
最近の初めに、今回のブログは貼り付けたYouTubeをご覧いただきお読みください、またいつものブログと比べ長くなりますのでご容赦ください。より一層近代日本史の真実が解明できます。最近の池上 彰さんの解説かなりの疑問を感じる貴兄は是非一読ください、多分基本的には池上氏は親中派と考えると納得出来るとも思える。流石元NHK解説者です、皆さんは如何でしょうか・・・?
特に朝日新聞社、テレビ朝日などは中共から多くの広告費を頂き益々共産色を深めてまともなニュースも報道出来なくなっているようで、電通(代理店は構造不況産業と言われた)等も政府の広告以外の仕事で利益計上をし、新聞販売店等にも販売数は水増しマスコミの禁呪手を行い朝日放送「10」チャンネルも相当視聴率は悪くNHK共に中共風に言えば粛清しなくてはならない勿論NHKを筆頭にテレビ朝日・TBS初め大手もそれに続くマスゴミが。
日本の著名人、政治家、会社役員にも意外と親中派が多く驚く、この前の戦争以前の帝国政治の解釈を間違え親露派、親中派のレーニン・マルクス主義に賛同し共産主義賛成派になり、その後も民主主義の革を被った親露派、親中派たちが生き残る。戦後も教育は日教組と生き残り共産派は過激に生き残り、前の大戦を自虐する。勿論歴史教育も日教組の連中の間違いだらけの教育を受けて育った戦後教育だった。
ただし日本も共産国になれば大量殺戮が公然と行なわれるであろう。
今回の米中冷戦で見えて来た、戦前より生き残る、親露派、親中派が実に多い、安保反対事件等の生き残り共産派が沢山いる、当然ニュース解説者池上氏辺りも丁度安保反対事件影響を受けた世代で勿論筆者もその年代であるが。最初に結論が出ている事は、8月15日は日本では終戦記念日となっていますが、日本は何故戦争を行ったかの疑問は、国民が開戦の言葉を知らない日本人が大勢いることが恥であろう。(開戦全文)を紹介しよう。この機会に改めましょう。
詔書
天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
御 名 御
天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
御 名 御
昭和十六年十二月八日
詳しい解説は下記の映像を御覧ください。
見事な開戦の言葉は現在も残り当時の日本人の気持ちを述べていることが理解出来る、アジアの植民地化を守るために起こした戦争である。
各国務大臣副書最近支那の国?が大変な暴走をしている、いや正確には支那の国の中国共産党が暴走している、此れは戦前から疑問視された案件で、勿論現在親中派の衆参議員の二階議員と今井はアメリカより親中派と名指しされ、最新の全50名二階派のリスト一覧読み上げます!【テロップ付き】というYouTubeを見ながら此のブログをカキコしています。今回は長い文章の掲載になりますが、あえて近代日本史を調べて見ることにしました。昔の教科書には書かれていなかった事実を申し述べる。
現在日本は民主国家でありながら、少し違う方向に行っている方も多いようにお見受けする、その筆頭にNHKを代表とする報道機関、朝日新聞社を初め新聞社、勿論民放放映局なども、疑問を疑う報道が多くなっていて親中派、親韓派も多く、長年それらの放映を見ていると事実がどこにあるのかも疑ってしまう。

現在朝鮮半島の国と雲行きが良く無くなっていますが、勿論今更言うことも無いが、此れも調べて見ると事実がわかりますが、朝鮮半島の歴史を見れば答えは明らかになる、詳しくは筆者の以前のブログに掲載しました。歴史家の宮脇淳子さんお中国・朝鮮の正体を見ていただければ理解いただけると思います。
以前にも掲載いたしましたが、科学的にも最近DNA鑑定でより解明した染色体の事実が発見されたようで、今までの日本人のルーツが解明の手がかりになるのではないか、と思う節もあり筆者も驚いたことでした。此処で解明できたことは、日本人は支那人、朝鮮人ともDNAが違う人種と証明されたことだ。「ヘブライ語から読み解く日本神話「あなにやし」「タカマガハラ」日本語とヘブライ語の共通点」も御覧ください。

そこで頷ける事は何故日本の皇族は男性系列重視かもこの遺伝子から紐解ける、遺伝細胞の男女の差はY染色体(♂)X染色体(♀)でありY染色体は交配してもY染色体は薄まらないが、X染色体は交配で薄まり、3世代後には1/3以下になる結果が判明した、Y染色体の男性染色体で続く皇族は世界的みても日本(日出ずる国)なのである。日本は島国でもあり現在日本人は1億2千万人ほどの人口で海外との交流は殆ど少なく、勿論皇族とも同じDNAであることが解る。これだけ長く続く日本の人種は日本人全員は兄弟と言うことも証明でき、縄文時代から続く歴史はDNAも殆ど変わりない事が特徴である。
第一次世界大戦後朝鮮半島には随分日本の国家予算以上の投資をして、半島の人々とも平等に国の平和に導くが受け入れられずに現代に至る、此処で日本が取った態度だ、当時は戦争敗戦後は奴隷化することを日本人は熟知し、人種差別を嫌った日本はアジア人との戦争は一部の共産主義の中国共産党としか戦ってはいない。又此のような逸話も多く聞く、日本人の家庭でのメイドは不要で、何れの家族も奥様方が全てメイドの仕事はこなすとこが当たり前の事だった。
そのため奴隷になることの辛さを理解し戦争で死んでいったと、と言う人もいます。他の国にはない玉砕が多いことも頷けます。現在の大手企業役員、日教組、議員先生がどれだけ此のことを理解しているのか疑問です。全く情けない国になってしまった話であります。是非教科書は正しい歴史に替えましょう。
今年は梅雨前線が長く日本列島に前線影響のため長雨、しかも豪雨のため日本中に莫大な被害をうけた、地球の磁場、地区は南アメリカ大陸付近に地場が影響しているという噂もあるというが?8月になり今年も終戦記念日が来る、今まで疑問に思っていた敗戦と言う重き荷物を背負い戦後が始まったが、此のあたりで本当の日本の歴史を考えて見たいと思い筆者なりに考えて調べました、最終的には何故日本に原爆投下したのか、どうやら答えは「ソ連共産主義」に対する見せしめも含めたともある、歴史とは新たな史実の発見とともに変化する正しい歴史から現在の世界が見えてくるのであろう。
まずここで思う何故ソ連は重大な違反したのか不思議な事件、此の事件を知れば誰もが旧ソ連、共産主義を憎むであろう、裏には日本陸軍官僚の関与の疑いが色濃い、事件は自決した真岡郵便局の女性たち 同僚を記憶映画化された「霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち」昭和二十年(1945年)8月20日は、真岡郵便電信局事件が発生した日です。映画『樺太1945年夏 氷雪の門』やドラマ『霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち』などで扱われて多少知名度が上がりましたが、生存者への配慮等からいくらかの脚色がなされています。以下、より事実に近いと思われる内容を述べていきますが、生存者の方、ご遺族の方、並びに関係者の方への責任追及・誹謗中傷等の意図は全くございません。そのため、個人名を挙げることは控えさせていただきます。

先に、この事件において要点となる「電話交換手」という仕事についてお話しておきましょう。戦後間もない当時の電話は、直接相手の番号に書けることが出来ません。一度、電信局へかけてから「この人に繋いでください」と頼まなければなりませんでした。このとき必要に応じて「電話」の線を「交換」する仕事が電話交換手です。力が要らないことから女性の仕事として非常に人気が高く、憧れの職業でもありました。
しかし、14日にポツダム宣言の受諾が決まり、15日に玉音放送で正式に敗戦が決まった後も、ソ連軍の侵攻は止まりませんでした。16日に婦女子の引き揚げが決まり、郵便局の職員についても順次引き揚げるよう局長から命令が出ています。局長は「残ればどうなるか」、つまり略奪・殺害・性的暴行の可能性を説きました。が、彼女らは、電話交換手という自らの職務に絶対の責任を感じ、残留を志願するのです。
此れは間違いなく戦後の事件ですが12人中9人が青酸カリなどの自決で亡くなられた事は現在のロシアは最低の国であるがその前にこの事件の戦争前に戻り日本史の事実を知らなけrばなりません。以前司馬遼太郎の本を読んでいた時に司馬遼太郎もこのノモンハン事件は書けなかったという事件で日米戦争は此処で日本陸軍は十分学習しているはずだ。
司馬遼太郎の小説は好きで坂の上の雲等で日本陸軍上層部の事が上手く書けてない、その疑問を感じ歴史の史実を見てみると、最大の事件にたどり着く、ノモンハン事件(1939年5月11日~9月16日)は、当時の満州国とモンゴルの国境地帯で起きた地域紛争だ。

日本にとっては、日露戦争(1904~'05年)後、初めての本格的な近代戦争だった。日本・満州連合軍対ソ連・モンゴル連合軍の間で展開された戦闘であったが、実質的には日本軍とソ連軍の戦いだった。この戦いで日本軍は壊滅的な打撃を受けた。
この事件以前日露戦争以降猛烈な貧困国になった、戦争では勝利するが、生活は厳しく、そこで当時の上層な日本人たちが社会主義国家がパラダイスと思い一部エリート層がの社会主義者が軍部、官僚に紛れ込む、日本の間違いは此の頃から送っているようです、そして米軍と戦争させ敗戦革命を行った。ノモンハン事件(ハルハ河戦争)は、日ソ間の軍事衝突ではあるが、そもそもはモンゴル人民共和国と満洲国の間で発生した国境紛争から始まっている。
1939年に入ってから、たびたび国境をめぐって小競り合いが起こっていたのだが、満洲国の防衛にあたる関東軍が「国境侵犯」だと見なし、ついに堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。ところが、軍事衝突の原因となったノモンハンがどこにあるのか、軍関係者は誰も知らなかったという。現在でも、状況はそれほど変わらないだろう。高校の「地理」で使用する地図帳にノモンハンの地名が記載されているのは、そこがノモンハン事件の発端になったからであるに過ぎない。
変わらないだろう。高校の「地理」で使用する地図帳にノモンハンの地名が記載されているのは、そこがノモンハン事件の発端になったからであるに過ぎない。
「ノモンハン事件」は日本での呼び名であるが、交戦国のソ連(ロシア)とモンゴルでは「ハルヒンゴール(ハルハ河)戦争」と呼ばれている。ハルハ河が国境線だと主張する満洲国(および日本)と、国境線はハルハ河の右岸まで含まれるとしたモンゴル(およびソ連)との認識の違いが生み出し、ハルハ河の左右両岸で戦闘が行われたからだ。ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。
スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍についてこう報告した。兵士や下士官はよく訓練され、優秀で、現場指揮官も責任感が強いが、幹部が無責任で紋切り型の思考しか出来ないというのは、日本陸軍が官僚化してしまったからだ。ノモンハン停戦から3日後の9月17日、ドイツに続いてソ連がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。
この戦争に備えるためにスターリンはノモンハン事件を終結させたかったのだが、日本はそのようなソ連の思惑に全く気付いていなかった。ノモンハン事件の悲劇は、戦いで敗れただけにとどまらない。捕虜になるなという日本軍の対応も太平洋戦争を先取りしていた。ソ連をはるかに凌ぐ経済力と技術力を持った米国と戦争することになれば、物量戦で日本が不利になることは明白だった。にもかかわらず、日本は精神力によって物量を補うことができると考え、ノモンハン事件の敗北から学習することを怠った日本陸軍が精神論だけの官僚化が敗因の一番の原因か?
日本帝国の官僚腐敗は見事に亀裂が入り、当時の陸、海軍上層軍部官僚にも腐敗者の多く増えたようです、勿論ハル・ノートを文中を探ると南雲中将は何故ハワイの軍事ドックと燃料タンクを第三次攻撃すれば違う結果となっていたかも知れない、当時世界初の機動部隊を操る日本軍は強かったと思うが兎に角、日露戦争以降の海軍は機動部隊から出撃する航空機350機を発艦させる事の技術等は連合軍など皆無で統制は取れなかったと言われる、多少の被害を受けようとも此のハワイ攻撃は日本の大失敗でした。そして此のガダルカナルの戦い以降は連敗に続く連敗です。あとは日本陸軍のお些末な部分が露呈する。

歴史的事実をたどれば、1939年9月に第2次世界大戦が勃発して以来、米英首脳はたびたび会談し、枢軸国(日独伊)に対する連合国の協力体制を固めつつあった。1943年11月末、テヘランにおいて、米英ソ三大国の首脳会談が初めて開かれた。
そのころはまだドイツ軍がヨーロッパ諸国に展開し、各地で抗戦しており、3国会談の議題は主として軍事面での作戦協力であった。テヘラン会談で3大国の協力がなり、西と東からドイツを攻撃する態勢ができた。44年6月6日、米英軍はノルマンディーに上陸した。6月23日、ソ連軍が総攻撃を開始した。ドイツ軍は一挙に劣勢に追い込まれた。1945年2月のヤルタ会談は、ドイツの敗北が動かしがたいものとなり、一方で、米軍機による日本本土空襲が本格化した時期に、ルーズベルト米大統領の再三にわたる提唱により、戦争を一日も早く終わらせるとともに、世界の恒久平和を確立することを願って開かれたものであった。

ロシア国防省は第二次大戦末期に行われた米英ソの三カ国首脳によるヤルタ会談に関連した機密史料を先月末から同省ウェブサイトで公開している。同会談は一九四五年二月、旧ソ連クリミア半島(現ウクライナ南部)のヤルタで開催。公開されたのはルーズベルト米大統領、チャーチル英首相を迎えた際の黒海艦隊の警備計画など各種指令書や地図計百点以上。当時はドイツ軍の活動が活発で、両首脳らの安全を確保するため、スターリン(当時首相)の率いるソ連が詳細なプランを練ったと強調する内容。ソ連が戦勝国として戦後秩序の構築を主導したと内外にPRする狙いとみられる。

同会談ではドイツ降伏後の戦後処理や国際連合設立のほかソ連の対日参戦など一連の秘密協定も結ばれた。今日、松岡洋右といえば、「国際連盟の脱退」を決め、その後「日独伊三国同盟」を進め、日本を国際的に孤立させた「軍国主義の象徴」のような“悪人”として、学校で教えられていますが、、、不思議におもいませんか?本当にそうだとしたら、なぜ松岡洋右の主張をありありと書いたこの本を、連合国は「没収した」のでしょうか?本当に松岡洋右が「日本に戦争をさせた悪人」なら堂々と公開して、その醜態を戦後の日本人に晒した方が良かったのではないでしょうか?最大の会談ヤルタ会談に至るまでです。1939年(昭和14)「満州国」とモンゴル(外蒙古(もうこ))の国境ノモンハン付近で起こった日ソ両軍の大規模な武力衝突。
ノモンハン付近の国境について、日本側はハルハ河を、ソ連側は北方ノモンハン付近をそれぞれ国境と主張し、かねてより係争中であったが、関東軍は1939年(昭和14)4月隷下(れいか)部隊に示した「満ソ国境紛争処理要綱」において、紛争に際してはソ連軍を徹底的に膺懲(ようちょう)せよとの方針を決定した。たまたま5月12日に、ノモンハン付近でハルハ河を越えた外蒙軍と満州国軍が衝突する事件が起きた。ハイラルの第23師団長小松原道太郎中将は、関東軍の先の示達によりただちに部隊を出動させ外蒙軍を一時撃退したが、ソ連軍は外蒙軍に加わって反撃した。報告を受けた関東軍司令部はソ連軍撃破の強硬策を決定し、航空部隊による外蒙の後方基地爆撃に続いて、7月2日第23師団が攻撃を開始した。しかし日本軍はソ連軍の優勢な火力と戦車の反撃を受けて苦戦に陥った。

日中戦争の最中にあって、事件がさらに日ソ戦争に拡大することを恐れた大本営は不拡大方針を決め、政府も事件の平和的解決の方針を定めた。しかしこれを無視した関東軍は7月23日、攻勢を行い、これに失敗後もなお兵力の増強を図り、第三次攻勢を準備した。一方、ソ連軍は国境線回復のため8月20日から狙撃(そげき)・戦車両師団の大兵力を集中した総攻撃を開始し、日本軍は第23師団壊滅の大敗を喫した。おりから9月1日ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したため、大本営は攻撃の中止と兵力の後退を厳命し、モスクワにおける交渉妥結を急ぎ、9月15日モロトフ外相と東郷茂徳(しげのり)大使の間に停戦協定が調印された。軍中央は敗戦の責任により関東軍の植田謙吉(けんきち)司令官と磯谷廉介(いそがいれんすけ)参謀長を予備役に編入したが、参加部隊では責任をとって自決する部隊長が相次いだ。
事件の敗北は、陸軍の対ソ開戦の企図に重大な打撃を与えた。日本の官僚軍人の悪癖は近代戦争の事はこのノモンハン事件が象徴するように、近代兵器を大量に投入しないと勝てないことを日本軍は学ばなかったようである勿論航空機は日本軍が勝っていたが負けると解って起こした戦争のように思うが、日米戦争(太平洋戦争)に進んでしまう、日本国の帝国主義と共産主義の統一戦争と考えれば納得出来る、未だ議員の多くに此の流れに寄り添った人達が政界を牛耳っているかのようである。江戸時代前期の美しい平和な日本、嫌其れ以前のソフトに世界の良い文化をアレンジし収集しより良い国にする日本に戻ろうではないか、此のあたりで日本の屈折した時代を明らかにに日本史を次の時代に繋げるべきである。
「ヤルタ密約、ソ連の対日参戦」の極秘情報を得ていた小野寺信
ヤルタ密約は「極秘扱い」とされて公表されず、したがって日本の軍・政府は知る由もなく、1945年8月9日に始まるソ連軍の満洲侵攻は「寝耳に水だった」、と教科書では教えられてきました。しかし、東京の参謀本部にこの極秘情報を打電した情報将校がいたのです。
スウェーデンの首都ストックホルムの日本大使館に派遣された駐在武官、小野寺信(おのでら まこと)です。

小野寺は陸士卒業後、ロシア革命を妨害するためのシベリア出兵に従軍した際、ロシア人家庭に泊まり込んでロシア語を習得しました。参謀本部第二部(情報課)のロシア班に配属、ソ連情報を収集するため、バルト三国の駐ラトビア日本大使館の駐在武官として派遣されました。
ソ連がバルト三国を併合したため、小野寺はスウェーデンの日本大使館に移ります。 小野寺の元には、ソ連からの独立を求めるポーランドやバルト三国の情報将校たちが集まり、「小野寺機関」が活動を開始しました。その中心人物は、自称「亡命ロシア人のイワノフ」。
その男の正体はポーランド亡命政府(在ロンドン)の情報将校リビコフスキーでした。彼は配下に数十人の工作員を抱え、小野寺から得た枢軸国側の情報をロンドンに提供する一方、見返りとして連合国側の情報を小野寺に伝えていたのです。
現在は日本陸軍の腐ったリンゴ~エリート参謀、辻政信「悪魔の正体」と言われる

記者達は辻がよどみなく語る名作戦の数々に感嘆し、辻を「軍の神様」と謳ったが、辻政信は、個人的な戦功をねらって自分が主導したノモンハン戦争が、おびただしい犠牲を出して大敗北に終わったことを、誰よりもよく知っていた。しかし卑劣にも、辻政信と関東軍の最高指導者たちは、おびただしい犠牲を出して大敗北した責任を、全て前線の指揮官たちになすりつけた。生き残った前線指揮官たちに自殺を強要した。停戦後、捕虜交換によって戻ってきた将校たち全員に自殺を強要した。関東軍の最高指導者たちは、勇敢に戦った前線指揮官たちと、激しい戦闘中に負傷して昏睡状況で、自分の意思に反して捕虜になった勇敢に戦った将校たちを、死刑にしたのである。
関東軍の最高指導者たちは、あまりにもの悲惨な大敗北の事実の隠ぺいと、自分たちの【擅権(せんけん)の罪)】を免れるために前線指揮官たちと捕虜になった将校たちを死刑にしたのである。
マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件、フィリピンとバターンの偽命令による虐殺、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦い、中支戦線、ビルマ戦線等の作戦の参戦して連合艦隊司令長官山本五十六大将を訪ねたとき、物資統制にもかかわらず山海の珍味が食卓に並んでいたのを見て不快に思い「海軍はゼイタクですね」と皮肉を述べた。直後、辻は海軍側から山本長官の心遣いであることを知らされ「下司(げす)の心をもって、元帥の真意を付度しえなかった、恥ずかしさ。穴があったら入りたい気持ちであった」と回想。山本の態度から日本海軍と日本陸軍の統率を比較して「下剋上の悪風が敗れたる陸軍に無かったと主張することはできないが、さらに一歩考えねばならぬことは、幕僚にわがままを許すのは、上官の罪ではなかろうか。」と反省したようだ。
一番の悪は、今明らかになった瀬島龍三とはどのような人物だったのか?彼はガダルカナル作戦以降は全て失敗している。裏で共産国と繋がっていたのであろう・・・・

彼はソ連のスパイだったのか?「昭和の怪物」瀬島龍三の正体初代内閣安全保障室長を務めた元警察官僚の佐々淳行氏(故人)は、著書『私を通りすぎたスパイたち』で、「昭和三十年代、ソ連大使館員の尾行を続けていると、その館員と接触する日本人ビジネスマンがいた。それが瀬島だった」と記している。
瀬島は大本営参謀だった太平洋戦争末期の'44(昭和19)年12月から翌年2月にかけて、単独でモスクワ出張に出る。自身の回想録『幾山河』には、「外交・軍事機密文書を在モスクワ日本大使館及び武官府に届ける役目」で、「私の偽名は『瀬越良三』だった」と書いている。日本が日ソ中立条約の継続を望み、広田弘毅元首相をモスクワに派遣しようとしていた時期の重要任務だったが、瀬島は回想録で「遠くない将来、ソ連の対日参戦は不可避となるだろうと思わざるを得なかった」と、思わし気な述懐をしている。
日本の敗戦時、関東軍作戦参謀として満州に赴任していた瀬島は、ソ連軍との停戦交渉を担った。ここでも「60万の日本人をシベリアに送る密約を交わした」との説があるが、回想録で否定している。
その後、11年のシベリア抑留生活を送ったが、その間、'46(昭和21)年10月には、「ソ連側証人」として東京裁判に出廷。抑留中も過酷な野外労働ではなく室内労働だった。
勿論、茶番な東京裁判に被告側に肝心な名前「瀬島龍三」は無い。

「ソ連人が記した『シベリア抑留秘史』がソ連崩壊後に出た時、瀬島は日本語翻訳版の監修を務めて改竄。私がそれを指摘すると『事実を書いて何が悪い』と開き直りました」
勿論親中派で有名な中曽根首相が「最も頼りにした参謀」'81(昭和56)年3月、「増税なき財政再建」を掲げた鈴木善幸内閣の下、臨時行政調査会が発足。数々の企業を再建させた土光敏夫元経団連会長が、会長を務めた。伊藤忠会長の他にも、日本商工会議所特別顧問などを務め政財界に幅広い人脈を築いていた瀬島は、請われて委員となった。「メザシの土光さん」と愛された土光会長が臨調の「光」なら、瀬島は「影」の存在で、各方面との調整役を務めた。
当時仕事関係での群馬での葬式場にて中曽根 弘文とも合ったが中曽根 弘文のことは皆口を噤んでいた、群馬以外の人には言えない事が多いようでした。勿論中曽根家は親中派の巣窟か・・・・・?

ついたあだ名は「臨調の官房長官」。情報漏洩の元は、「裏臨調」だった。権勢を増していた中曽根康弘行政管理庁長官が毎週金曜夜、赤坂の料亭で開催した会合の異名だ。勿論海軍上がりの中曽根が最も重用したのが、軍隊の先輩でもある瀬島で、二人を中心として、配下の橋本龍太郎党行財政調査会長などと、実質的な方針を決めていた。
その後、公約に反して企業増税を打ち出した鈴木内閣の人気は急落し、'82(昭和57)年に中曽根が後継総理の座に就く。同時に瀬島は、「総理の参謀」となった。瀬島龍三と伊藤忠との関係は、どうも「日本は中国の属国として生きていけばいいのです・・。それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と公言してはばからない丹羽宇一朗前駐中国大使と伊藤忠との関係と似ているような感じがするのは私だけだろうか。
未だ伊藤忠商事は共産圏との国と商売をし金銭回収は第三国を使い利益を上げている事は事実である、元伊藤忠商事の知人が話してくれたのである。日本国の人間に全く情けないが、未だ瀬島龍三から続く親共産派は随分沢山いる事実である。
実は共産主義者が此の国の政治を関与して事が理解出来る、意外と親中派は多く浸透していたとこは事実である、現在米国から指摘された、二階、今井の親中派と名指しされた。
明治44年(1911)生まれの瀬島氏は陸軍士官学校を首席で卒業後、関東軍参謀本部で太平洋戦争の指揮にかかわり、無数の日本兵が餓死したガダルカナル島の撤退作戦では立案主任を務めた。戦後は11年間にわたりシベリアに抑留されたが、その瀬島氏こそが「日本兵をソ連に売り渡した張本人」だとする説がある。いわゆる“シベリア抑留密約説”だ。瀬島氏は終戦直後の1945年8月19日、関東軍とソ連極東軍による停戦交渉に出席。この席上で「ソ連への国家賠償として、日本軍将兵らの労務提供を認める」ことを申し出たというものである。
裏ではロシアと繋がり勿論最初に話した、樺太の真岡郵便局の女性たちの事件に繋がる、東京裁判だけでなく戦争の傷を残した日本人も裁かれなくればならない。此れが日本史の史実である、今こそ正しい歴史を次の世代に公表し二度と戦争はしては行けないことを学んで頂きたい。
此処で改めて解るのは、8月15日に終戦宣言した日で未だ戦いは終わってなかった、勿論日本人は「武士の情け」等の風習がありそれも軍人以外の殺略などはしない、いやできない国民性があるが、アメリカ合衆国は2度も原爆を使い又終戦宣言後も東京空襲を実施した。一般の国民を亡き者にしたのは、よほど日本人が怖かったんであろう、共産党は全く違って自分の国の人間を大量殺略で国を作った人々であることは事実である、長い偽りの日本史を理解し美しい日本を取り戻したいと思う、長い文章にお付き合い頂き大変感謝いたします。
又新たな情報が分かり次第まとめて見ます、ブラボー!