と注意された
のを恨んで以後、娘の歌しか詠まなくなったのだそうです。
この先もずーーーっと「吾子」の成長だけを詠むのでしょうか?
秋篠宮文仁親王殿下
大空に放たれし朱鷺新たなる生活求(と)めて
野へと飛びゆく
去年、朱鷺の放鳥をした時のお歌ですね。新しい生活を求めて
野へ飛び立つ朱鷺・・・・秋篠宮殿下の立ち姿があまりにかっこよくて
見惚れてしまいましたが、歌も雄大で公務先の事を考えていますね。
大空へ放たれるのは一体誰?
紀子妃殿下
地震(ない)うけし地域の人らの支へあひ
生きる姿に励まされたり
これは去年、岩手の地震のお見舞いをした時のお歌ですね。
目がちゃんと国民に向いています。
常陸宮正仁親王殿下
あかとんぼ生受けし池に戻り来ぬ
木々もみぢする秋晴れの日に
あかとんぼが秋に生まれた池に戻ってきた・・・という何気ない
歌なのですが、秋の日に池に戻る赤とんぼ・・・あるべき所に人が戻る
という意味なのでは?ともとれて・・・
華子妃殿下
生命(いのち)とは人の道なりと医師はいふ
触診をする眼きびしく
これは乳がん検診の事を歌った歌だそうですが、医師の目が厳しく
「命とは人の道ですよ」とおっしゃる。どこぞの夫妻が健康診断を
ないがしろにしてご両親を心配させましたねーーっていう風に感じました。
来年のお題は「光」だそうです
もう今回の歌は歌っていうより小学生レベルの作文のようなものですよね。
いい加減にしろって感じで。
つくづく私も呆れました。
雅子妃殿下の歌って、
「いつも自分の子供だけね」
ってちょっと呆れ気味だったのですが・・・
↑のような理由があったのですか?
それにしても・・・
あ~~これ以上は