予定通り、皇太子妃は歌会始めに出席せず。
堂々と風邪と言えるその瞳(め)には 我こそ妃の光宿たり
いつからか母宮と呼ぶ白樺の 老いたる皮の焼ける光に
これからの未来に敵なし光あり 妃の宮を母宮と呼ぶ
(BYふぶき)
御製
贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に
「はるかのひまわり」の種を贈られてそれが花をつけて・・・という阪神大震災を歌ったものです。深読みすれば自分達がやって来た事が一定の成果を上げたともとれる歌です。
御歌
今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく
御所の庭にはバラ園があり、それが一輪づつ美しい花を咲かせている今、もう少し生きてみようと思った・・・とちょっと気弱にも思える歌ですが、実は上皇后になるから全てから身を引くのではなく、もう少し自分の活躍の場所を残してほしいという歌にも思えます。
この歌を聞いて、「そんな寂しいことをおっしゃらずいつまでもお元気で長生きして頂きたい」と思う人もいるんだろうなと思います。
皇太子殿下
雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に
昔の登山を歌っているんですが私にはどうしても「僕は今年天皇になります」宣言にしか聞こえないのです。よくもまあこんなにあからさまに・・・金峰だって。頂上だ!「お気持ち」次第で何でも出来る!やった!て感じ?
皇太子妃殿下
大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に
両陛下が長い間過ごされた東宮御所には白樺の木立があり、25年以上、使わせて頂いてありがとうございます・・・の歌ですが、聞いた瞬間耳を疑ってしまいました。最初「母宮」しか聞こえなかったので「え?小和田優美子?」って思ったんです。そしたら天皇と皇后のこととわかり。しかもゴマすり度が半端ない。
これは絶対に皇太子妃作じゃないでしょう。歌の中に「大君」「母宮」「白樺」こんな言葉を織り込む才能はないと見てます。
しかし、「大君」=天皇 だけど「母宮」と書くと天皇の母、つまり香淳皇后のことに聞こえてしまうのです。なぜ「父宮」「母宮」ではなく「母宮」だけだったのか。まさにこれからも私の味方をよろしくねーーって感じです。
秋篠宮殿下
山腹の洞穴深く父宮が指したる先に光苔見つ
登山のおり、天皇が指さした先に本当に光る苔があって驚いた歌。情景が目に浮かびますが、秋篠宮殿下は天皇の指さす道をひたすら従順に歩いて来たともととれるのです。
秋篠宮妃殿下
日の入らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラッシュ)と知る父島の浜に
悠仁殿下と共に父島へ行った時に「グリーンフラッシュ」という情景と言葉を教わったという歌ですが、紀子様はひたすら現実的に今を見てまっすぐ進まれているという印象です。今までは夫婦で対になる歌が多かったんですが、今回は全く別な方角を見ています。
眞子内親王
日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人語る
ブラジル訪問の歌でしょうけど、どこか苦肉の策で作ったような印象。
佳子内親王
訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空
こちらも同じ苦肉の策で留学時代に見た景色を歌っています。
とにかく皇太子夫妻の歌の気持ち悪さには辟易しました。
ここまでやるかーーって感じで。無論、皇后陛下の控えめな自己主張も全然理解出来ませんけどね。
平成22年「光」
御製
木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり
御歌
君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし
皇太子殿下
雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり
皇太子妃殿下
池の面に立つさざ波は冬の日の光をうけて明かくきらめく
秋篠宮殿下
イグアスの蛍は数多光りつつ散り交ふ影は星の如くに
紀子妃殿下
早春の光さやけく木々の間に咲きそめにけるかたかごの花
皇太子は登山の歌。皇太子妃は平成22年に比べて上達したと言えるんでしょうか?別人のような作でしょう?「あかく」という言葉を夫妻が使っていて、何となく縁起が悪いと思った人もいたようです。
昭和35年(1960年)「光」
御製(昭和天皇)
さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞ我がねがひなる
太陽の光は分け隔てなく世を照らす。それが私の願い。今上の平成22年は落ち葉だらけの小道の真ん中で青々とした草を見た・・・「草青」は悠仁殿下の事ではないかと言われたこともありますが、とにかく今上に昭和天皇の気概はないようで。
御歌(香淳皇后)
あたらしき力わきくる心地して朝日の光あふぎみるかな
朝日の光を浴びると新しい力が湧いて来る感じがする。まさに高度経済成長の時代にふさわしい明るい歌ですね。「朝日」が生まれ来る皇子を指していれば、きっと昭和天皇も香淳皇后も「東宮ちゃんには男子が生まれるね」とほのぼのおっしゃっていたかもしれません。
美智子皇后の場合、結婚50年を記念しての歌で寄り添うと言ってしまえばそれまでですが、このころからやたらべったりしていたかも・・・って思います。
皇太子殿下(今上)
昼ふかき光降りしく楢林落葉の上は日のはだれなり
今上は落ち葉が好きかしら?でも平成22年の歌とどこか似ているような?今年の歌が一番のびやかですね。
皇太子妃殿下(皇后)
光たらふ春を心に持ちてよりいのちふふめる土になじみ来
生まれてくる子供を待ちわびる歌です。本当に浩宮は生まれる前から美智子皇后にとって歌の題材にされていたんですね。
さて、来年のお題は未定。こういうことは今までなかったと思います。歌会なしになる日も近い?
紀子様が悠仁殿下といかれた父島を歌ったのには、紀子様なりの意地を感じました。中継を観ましたが長々~アクビが出ました。失礼ながら歌の出来もあまり~
あの場は独特ですね。次々に発表して、短縮すればいいのに。
美智子さま、連日のお出かけで御所のお庭など見向きもなさってないのかと。
マサ子さま、欠席のくせに狡猾な御歌をよんだものです。
何だかもうため息しか出てこないです。
宮中の あまたの行事に 体調の
いつととのふと 人のいふらむ
体調は スキー静養ぞ 整わん 光浴びつつ 描くシュプール
ふぶきさまの 真似しました。駄作でお恥ずかしい
11年前 という大傑作のあるまた子さま 今回の母宮、白樺の歌は、またまた傑作ではありませんか
もっとも,11年前の歌は、自作間違いないものの、今回はどうなんだか
かったるい伝統行事は、廃止されるかも 何しろ母宮様が 伝統は人を苦しめると宣ったのですから
昭和の頃の清められたような空気感は薄くなりましたが、それでも古代から息するように歌を詠み交わして来た日本人の心と伝統を伝えるものとして後世に長く伝えていただきたいです。
講書始も日本人が大切にしてきた「学ぶ」心を内外に伝えるものとして続けていただきたいです。
今年の講書始の講師と内容の豪華なことといったら!!贅沢ですよね。聴講できるのなら聴講したい。と思う者もたくさんいたでしょう。
天皇が関わる儀式は全て「世界遺産」に登録されてもいいくらいだと思っています。
講書始も歌会始も形さえ残しておけば、後世、その形に命を吹き込むこともできますから。
歌を味わう。
今上の今年の歌は天皇らしい伸びやかさがあってなかなかのものですが、ふぶき様のおっしゃる通り、密かな自負も感じられますね。
昭和天皇には及びませんが、天皇としての気概も少しは持たれていたように感じています。ただ、美智子様に舵を取られて、その気概が変な方向へ向いてしまったと。
次代には気概の片鱗も無い。やれやれ。
雅子様の歌は「代作」でしょう。
偉い人の歌を側の者が代作するのも伝統の習わしですから。
プレバトで夏井いつき先生が箸にも棒にもかからない句を一つ二つの言葉を残して、鮮やかに作り替えていますが、あれを「指導」と言うのも斯界の伝統。先生が手直しした歌を「○○先生の指導を受けて詠みました。」と、発表するのは可なのですよね。
雅子様の歌は、代作でなければ「指導」を受けられたのでしょう。師は美智子様?
秋篠宮妃殿下の 緑閃光は、一群の中でも
光を放っています❗
皇太子妃殿下の 御園生は、コトバンクで調べて
しまいましたが、万葉集にも出てきて、強力な助っ人の影を感じさせます。
タイトルは、バーブ佐竹の 女心のうた から替え歌ですが
「ーー騙し続けて 欲しかった」と有りました。
りりい には「だって それはウソでしょう」と有り。
※「ウソだと 言ってよ❗」これは メジャーリーグで
大スターが八百長?で去って行く時、少年が叫んだ
言葉です。
皇室関係の色々な話題?で 同じように 叫びたい
気持ちの人も居られるでしょう。
※次の御代の到来も近くなりましたが
皇室には、過剰な期待を抱かず、やり過ごした方が
精神的にも 良いのかなと思うこの頃です。
御製に誘われて、思わず歌を詠みたくなるのは、ほら、皆さんが古代から息をするように歌を詠み交わしてきた祖先の子孫、すなわち日本人だからでしょう。笑。
皇后陛下の御歌に私も・・・。
御仏は ありがたしかな 耶蘇の御園に 寂光のひかり 照らし給わりて
寂聴さんが御自分の庵を「寂光院」と名付けられように、寂光、て仏教用語なのですわね。
寂光:仏語。
1 安らかで、静かな光。真理の寂静とその智慧の働きとしての光照。理・智の二徳を表す。
2 「寂光土」の略。
(デジタル大辞林)
キリスト教に帰依されていられるらしい美智子様の口から寂光という言葉が出るとは、なんか、違和感ですが。
寂光院は同じ京都でも大原にある尼寺で哀れ深い「大原御幸」の舞台でした。
大失敗。m(_ _)m
センチュリー改造車と発表されました。
次の次の お方の時にも多分 この車が 使用されるでしょう。
この時は、是非パレードを見に行ってみたいです❗
2つの本物の駄作 で終わります。
パレードに 物見遊山の お上りさん
行かずとも 我も お上り 何かアル
君は コクリコ しもうさ の野に
(次の次の お方の時は 見に行ってみたい❗)
が、読ませていただくうちに、ふぶきさんのお人柄にどんどん惹かれてきて、それにつれて宝塚も好きになってきました。
恩讐の彼方の義母、遠方住みの義妹さんへの愛憎も、おかげで薄らいだ気がいたします。ありがとうございます。(こんなコメ、ご迷惑かも。すみません)