先日ゴジラ-1.0を見て、次の作品が11月23日公開となっていたが、生憎仕事と重なり一週間遅れでセブンパークアリオで拝観する。開演時間は20時20分であり自宅を19時45分に出発する。
この時間ラッシュは終わりスムースに通行出来るので20分ほどで現地到着する。
以前ゴジラを観た時に小さな予告チラシがあり持参した物が下記のチラシである。丁度この時期角川問題が重なりこの映画は相当遅れたが、やっと仕上がり公開された。
タケシ流戦国映画でもあり、前回のアウトレージと重なり興味深いのでもある。確かに悪い奴らが集まった時代でもある。最初のシーンから首の無い切れ取られた胴体が晒されるがゲテモノ的シーンでもある映画でもある。
北野武(ビートたけし)映画「首」監督、編集、主役とこなしている北野組の映画である、以前の映画アウトレージの時代劇版と思い抱いて観覧しました。
配役は西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、木村祐一、遠藤憲一、勝村政信、寺島進、桐谷健太、浅野忠信等の今回の北野組配役出演者である。
大御所映画監督による黒澤明から「お墨付き」をいただいていた作品だった、構想からなんと30年、宣伝文によると、かの黒澤明から
「北野くんがこれを撮れば、『七人の侍』と並ぶ傑作が生まれるはず」
との「お墨付き」をいただいたという本編ではあるらしいが。実際映画は何時もたけし組の映画でもあり『アウトレイジ最終章』以来、6年ぶりとなる北野武監督の新作『首』は、何が違った時代劇にも感じた。アウトレージの残忍なところは今回は余無く、欲求不満映画の様にも感じた。この映画を観て驚くは黒澤明を意識し過ぎた嫌いがある様にも思う。
しかし構想から編集をたけし一人で作り上げた事は実に見事であり、違う意味においては面白き映画の仕上がりになっている様にも感じた。
ストーリーは天下統一のために激戦を繰り広げる織田信長。そんな中、彼の家臣・荒木村重が反乱を起こし、姿をくらます。そこで、信長は自らの跡目相続を餌に家臣を集め、村重の捜索命令を出す。
解説では次のように語られています。「北野映画の戦国時代劇は、彼にしか成し得ない奇抜さと過激さに包まれた劇薬だった。首、それは斬ってもそのままでもシュールの極み。戦国版『アウトレイジ』とも呼ぶべきこの危なっかしい智略と暴力のバトルロワイヤルにおいて、信長役の加瀬亮が頭のネジがぶっ飛んだ切れ味の鋭さで非道の限り(饅頭シーンは夢に出そう)を尽くしたかと思えば、秀吉役ビートたけしは信長の前では決して出しゃばらず、己の館に帰ると息のあった部下達とコントのように計略を練っては、笑いと冷酷さのはざまを器用に行き来する。彼ら猛獣達に振り回されっぱなしの西島秀俊が彼にしか務まらない実直な役どころを巧みにこなす一方、木村祐一がしゃべりの得意な”芸人”として飄々とした存在感を発揮するのが面白い。特に監督自身の職能とも相通じる特殊な役をあえて戦国時代の鍋へ投じて化学反応の行方をじっくり見つめるところに、奇才ならではのユニークさ、斬新さがある。」また千利休を演じた俳優の岸部一徳は適役でもあり一徳らしくもある役どころでもある。尚今回の本当の物語の面白さは、今回は善人は一人も出てこない、悪人だらけの映画なんです。
筆者が思う信長役の加瀬亮の芝居が臭すぎのきらいもあるが、加瀬亮の持ち味とも思う次第である。
ある時代の暴力と上下関係を伴う男性社会の群像を、男色の要素を加えて解釈するという点で、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と「御法度」の影響を感じる。
筆者が感じた信長役の加瀬亮は信長末期の逝ってしまった信長役は適任であった様に感じているが・・・今までの信長の芝居で、初めて信長の首が飛ぶ最後のシーンは圧巻でもあった。
しかし現在ジャニー喜多川問題も重なり、たけし曰く、youtubeでも言っているが・・・・
(昔は、悪いことをすると「サーカスに売っちゃうぞ」って脅し文句があって、芸能の仕事は奴隷ではないけど、商品として人間を扱って、見世物として稼ぐのが芸能界。日本の芸能界は、最近は良くなったけど、昔から酷いもんだと思っていました。"と胸の内を明かした。)
いずれにしても納得のいく解決策があれば良いか、本人不在の現在今頃何故問題提示させたかが問題で、生前に問題にする事が常識ではないのであろうか?
確かに筆者もたけしと同じ年なので同じ環境を生きて来た世代でもあり、筆者が思うにジャニー喜多川問題は喜多川氏の生前に世間に問う問題でもであると思っている。
先日日曜の早朝TBS放送でジャニーズ問題で謝罪していたが、ジャニーズ問題は事務所の力が大きく、忖度していたと公表しているが、報道する側がこの為体でどうしようも無い所まで来たと思う、早急にTBS(東京放送)は解体、解散するべきである、又は報道しない放送局が相応しい。でも国営放送にも言える事は、最低なNHKも同様な特別扱い枠を設けていたようです。
今回の大河の『どうする家康』役の松本潤などもはひどいものである。国民から配信料を徴収した国民への報道がまともに出来ない放送局という事も違法行為であり、まともな認識者が運営する団体であろうかと疑念する、しかも国が運営する放送局と言うところが一番の問題だ。一刻も早い解体を望む。
今回の大河ドラマの下地は静岡大学の小和田哲男先生、家康の歴史研究家 市橋 章男氏も協力し最も史実に近いと言われる様に参加し、脚本家・古沢良太さんのストリーは大変良い仕上がりに思うが、ドラマの主役が問題のジャニーズの松本潤、これが全くの不合格でのドラマ視聴率を一人で壊している様に感じる。
今回の「本能寺の変」を題材にした本作でたけしが演じるのは、百姓から身を起こし織田信長亡きあと天下人へ昇りつめる羽柴(のちの豊臣)秀吉役の底意地の悪さを知った浅草芸人の見習いから出発した、たけしと重なり良い味を出していた。謀略、裏切り、大義、金、野望、面子など、複雑に絡み合った覇権争いの中で、信に足るものは何かという問いに対して、北野たけし節が答えを出しているような作品でもある。最も戦国武者は悪い奴らが多く、空きあればチャンスを狙う悪い奴らが多かったのであろう・・・・。
余り時代背景にはとらわれず、悪の底を知った秀吉役は如何にもたけしらしい表現方法でもあり妙に男色、暴力、武士の悪いところを全て出した作品でもあった。ブラボー!