え~、お(ryから借りていた「SHUFFLE!」を完走しました。
というわけで、感想を書きましょう(はいはいシャレですよ~)。
エンディングについては、亜沙先輩エンドというのは妥当な流れだったと思います。
ちゃんと伏線はって、楓がヤンデレる可能性を示唆しつつ、稟の気持ちは亜沙先輩で固定されていましたから。
楓空鍋から、楓ルートに乗り換わってたら、正直がっかりしてたでしょうね。
……ただ、あの展開なら楓が稟との決別を選択できた21話をクライマックスにして、22話で亜沙先輩とのハッピーエンドでよかったと思います。
だって、亜沙先輩のラストエピソードより、楓のエピソードのほうが圧倒的に印象強かったもん!
楓が抱えていた「私は稟くんのお世話をするけど、それはただの贖罪で、愛される資格はない。でも、本当は自分を救ってくれた稟くんに愛されたい」という葛藤はすごく胸に響くものがありました。
そして、そんな楓が何とかして救われることを願いました。
一方で、亜沙先輩が魔法を使いたくないと思った理由にはさっぱりついていけませんでした。
「自分が人間の子であることを示すために、自分は魔法を使えない」と亜沙先輩は言ってましたが、
それはお母さんが魔族であることを受け入れようとしていないということじゃないですか。
お母さんにひどいことを言ったと思ったのなら、
魔族であるお母さんの血を引いている証明である魔法を使うことをためらう理由などないと私は思います。
このへんのちぐはぐさが、「SHUFFLE!」といえば「空鍋」という印象を与えている原因でしょう。
稟については、困っている人を放ってはおけないということになっていましたが、
厳密には「自分のせいで」というただしが必要かとも思いました。
19話以降の、楓に対するスルーっぷりはひどすぎ。
楓に「何かおかしいぞ」とは言ってましたが、原因が自分にあると気づくまでは、改善するそぶりも見せませんでした。
よくある話で「恋人とのデートと、友達のピンチ。あなたならどちらを優先する?」という問いがありますが、
堂々と前者を選んでいたのがあのときの稟に思えましたね。
稟は、亜沙先輩とかプリムラとか、特定の人物がからむと視野が狭くなりすぎです。
23話で、亜沙先輩の病状に戸惑っている医者に対して食って掛かったのも、
恋人のことを思う気持ちではなく、恋人のことしか考えてない気持ちを感じてしまいました。
というわけで、この作品の主人公に対する評価は低め。
DCSSの純一レベルかな。君のぞの孝之ちゃんよりは下。スクイズの誠は比較対象外。
全体の構成から感じた主張は、
「ハーレムエンドなんてよくない。愛する女性はひとりにしぼって、残りの女性とはきっちり別れるべきだ」
というもの。「男のけじめ」ってやつですね、きっと。
ただね、こういうときの「愛する」っていうのは、「甘える」っていう意味に近いんですよ。
稟が、亜沙先輩を選んだ理由を説明するときに、楓にこんなことを言ってました。
「俺が一番必要としている人は誰なのか。今一番そばにいてほしいと思っている人は誰なのか」
これって、稟の側が一方的に求めているだけで、誰の求めに応えたいかという視点が欠けていますよね。
あそこでは、せめて「今一番そばに『いたい』と思っている人」と言ってもらいたかったです。
で、主人公を好きな女の子がいっぱい現れて、最終的に誰も選ばないままあいまいに終わる展開を「ハーレムエンド展開」と言ったりしますが、
これについては、すべてがすべてそうとは言えないと思っています。
中には「家族エンド展開」と呼ぶべきものがあるのですよ。
例としては「天地無用」「ああっ女神さまっ」あたり。
近年は、明確に家族エンド展開を目指していることを示すために、
男性の存在をスポイルしている作品が多いですが、
「乙女はお姉さまに恋してる」のアニメ版は、
男性を女性化することによって家族エンドを達成できた例に入れてよいかと思います。
「SHUFFLE!」も、序盤のスラップスティックラブコメディの段階では、この家族エンドを期待していた層がいたと思うのです。
たとえば「シアは妹的ポジションで~、お姉さんは亜沙先輩で~、本妻は楓なんだけど~、ここはネリネと流動的に入れ替わって~。ああ、プリムラは娘ね」みたいな。
人によって、ポジションは微妙に変わったりしますけど。
そして、家族ならやさしくして当然なので、
主人公が八方美人的にふるまっても、別に問題になりません。
この作品でも、稟が亜沙先輩と付き合うのはいいとして、
楓に対しては家族のように心を配ってほしかったです。
それができなかったから、稟がプリムラのことを「家族」と言って連れ戻してきたのも台無しになってしまってます。
んー、なんか稟に対する注文ばっかりになってますね。
幼少時の楓を救ったところはかっこよかったんですけど、
全体的に甘えたがりで、自分の責任がからまないと動かないわりに、自分に責任があると思うとまわりを省みずに突っ走るあたりが気に入らなかった感じです。
なんていうか、男の独善性のイヤなところを見せられたというのかな。
というわけで、感想を書きましょう(はいはいシャレですよ~)。
エンディングについては、亜沙先輩エンドというのは妥当な流れだったと思います。
ちゃんと伏線はって、楓がヤンデレる可能性を示唆しつつ、稟の気持ちは亜沙先輩で固定されていましたから。
楓空鍋から、楓ルートに乗り換わってたら、正直がっかりしてたでしょうね。
……ただ、あの展開なら楓が稟との決別を選択できた21話をクライマックスにして、22話で亜沙先輩とのハッピーエンドでよかったと思います。
だって、亜沙先輩のラストエピソードより、楓のエピソードのほうが圧倒的に印象強かったもん!
楓が抱えていた「私は稟くんのお世話をするけど、それはただの贖罪で、愛される資格はない。でも、本当は自分を救ってくれた稟くんに愛されたい」という葛藤はすごく胸に響くものがありました。
そして、そんな楓が何とかして救われることを願いました。
一方で、亜沙先輩が魔法を使いたくないと思った理由にはさっぱりついていけませんでした。
「自分が人間の子であることを示すために、自分は魔法を使えない」と亜沙先輩は言ってましたが、
それはお母さんが魔族であることを受け入れようとしていないということじゃないですか。
お母さんにひどいことを言ったと思ったのなら、
魔族であるお母さんの血を引いている証明である魔法を使うことをためらう理由などないと私は思います。
このへんのちぐはぐさが、「SHUFFLE!」といえば「空鍋」という印象を与えている原因でしょう。
稟については、困っている人を放ってはおけないということになっていましたが、
厳密には「自分のせいで」というただしが必要かとも思いました。
19話以降の、楓に対するスルーっぷりはひどすぎ。
楓に「何かおかしいぞ」とは言ってましたが、原因が自分にあると気づくまでは、改善するそぶりも見せませんでした。
よくある話で「恋人とのデートと、友達のピンチ。あなたならどちらを優先する?」という問いがありますが、
堂々と前者を選んでいたのがあのときの稟に思えましたね。
稟は、亜沙先輩とかプリムラとか、特定の人物がからむと視野が狭くなりすぎです。
23話で、亜沙先輩の病状に戸惑っている医者に対して食って掛かったのも、
恋人のことを思う気持ちではなく、恋人のことしか考えてない気持ちを感じてしまいました。
というわけで、この作品の主人公に対する評価は低め。
DCSSの純一レベルかな。君のぞの孝之ちゃんよりは下。スクイズの誠は比較対象外。
全体の構成から感じた主張は、
「ハーレムエンドなんてよくない。愛する女性はひとりにしぼって、残りの女性とはきっちり別れるべきだ」
というもの。「男のけじめ」ってやつですね、きっと。
ただね、こういうときの「愛する」っていうのは、「甘える」っていう意味に近いんですよ。
稟が、亜沙先輩を選んだ理由を説明するときに、楓にこんなことを言ってました。
「俺が一番必要としている人は誰なのか。今一番そばにいてほしいと思っている人は誰なのか」
これって、稟の側が一方的に求めているだけで、誰の求めに応えたいかという視点が欠けていますよね。
あそこでは、せめて「今一番そばに『いたい』と思っている人」と言ってもらいたかったです。
で、主人公を好きな女の子がいっぱい現れて、最終的に誰も選ばないままあいまいに終わる展開を「ハーレムエンド展開」と言ったりしますが、
これについては、すべてがすべてそうとは言えないと思っています。
中には「家族エンド展開」と呼ぶべきものがあるのですよ。
例としては「天地無用」「ああっ女神さまっ」あたり。
近年は、明確に家族エンド展開を目指していることを示すために、
男性の存在をスポイルしている作品が多いですが、
「乙女はお姉さまに恋してる」のアニメ版は、
男性を女性化することによって家族エンドを達成できた例に入れてよいかと思います。
「SHUFFLE!」も、序盤のスラップスティックラブコメディの段階では、この家族エンドを期待していた層がいたと思うのです。
たとえば「シアは妹的ポジションで~、お姉さんは亜沙先輩で~、本妻は楓なんだけど~、ここはネリネと流動的に入れ替わって~。ああ、プリムラは娘ね」みたいな。
人によって、ポジションは微妙に変わったりしますけど。
そして、家族ならやさしくして当然なので、
主人公が八方美人的にふるまっても、別に問題になりません。
この作品でも、稟が亜沙先輩と付き合うのはいいとして、
楓に対しては家族のように心を配ってほしかったです。
それができなかったから、稟がプリムラのことを「家族」と言って連れ戻してきたのも台無しになってしまってます。
んー、なんか稟に対する注文ばっかりになってますね。
幼少時の楓を救ったところはかっこよかったんですけど、
全体的に甘えたがりで、自分の責任がからまないと動かないわりに、自分に責任があると思うとまわりを省みずに突っ走るあたりが気に入らなかった感じです。
なんていうか、男の独善性のイヤなところを見せられたというのかな。
思うところが同じになるってことは、やっぱりそこが問題点だって事だろうね。
ホント、ギャルゲー原作のアニメの成否は主人公の性格によるということを実感した作品だった。
大抵、主人公の男がボロクソに言われてるんだよね。
なんだかんだ言っても、ギャルゲー主人公には、
理想を投影しがちだからかもしれないね。