伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

ピアノの大御所グレン・グールドで再考してみた、大好きなバッハによる表題「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」(BWV 988)をピアノ演奏で聴く。

2018年09月01日 | バロック音楽・オーディオ一般

筆者命名のAXIOM TANNOYのⅢLZの音量を少し大きめにして聴いた、でも話し声は聞ける程度のボリュームでピアノ曲も気持ちの良い低音が心地よく聴こえ此の程度の音量でも、なんと部屋に原寸のピアノように感じる音が響きわたるのは実に嬉しい。デジアンプも使い多種のアンプを交換し試した結果は、真空管アンプに落ち着き定番の300Bシングルで落ち着いた。

一般的にはタンノイと言えばガイ・R・ファウンテン氏が1953年に設計した堂々とした15吋ユニット使用、巧みな家具調のコーナー型バックロードホーンシステム最高級の「Autograph」が有名で、日本では小説家五味康祐氏も愛用し有名になったが、一般家庭での使用は部屋との関係もあり、相当大きな部屋を持たないと投入できなく難しい。その点AXIOM80の箱と10吋タンノイIIILZは普通の10畳程の居間程度で十分対応できる手軽に音楽を楽しめるのである。

筆者も正直10吋のIIILZ Monitor Goldのユニットのタンノイ製品は真空管との相性は実に優れている、石のアンプも色々試すが、英国のアンプとの相性は良かったが、弦楽器の演奏には具合が悪く、取り分け安価な300Bのパワーアンプとの塩梅がよかった。特にピアノの高音での輝きの音、筆者の好きなチェロの自然な低音の魅力的な音はタンノイ魅力を十二分に表現する。真空管アンプが届き視聴した瞬時に思うは、やはりこのアンプが正解だと納得してしまった。何やらホットしたり、おもわず遠回りしたと苦笑いの出来事でした。


西洋古典音楽の父=巨匠ともいわれるヨハン・セバスチアン・バッハ(1685~1750)には、W・シュミーダーのしらべた作品の数だけでも1080曲あり、その大半は、近世音楽発達の基となった偉大なものだが、よほどの人でないかぎり、専門の音楽家でさえそのすべてを知っているわけではない。

偉大な芸術家ほど、様式は変わっても作品の奥からきこえてくる声はつねに一つであり、生涯をかけて、その作家独自の声で(魂で)何かをもとめつづけ、描きつづけ、うたいつづけながら死んでいる。幾つかの作品に共通な、その独自の声を聴きとることができれば、一応、その作者、つまり彼の〈芸術〉を理解したといえるだろう。

バッハの作品の鍵盤楽器の曲は特に注目することは子供及び弟子達に多くのハープシコードの教育曲を生み出している。ゴルトベルク変奏曲(BWV 988)は、バッハが《クラヴィーア練習曲》と題し出版した完成度も高く、最後の傑作作品で、低音主題を優雅で技巧的な変奏で華やかに飾った大作である。

バロック時代に出版されたクラヴィーア曲集では最大の規模を誇り、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》が古典派を代表する変奏曲として広く認められているように、ゴルトベルク変奏曲はバロック音楽を総括する作品としてそびえている。勿論現在はピアノ演奏での演奏も多い。

しかし、練達した技巧を演奏者に要求する大曲の宿命か、生前未出版だった《平均律クラヴィーア曲集》以上に、あまり一般には知れ渡らなかった。

それでも当時すでにバッハの音楽を高く評価する専門家の間では、バロックを代表する変奏曲とみなされ、弟子のキルンベルガーが1774年に「最高の変奏」と評しているのを始め、フォルケルは1802年に書いた世界初の『バッハ伝』で「全ての変奏曲が模範とすべき作品」と称えた。

クラブサンclavecin(フランス語),クラビチェンバロ,チェンバロcembalo(イタリア語)ともいい、「チェンバロ」「クラビチェンバロ」「クラビア」「クラブサン」ともいう。鍵付きの弦楽器の一種。チェンバロ練習曲、2段の手鍵盤のチェンバロのためのアリアと様々の変奏曲からなる。

音楽愛好家の心の慰めのために、ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプツィヒ合唱音楽隊監督ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲。ニュルンベルクのバルタザル・シュミットより刊行。

バッハが出版した作品は全創作のほんの一握りに限られているが、それは楽譜の出版には、相当の財政的負担が伴ったし、多忙のバッハには時間的にもあまり余裕がなかったからである。

そういった状況の中でバッハは、《クラヴィーア練習曲》というものを出版してみようと企んだ。

やはり一人前の音楽家としての野心とプライドがあったのであろう。実際には、トーマス・カントルに就任した3年後の1726年から《パルティータ》を一曲づつ出版したのが発端であったが、曲集の規模と内容をよく観察すると、バッハはそのアイディアを彼の前任者、ヨハン・クーナウ(1660~1722)の作品《新クラヴィーア練習曲》(1689/1692年)に倣ったことがまず考えられる。

バッハはこのパルティータ全6曲を1731年にまとめて「作品1」とし、さらにシリーズを続けていく意志を表明した。その後、1735年には第2部、すなわちイタリア協奏曲とフランス風序曲が、1739年には第3部の通称「ドイツのオルガン・ミサ」が続いた。

ここまでは、約4年おきの刊行であったが、シリーズ最後となったゴールトベルク変奏曲が刊行されたのは、それから2年後であった。ここまでざっと15年の歳月が流れていた訳であるが、その間に出版された作品はい。

ここで目につく「練習曲」という言葉は、初心者用の指の練習という教育的な意味ではなく、多種類の鍵盤楽器のための様々な作曲様式による作品をひとまとめにするのに好都合な曲名であったのであろう。バッハは多種多様の曲を網羅すると同時に演奏技巧的にも高度なものを世に送り出した。

このことは、インヴェンションとシンフォニアや平均律クラヴィーア曲集の表題にある「若い音楽家の学習の手引き」云々というような記述が見られないことからも明らかなように、バッハはクラヴィーア練習曲を「音楽愛好家」へと絞ることにより、高い次元の音楽を描いていたのである。しかし結果的には、市場の中心である中流階級の愛好家には難しすぎたため、売れ残りが多く出たようだ。 

ここでバッハの名曲ゴールドベルク変奏曲についても触れておきたい。バッハ自身による表題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」ドイツ語でClavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualenが正式名称のようだがその後ゴールドベルク変奏曲が一般的になったようだ。

アリアと30の変奏曲から成り立つこの作品が出版されたのは17419月。ザクセン選帝侯宮廷に滞在していたロシア大使カイザーリンク伯爵から“眠れない夜に聴くための音楽”を所望されたのが、バッハが作曲するきっかけになったと伝えられている。なた多くの演奏者の演奏が聴けることもより馴染み深い。

そのときに演奏を行ったのがバッハの弟子のヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクであったことからゴールドベルク変奏曲の名で呼ばれるようになったというのが名前の由来。

そしてこの名曲をバッハの死後初めて弾いたのが、かのフランツ・リストだったというのも興味深い。バッハの死後160年後勿論ピアノ(チェンバロは当時は無かったと聞く)演奏を行った。

筆者がピアノ演奏で聴かなかった理由は、確かにバッハの時代にピアノは出来上がったいたそうですがバッハはあえて使用しなくチェンバロ、クラヴサンで演奏していた事が理由かもしれない?

又チェンバロの音色特に高音の澄んだ音色が頭に残りその音を思い描いた音と思っていたのかもしれないグレン・グールド ゴールドベルク変奏曲 聴き比べ 

本来はチェンバロのために書かれた作品ながら、グールド盤の登場以降ピアノで演奏されることが圧倒的に多くなったほか、金管五重奏や弦楽アンサンブルなどにも編曲されて弦楽四重奏での演奏される超人気曲となったことも、グールドの影響なしには考えられない。バッハ好きには嬉しい悲鳴でもある。

左からレナード・バーンスタイン、グレン・グールド、イーゴリ・ストラヴィンスキー。

間違いなく筆者も長い間ゴールドベルク変奏曲チェンバロ演奏中心で聞いたが最近はピアノ演奏もチェンバロ演奏も多くの演奏家の演奏を聴いたきたがグレン・グールド演奏は良い筆者の印象はどうしてもグレン・グレードはジャズピアノの演奏が似合う感じで余り聴かななったがここ3〜4年いろいろの作品を聴くうちに、好きなピアニストになっていった。

彼独特の演奏スタイルも実に印象的で何故か椅子も自作の極端に低いものを愛用した事は有名な話である。

1932925日にカナダのトロントに生まれたグールドは、幼い頃からピアノ演奏における特別な才能を発揮し、将来を嘱望されるピアニストとしてカナダでは有名な存在だった。

その彼が世界的に注目されるきっかけとなったのが、19561月に発売されたデビューアルバムゴールドベルク変奏曲だ。その才能を見込まれて名門コロンビアとの専属契約を果たした当時23歳のグールドは、デビュー作にヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)のゴールドベルク変奏曲録音を主張。

当時は人気曲ではなかった同曲でのデビューに難色を示したレコード会社の重役たちを説得して行われた録音の記録こそが、今回発売になった『コンプレート・レコーディング・セッションズ1955』そのものだ。

いやはやこの貴重な録音がよくぞ無事に保存されていたものだ。正味4日間の録音を終えて編集&発売されたアルバムはベストセラーを記録し、クラシック史上最大の話題盤として知られる存在となったのだ。

若きグレン・グールドの名を一躍世界的なものにした1955年録音のデビュー・アルバムゴールドベルク変奏曲。そしてグールドが生涯を閉じる約1か月前、19829月に発売され、生前に発売された最後のアルバムとなったゴールドベルク変奏曲。

バッハのゴールドベルク変奏曲は、まるで円環を閉じるようにグールドの生涯を縁取り、その独自の音楽を考える上で欠くことのできない作品です。

最新アルバムといっても、その内容は今から60年以上も前に録音されたアルバムの編集時にカットされてお蔵入りしていた不要テイクをまとめたものが中心なのだから、これはいったい最新アルバムといえるかどうか。

しかしグレン・グールド愛好家にとってこのアルバムの持つ価値は計り知れない。筆者自身、待ち望んでいたものが突然目の前に現れたといった感想だ。

『ゴールドベルク変奏曲コンプリート・レコーディング・セッションズ1955』今までこのレコード及びCDを聴かなかったのは発売がCBSソニーと言う理由で昔からソニーの音質に疑問を持ちそれ以来敬遠してきたが、最近のハイレゾ、CDを聴くが音質に余りこだわりなく、良い演奏者の演奏はやはり優れていることを理解した1955年盤は、20世紀に輝かしい足跡を残した録音アーティストとしての出発点となったグールド最初の「ゴールドベルク変奏曲」。

1981年録音は、グールドがその生涯を閉じる約1か月前、19829月に発売され、グールドの生前に発売された最後のアルバムとなった2回目のゴールドベルク変奏曲です。

この1981年盤は初期のデジタル録音としても有名で、LPだけでなくCDも発売されましたグレン・グールド(ピアノ)[録音]1981422日~25日、515日、19日、29日、ニューヨーク、コロンビア30丁目スタジオグレン・グールドが他界してから、今年の秋で36年になる。

この際グルードの演奏する曲を色々聴くと、それは素晴らしい演奏が多い録音や映像に残された彼のピアノ演奏をリアルタイムで聴き込んできた人もいれば、死後にファンになった人も多いだろう。

一度は是非聴きたい演奏者であると思うクラシック史上屈指の変人なのか?彼の弾くジャズピアノも聴いて見たかった!1950年代中盤の撮影。指先だけが出ている手袋をしてピアノを弾いていることからも寒さに弱かったことがわかる、グールドを語るうえで欠かせないのが、奇人とでも言えそうな存在感だ。

Glenn Gould plays Bach

グールドの歌声がはっきり聴こえる録音もあり、その特徴は、ピアノを聴きながら口ずさむ鼻歌(録音でもはっきり聴こえる)を筆頭に、父親手作りの極端に低い骨組みだけのピアノ椅子。

こちらは折りたたみ式で4本の足の長さが調整可能というキワモノだ。

極端な寒がりで、ゴールドベルク変奏曲の収録時には、穏やかな6月だったにもかかわらず、コートにベレー帽、マフラーと手袋を着用してスタジオ入り。

演奏前には湯を張った洗面器で腕を温めるという儀式を行うのもグールドならでは仕草である休憩時間にはスタッフの食べるサンドイッチを眺めて顔をしかめながら、持参したビスケットとミネラルウォーターを口にしたという様子すらも、今では微笑ましい伝説だ。

それもこれもあのすばらしいパフォーマンスがあったからこそ容認されたことに違いない。

ISilent Tone Record/バッハ:イタリア協奏曲,パルティータ1番,2/グレン・グールド/COLUMBIAMS 6141/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード

 

まず特筆すべきなのが、演奏中のハミングである。グルードといえば?という問いに対してこれを思い浮かべる方も多いだろう。

彼は常にメロディーや主題の一部をハミングしながらピアノを弾くのである。

オスカー・ピーターソンもピアノ弾きながらのハミングも有名である(笑)スタジオで録音する際にもこの癖は止まらず、レコーディングエンジニアに何度も文句を言われようと生涯この癖を治すことはなかった。後は父親にに作ってもらった特製折りたたみ椅子を愛用し、常に持ち歩いていた。なんとこの椅子、高さは30センチである。本人は椅子の高さにかなりこだわっており、本番前にもかかわらず30分間も椅子の高さの調整をしてからの演奏する等まるでジャズミュージシャンのような記事もあったようです。

グールドが亡くなってからすでに36年の歳月が過ぎようとしている。しかしその人気は衰えるどころか、新たなファンを生み出しながらさらなる広がりを見せる勢いだ。録音の中に生きることを決断したグールドの存在は、すでに死をも超越してしまっているのだろうか。

それとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏も興味が沸く、朴訥と聴こえるピアノが印象的だグールドとローズは『古典的な演奏』をことごとく無視し、自由粗放に演じてみせる。まるでジャズ演奏のようだ!

クラシックのプレイヤーが自由粗放に弾き、ギドン・クレーメルらと室内楽・協奏協奏曲を残しているキム・カシュカシャンと組みジャズのキース・ジャレットが古典的に弾く、いずれも新しい自分の表現とも取れる。

これを機にグレン・グールドでバッハの鍵盤楽器(ピアノ)で再度楽しんでみます。何度も聞くが独特のGグールド節の演奏は心地よい。最近の録音技術は進み大変音質向上するが最新の再プレスされたCD等で試聴するが安定してきたように感じる、筆者のレコードプレイヤーも大変老朽化しているため大幅なメンテナンスが必要な時期になっているが中古市場も高額で途方に暮れる毎日である。

まさしく生身のグールドが感じられる。やはりグルードは凄い、ブラボー!