そのためだけに会社に出ています(笑)。
というわけで、ネット巡回でヒマつぶしてたらこれがおもしろかったです。
物語における三角関係というのは、
明らかな予定調和が予期される(=本命とアテウマがはっきりしている)場合、
もしくは延々だらだらと続いて終わりが来ない状態にある
(=物語がハーレム型で、誰が本命かは読み手によって変わる)ときに楽しめるのであって、
「予定調和ではない結末を主人公自ら導かなければならない」三角関係は
見ていて痛々しいのだということが改めてわかりました。
君のぞの場合は、遙と水月のどちらかがプレイヤーにとっての本命である場合、
本命キャラを選ぶエンドはその人にとって予定調和のストーリーになります。
だから、ドロドロした話が苦手な人でも、
「やがて予定調和が訪れる三角関係の話」という読み方をすれば安心して楽しめます。
そういう人こそが茜ルートの最後の選択肢にハメられるような気がするんですが。
一方で、予定調和のまわりくどさが嫌いな人には耐えられないだろうとも思ってみたり。
スクールランブルはどうかと考えてみると、
終わりが来ることは示唆されているのですが、
(ときメモとかの期間制限付きギャルゲーに似てると思いました)
何が予定調和なのかはさっぱり読めません。
その「読めなさ」っぷりが人気のもととなり、カップリング派閥を生んでいるのでしょうけど。
そして、いかにして作者が美しい(望ましいとは限らないが)結末に導くかという
手法に興味が注がれている状態だと思います。
カップリングといえば、今の最大派閥は「播磨×沢近」か「播磨×八雲」なんでしょうけど、
どちらのエンドを望むかについて、
「好きな子には幸せになってほしいんだよ……」
「彼女は俺のものだから、残ったほうとくっついてくれ」
の2通りがあるのがちょっと可笑しいです。
ちなみに、私は前者の理論で八雲派です。
問題は、私がひいきするほうはだいたい「負ける」ということなんですが(何)。
さて、荷物も来たのでそろそろ帰りますよ(笑)。
というわけで、ネット巡回でヒマつぶしてたらこれがおもしろかったです。
物語における三角関係というのは、
明らかな予定調和が予期される(=本命とアテウマがはっきりしている)場合、
もしくは延々だらだらと続いて終わりが来ない状態にある
(=物語がハーレム型で、誰が本命かは読み手によって変わる)ときに楽しめるのであって、
「予定調和ではない結末を主人公自ら導かなければならない」三角関係は
見ていて痛々しいのだということが改めてわかりました。
君のぞの場合は、遙と水月のどちらかがプレイヤーにとっての本命である場合、
本命キャラを選ぶエンドはその人にとって予定調和のストーリーになります。
だから、ドロドロした話が苦手な人でも、
「やがて予定調和が訪れる三角関係の話」という読み方をすれば安心して楽しめます。
そういう人こそが茜ルートの最後の選択肢にハメられるような気がするんですが。
一方で、予定調和のまわりくどさが嫌いな人には耐えられないだろうとも思ってみたり。
スクールランブルはどうかと考えてみると、
終わりが来ることは示唆されているのですが、
(ときメモとかの期間制限付きギャルゲーに似てると思いました)
何が予定調和なのかはさっぱり読めません。
その「読めなさ」っぷりが人気のもととなり、カップリング派閥を生んでいるのでしょうけど。
そして、いかにして作者が美しい(望ましいとは限らないが)結末に導くかという
手法に興味が注がれている状態だと思います。
カップリングといえば、今の最大派閥は「播磨×沢近」か「播磨×八雲」なんでしょうけど、
どちらのエンドを望むかについて、
「好きな子には幸せになってほしいんだよ……」
「彼女は俺のものだから、残ったほうとくっついてくれ」
の2通りがあるのがちょっと可笑しいです。
ちなみに、私は前者の理論で八雲派です。
問題は、私がひいきするほうはだいたい「負ける」ということなんですが(何)。
さて、荷物も来たのでそろそろ帰りますよ(笑)。
君とは萌えキャラはかぶるんだけど、
萌える方向性がなんか違うね。