節分を過ぎ立春といえぞ、まだ寒さは続く、緊急事態宣言は3月まで延長、罰則を設けたそうだが、自民の議員の飲食はあまりの常識知らずに驚く、日本政治は解体する他救いは無いのであろう。自民の他の党は余りにも貧弱で話にならない、正しく今回の武漢ウイルス後の経済を変換するチャンスかもしれないのだが、今の政治経済界外は完全な負け組になる、どうする日本丸!
とにかく不要な外出は避け、自宅での音楽鑑賞が一番安心できる、最近は手術後の検査等で病院通いで忙しくしている。月に4〜5回は多い。
筆者にしてはアニー・フィッシャーは、相当昔のN響アワーで、このピアニストがベートーヴェンの第3協奏曲を演奏するのを視聴して受けた清々しい印象を鮮烈な記憶が残る、まだ忘れないでいます。化粧っ気のまったくない容貌に、太い腕もそのままに見せて、協奏曲の悲愴感を大袈裟でなく表出している彼女の様子に、私は非常に美しいものを感じずにはいられませんでした。
誰かが何かに没頭して、ただひたすら行為になりきっているような瞬間に見せる、人間の所作や表情の簡潔な美。もちろんCDでは彼女の映像は見られませんが、そういった印象がこの8枚組の隅々に行き渡っているかのようです。特に彼女の演奏のベートーヴェンは格別であるが、「アニー・フィッシャーEMI録音集」(8CD)を深掘りしてみる事にします。
演奏には期待できるが録音は古いため多少の事は我慢が必要か・・・?
EMI録音集セット全体のハイライトとしては、やはり2枚のベートーヴェンのソナタの演奏だと思います。どちらかというと強靭なタッチで、曲の躍動をそのままに生き生きと表出している感があります。そして彫刻的な立体感を、それこそふるった鑿の跡も生々しく息づかせているかのように、響かせています。
ヴィンテージTANNOYの特質はピアノの音の低域の音が深く聴こえる事が特徴でベートーヴェンの第30番ホ長調 Op.109等を聴くと他のユニットでは味わえない重みのある音が聴ける事がありがたい。
筆者のおすすめは、作品109には硬質であるけれど透明さも備えた詩情に満ちていて、何度聴いても素晴らしい美しい!その後作品111は展開されていく変奏がそのまま人間の内面の劇として起伏して、止揚される様が感動的です。これぞベートーヴェンの真髄かと思う演奏が聴ける。
アニー・フィッシャーEMI録音集(8CD)Disc4-5
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集
第8番ハ短調 Op.13『悲愴』
第14番嬰ハ短調 Op.27-2『月光』
第18番変ホ長調 Op.31-3
第24番嬰ヘ長調 Op.78『テレーゼ』
第21番ハ長調 Op.53『ワルトシュタイン』
第30番ホ長調 Op.109
第32番ハ短調 Op.111
録音:1957-1961年
以前も申し上げたが、Op.109 の第3楽章にはアリア風の主題と、旋律線から離れたいくつもの和声的、技巧的変奏、そして最後の主題回帰などは、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を思い起こさずにはいられない。また、一度は着手しながらも、この当時作曲を中断していた「ディアベッリ 変奏曲」との関連も見過ごすことはできまい。
ベートーヴェンもバッハの影響があるのかと、驚く思いは強くなった。
筆者はピアノ・コンチェルト(協奏曲)を聴くには少し大型のボックス(箱)のエンクロージャーで聴きたい。バックにオケが並びハーモニーを体感するためにも、必要と思う、先日も申し上げたが低域を一度体感してしまうと、その迫力が体が覚えてしまい、ミニサイズの例えばLS3/5aで聴くも音質は良質で勿論問題ないが、音楽全体を体感するオケの迫力は全く違ってくる。
今から述べることは個人的意見ではあるが、特にオーケストラ、オペラ等を好むマニアは、大型のエンクロージャー使用が有利である。欠点はやはり低域は地を徘徊して体に伝わる迫力は味わって見ないとわからないのかも知れない。又この低域の影響がかなりの悪さをすることも事実で、ここで優秀なインシュレーターは必要不可欠であり重要な役目をする、特に大型機器(一般的には据え置き型)のエンクロージャーには必要である事が理解できる。オーディオ機材の変更を考える諸氏は定評あるインシュレーター導入し音を比べてみる事を薦める。
勿論、安価に仕入れたい場合は自作もあります。勿論私は自作しました。
現在GOODMANS AXIOM 80にはA.R.U.(アコースティック・レジスタンス・ユニット)付き、意味は「要はユニットの背圧の逃がし方を微妙に調整する道具のことで、このおかげで豊かなふくらみのある音が得られる」後少し説明を加えると、通常のスピーカー・エンクロージャーではスピーカーの前面の下部に大きな開口部があったり(バスレフタイプ)、タンノイの大型スピーカーに見られるように長大な「バックロードホーン」型などがあるが、「AXIOM80」の製造元であるグッドマン社(イギリス)はこの背圧の逃がし方に天才的な着想を発揮したのがこのA.R.U.である。
今までTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)のオリジナルの箱で音楽を聴いていたオケ、オペラとは違って、身体に漂う低域の音量がいかにもオケ、オペラの演奏を一番良い中央席で聴くような錯覚さえ覚える、こうして掟破りなユニットを収めた箱で音楽を聴くとオーディオとは如何に底が深いのかと感じる次第である、音が一番変わるのはエンクロージャーとユニットの相互関係が一番大切と感じた。
この箱にIIILZ Monitor Goldのユニットを合体させたエンクロージャーと今日はLUX KIT A-3500のパワーに繋げ試聴している。300Bのアンプとは違い若干の力強さが感じ、特に男勝りのアニー・フィッシャーを聴くには頷ける音に聴こえる。
現在の筆者は音楽愛好家と自負している為、現行の装置で音楽鑑賞には問題は無いが、後少しのグレートアンプできればと悩むことも多いことが現実のようです。
上記写真がアコースティック・レジスタンス・ユニットの写真である。以前メンテナンスで塗装し直した時、パチリと写真に撮った。Goodmansのスピーカーユニットと組合わせて使用するA.R.U.は172、180、280、480の4種類が1967年頃発売された記事がある。筆者のエンクロージャー装着は当然AXIOM 80、180タイプで、下記のような指示書がある。
適合スピーカー数 | A.R.U.172:AXIOM 301x1、AUDIOM 61x1、AXIOM 201x1、TRIAXIOM.1220-C A.R.U.180:AXIOM 80x1 A.R.U.280:AXIOM 80x2、AUDIOM 81x1 A.R.U.480:AXIOM 80x4、AUDIOM 91x1 |
特にグランドピアノ演奏等のハンマーの衝撃音に対して300Bでは若干馬力不足を補うEL34ダブルプッシュは心地よささえ感じる、真空管アンプのレベルアップも今後のテーマであろう、欲を言えば切が無いのがこの世界のようだある。しかしこれ以上のレベルアップは基本的には程度の良いトランス探しから初めなければならず、後は使用するコンデンサー等も質の良いものわ探し配線ケーブルの吟味等、価格的に桁が違いこの先は夢の話になる。
アニー・フィッシャー(Annie Fischer)は1914年7月5日、ブダペスト生まれのピアニスト。1995年4月10日、同地にて没。8歳の頃から神童ぶりを発揮、ブダペスト音楽アカデミーでアルノルド・セーケイとエルネスト・フォン・ドホナーニに師事する。33年、リスト・ピアノ・コンクールで1位に輝く。第二次大戦中はスウェーデンに住んだが、46年にはブダペストに戻り、そこを本拠に世界各地で演奏活動を展開する傍ら、母校でも教鞭をとった。1980年、日本音楽コンクールの審査員として招かれ初来日し、以来しばしば来日して、聴く者の心を暖かく包み込み、忘れえぬ感動を刻む演奏を聴かせた。
特に筆者は彼女のベートーヴェンのピアノ・ソナタは好きで良く聴くが、今回このCDで違う魅力を見つけた。
アニー・フィッシャーは、かなりの録音嫌いだったと言うことです。1914年生まれなので、その全盛期とも言うべき50~60年代に為した録音はCDに換算して10枚にも満たないようなのです。カラヤンだったら1年の仕事にも満たない量です。さらに、録音が嫌いだった割には、当時としてもかなり長い時間をかけて録音しています。
アニー・フィッシャー/EMIレコーディングズの中より是非紹介したい曲が、戦時中はスウェーデンに戦禍を逃れていましたが、戦後ブダペストに戻ると、夫のアラダール・トートがブダペスト歌劇場芸術監督に就任、トートがオットー・クレンペラーを音楽監督に招いた繋がりもあって、アニー・フィッシャーはクレンペラーと親交をもつようになり、クレンペラーがブダペストを離れた後も、ロンドンやアムステルダムで共演していました。
リスト・コンクールに優勝したアニー・フィッシャーは、リストのほか、モーツァルトやシューマン、ベートーヴェン、バルトークの演奏でも高い評価を受けており、その演奏はリヒテルなども称賛、ショルティはハンガリー最高のピアニストと称えていました。
アニー・フィッシャーは、生涯ブダペストを拠点として活動していたため、遺されたレコーディングは少ないのですが、ここでは彼女がEMIでおこなったレコーディングを集めています。
ボールト、サヴァリッシュ、クルツと録音したモーツァルトのピアノ協奏曲は昔から定評がありますし、クレンペラーと録音したリストとシューマンのピアノ協奏曲でのロマンティックで堂々とした味わいも魅力的で、マルケヴィチとのバルトークのピアノ協奏曲第3番も美しい仕上がりとなっていました。
独奏曲では、アビーロード・スタジオで録音したベートーヴェン、シューベルト、シューマンが収められており、アニー・フィッシャーの詩情豊かな演奏を味わうことができます。
まずは、かなりの録音嫌いだったと言うことです。
1914年生まれなので、その全盛期とも言うべき50~60年代に為した録音はCDに換算して10枚にも満たないようなのです。カラヤンだったら1年の仕事にも満たない量ですね。
さらに、録音が嫌いだった事は有名でもありますがその割には、当時としてもかなり長い時間をかけて録音しています。
ベートーベンの月光ソナタなどは1958年の11月18日~20日にかけて録音し、さらに翌年の2月5~6日にも録音しています。おそらく、最初のセッション録音では満足できない部分があったのでリリースすることを渋ったのでしょう。
是非とも「知る人のみが知る」アニー・フィッシャーの魅力を「この録音で味わってください!」と言えないのが辛いところです。
個人的な感想ですが、あのクレンペラーと共演したシューマンやリストはあまり口出しが出来なかったのか、逆に彼女の良さがよくでているような気もします。モーツァルトのコンチェルトでは、20番や23番の第2楽章のような「悲しみ」を語る場面では美しさを感じる場面もあるのですが、それ以外は今ひとつピントこないというのが正直なところです。それと比べると、ベートーベンのソナタの方がまだしも彼女の特徴である情熱的な雰囲気が良くでているように思いますと、思ったのですが、格調高いモーツァルトに興味を覚えた。
モーツァルト:1. ピアノ協奏曲 第20番
2. ピアノ協奏曲 第23番
3. ピアノ協奏曲 第21番
4. ピアノ協奏曲 第22番
5. ピアノ協奏曲 第24番
6. ピアノ協奏曲 第27番
【演奏】アニー・フィッシャー(ピアノ)
サー・エイドリアン・ボールト(指揮) フィルハーモニア管弦楽団(1,2)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮) フィルハーモニア管弦楽団(3,4)
エフレム・クルツ(指揮) ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(5,6)
【録音】
1959年2月13-15日, 4月22日(1,2)
1958年2月28日, 3月1,10日(3)
1958年3月1,2&10日(4)
1966年5月14,16,17,20&24日(5,6)
以上 No.1 Studio, Abbey Road, London
シューマンの繊細さが前面に出た音楽の作りはおそらくはアニー・フィッシャーの要望だったのでしょう。執拗な切り貼りの結果として音楽の勢いは明らか殺がれています。それと比べると、そこまで手の入っていないリストの方は豪快な音楽に仕上がっていて非常にいい感じです。
・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54
・リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S.124, R.455
フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
シューマン ピアノ協奏曲:1960年5月22日~24日 & 1962年5月9日、10日、31日 & 1962年8月16日録音
リスト ピアノ協奏曲第1番:1960年5月24日 & 1962年5月10日録音
ハンガリーの名女流ピアニスト、アニー・フィッシャーによるこのモーツァルトのピアノ協奏曲録音は、40歳代半ばから50歳過ぎの間に録音されたもの。アルバムとしてはなぜかこれら3枚だけ残された貴重な録音です。当時から今に至るまでその一切の妥協を廃した彼女の音作りは、未来にわたり残っていく言わば人類の遺産と言っても過言ではない出来ばえであると思う。指揮者がバラバラでも、その解釈は一貫しています。
ロマン派の作品では、クレンペラー伴奏のシューマンとリストの協奏曲がやはり素晴らしいものでした。この巨人指揮者の偉容は、さりげないながらも良く出ていて、シューマンでの滔々とした流れ、リストの激烈さが、やはり唯一無二のものを感じさせます。もちろんピアニストも起伏の激しい表現を、すべて自然な真情として聴かせる見事さです。マルケヴィッチとのバルトークもまた、この顔合わせから期待される以上の感興をもたらしてくれます。
アニー・フィッシャーのピアノは、凛として、格調高い。決して情調に流れることはなく、一音一音が大切に、確かめるように弾かれる。かといって淀みなく紡がれ、大らかさもなくはない。深味は無論ある。よってモーツァルトにしても、十二分に聴かせる。6曲のピアノ協奏曲、醒めてはいるが、大人の味がしっとりと出ている。23番イ長調は、やゝ精彩を欠くものの、他は何度聴いても、また聴きたくなる。そしてシューベルト、ソナタ21番変ロ長調は、テンポが通常より速め、しかし落ち着きがあって、これも聴かせる。
ベートーヴァンは別格で、なんと言っても第30番ホ長調 作品Op.109は素晴らしい匂いがする、何度も繰り返し聴き惚れる・・・・。
即興曲集からの2曲も、 ならではの魅力を放つ。増してベートーヴェン、何れのソナタも、彼女独特の深い味わいがあって、聴き惚れるとはこのこと、との思いを聴く度に噛み締める。更にシューマン、リストのピアノ協奏曲、彼女にしては繊細に仕上がっていて、新鮮である。バルトークは初めて聴くので、評価は割愛する。敢えて云えば、シューマンのソナタ、もう少し親しみがあっても良いのかとも思えるが・・・。
最後にモーツァルトの ピアノ協奏曲、指揮がエイドリアン・ボールト、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、エフレム・クルツと三様になったのは、何故か。最初のサヴァリッシュとの相性が良く聴こえるだけに、通して聴きたいと思ってしまうのは筆者だけでなのであろうか、ブラボー!