パチンコの情報雑誌を読んでたら、桃太郎電鉄のさくまあきらさんと土居孝幸さんへのインタビュー記事が載ってまして、そこで「最高のテストプレイヤー」の話が紹介されてました。
何でも、その人は「彼の意見が日本の大多数のそれと一致する」ということで、キングボンビーに対してどういうリアクションをするかを確認するために、わざわざ彼にとりついているときにキングボンビーに変化するように仕込んでたそうです。
で、そのときの様子を見て「いける!」と判断したとか。
まあ、そこまでいかなくても、私の身のまわりにも「こいつの感じ方は世間一般の平均に近い」と思える人物がいます。本人は自分のことだとわかっているでしょう。
彼いわく、「俺が気に入ったマンガとかって、だいたい巻数がのびて困る」とのことなんですが、それはその作品をみんなが面白いと判断しているからであって、ようはものを見る目があるってことですわね。
だから、彼が言う「最近、これが面白いと思った」というネタにはハズレが極めて少ないです。
逆に、世間一般と感覚をすり合わせる気がなくて、自分の当たり判定に入ってこないものは最初から評価しない人もいますね。
そういう人は、狭くて深いものの見方をするので、たまにものすごい傑作を拾い上げてくれることがあります。
バッターでいうと、三振かホームランかどっちかの宝くじなんだけど(笑)。
何でも、その人は「彼の意見が日本の大多数のそれと一致する」ということで、キングボンビーに対してどういうリアクションをするかを確認するために、わざわざ彼にとりついているときにキングボンビーに変化するように仕込んでたそうです。
で、そのときの様子を見て「いける!」と判断したとか。
まあ、そこまでいかなくても、私の身のまわりにも「こいつの感じ方は世間一般の平均に近い」と思える人物がいます。本人は自分のことだとわかっているでしょう。
彼いわく、「俺が気に入ったマンガとかって、だいたい巻数がのびて困る」とのことなんですが、それはその作品をみんなが面白いと判断しているからであって、ようはものを見る目があるってことですわね。
だから、彼が言う「最近、これが面白いと思った」というネタにはハズレが極めて少ないです。
逆に、世間一般と感覚をすり合わせる気がなくて、自分の当たり判定に入ってこないものは最初から評価しない人もいますね。
そういう人は、狭くて深いものの見方をするので、たまにものすごい傑作を拾い上げてくれることがあります。
バッターでいうと、三振かホームランかどっちかの宝くじなんだけど(笑)。
「自分が好きじゃやないから、評価できないのでしない」というのがあるね。
前者と後者じゃえらい違いだけど。
ネットとかで、他者の評価を見られる機会が増えてつくづく思うのは、
主観的評価してるのに、自分では客観的評価だと思ってる人の多さだなあ。
で、後者にあてはまる人は自分の物差しではかれないものを一段下に見る傾向があるかもしれないと思っている。
本人が客観的と考えてる評価っていうのは、自分の中ではその評価にたどりついた流れが出来上がってるってことなんだと思う。
「直感的=主観的」「理論的=客観的」という感覚でさ。
問題は、ハタから見るとその理論に破綻が見えるときだな。