昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

立派になって・・・うれしい再会。

2009-05-13 23:12:01 | 交流
ゆうべおそく四国のKさんから連絡があり、大阪入り
するので時間があれば会いたいということだった

11時半、新大阪駅で会って食事し、お茶を飲みながら
久しぶりの再会を楽しんだ

去年の三月に勉強会を卒業していった10期生の取り
まとめ役としてリーダーシップを発揮してくれたKさん

卒業と同時に社長を継いだがその活躍ぶりは目覚ましい

関連業界の四国某エリアの代表になって今日から二日間
全国の代表者と会合に参加するという

前日は世間でもよく知られている有名経営者にあったと
言っていろいろ報告をしてくれた

いつもはメールで連絡を取り合っているのだが久しぶりに
直接会ってみるとてすっかり落ち着いて余裕すら感じさせ
る姿にうれしくなった

まだ40代の前半というのに社長業は人間を鍛えるのだろう
立派に成長している若き経営者からこちらが力をもらった

こういう出会いが一番うれしい。


女人高野の室生寺を訪ねて。

2009-05-11 20:18:57 | ウォーキング
きのう、「女人高野」とよばれ名刹として知られている「室生寺」へひとり出かけてきた。

春の室生寺は「シャクナゲ」で有名だが、散ってしまってほとんど見ることができなくて残念だった。しかし、四年ぶりの室生寺は、新緑に包まれて優しく、温かく迎えてくれた。最初に室生寺を訪れたのは20歳の学生時代、五月の連休だった。あれから49年になる。その間、何度訪れているかわからないが、いつ来ても室生の里は同じ、再建された五重塔以外は昔のまま。混雑している連休をさけて少しでも静けさの中を訪ねたいと一週間延ばしたので、それなりにのんびりと室生を楽しむことができた。

朝7時に自宅を出て、大阪なんばから近鉄大阪線で室生口大野駅9時48分に下車。ここは三重県との県境に近いところで遠い、連休あとなのに室生口で下車する人は多く、ほとんどの人は室生寺行きバスに乗り、タクシーを利用。



室生寺をめざして歩き始めたのは自分一人だけ。前にも後ろにもまったく人影のないかんかん照りの道をすすむ。

10分も歩くと大野寺の前に着く。大野寺は役行者が白鳳9年(681)に開き、室生寺の西の大門として再興されたお寺で春の大シダレ桜がよく知られている。


お寺の前を流れる宇陀川の対岸の崖には11.5メートルの史跡弥勒磨崖仏が刻まれている、これもおなじみの景色。


大野寺から少し行くと茅葺民家風のお休み処、名物の葛きりの店やまが前


宇陀川にそってすすみ、宇陀橋をわたりしばらく杉の林を上って行く。


室生寺方面から少し外れるが室生ダムへ足を延ばしてみた。ダムへの渓谷にそって咲いている自然の藤をふんだんに楽しめた。


元の道へ戻りわかれ道のある一ノ瀬橋へ近づくと二人づれと三人組の女性がお互いにどちらにすすむか相談しているような姿が見えてきた。ここは、バス通りをすすむコースと東海自然歩道をすすむコースと二通りある。そのままバス通りにすすみだしたが、自分が東海自然歩道へ行くのをみた三人組があわてて戻ってきた。楽なのはバス通りだが、歩き慣れているならアップダウンのある自然歩道を行くのがいい。


東海自然歩道は数日前に雨が降ったのか、石ころ道がぬかっていて歩きにくいうえに暑さで意外としんどかった。気候の急変で夏日を思わせる気温には体が反応できないはずだから、とにかく、無理な歩きをしないように、しんどいと感じたら休憩、水分補給。


かなりすすんだところで夫婦らしき二人に追いついた。亭主のほうが疲れた様子で立ち止まっていた。しばらく会話して先を行く。この二人とは室生寺で再会、元気にしていたのでよかった!


自然歩道は杉林の中をすすむので木漏れ日が当たる程度の日陰道。それでもせせらぎの音が心地よく伝わり、谷を時折流れる風もやさしい、ウグイスの声も聞こえる。大自然に包まれて歩いている自分、今日は母の日、目に映るものすべてがやさしい春の装いで、まるで母の懐を歩いているような感じだった。



しばらく行くと石畳になり頂上部分の門森峠に着いた。ここからは自然道の下り坂。落ち葉の道をしっかり踏む、大地からエネルギーをもらい生きていく力に。木に、花に、落ち葉に話しかけながら急な下り坂をしっかりと下りていく。


おやおや、お散歩ですか!


目の前に室生の里が開けてきた。山に囲まれて高低差のある室生の里は一段と新緑が冴え、田植えの終わった稲田からかえるの声がのどかに聞こえていた。



あっ、カーブミラー・・・遊ぼう、ランドセルの大好きミラー遊び!


12時に室生寺着を予定していたが、ダムに寄り道したこともあって12時15分に到着着した。室生川にかかる朱の太鼓橋を渡ると正面に室生寺表門。




橋上からの眺める室生寺や周辺の景色はちっとも変っていない。観光客も多い。ウォーキング(ハイキング)姿のグループも大勢きていた。受付事務所でご朱印をもらって弁当を先にすませていよいよ奥の院までぐるりめぐりに出発。



室生寺は女人禁制だった高野山に対して、女人の参詣を認めたことから女人高野とよばれており、いつ来ても圧倒的に女性が多い。
奈良時代後期、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願が興福寺の高賢憬(けんきょう)が行い創建、後に弟子の修円が寺観をととのえたと言われている。以来、山林修行の道場として伝わってきたが一時衰退、五代将軍綱吉の生母桂昌院の庇護のもとに真言宗に改宗したといわれている。
室生寺の地形的な特徴は山の中腹へ一段ずつ上がるように建物が配置され、階段を上りながら周囲の雰囲気を楽しむことができるのが他のお寺と違うところだと思う。

最初は「よろい坂」の階段を上る、この両側にシャクナゲガ咲いている室生寺を紹介する写真が代表的な一つ、残念ながら一週間遅かった。



階段を上ると正面は「金堂」(平安初期・国宝)、ここにはご本尊で有名な釈迦如来像の立像(平安・国宝)が正面に、そして左右に薬師如来、地蔵菩薩、文殊菩薩、そして国宝の十一面観音像が配置されている。


この山間にたたずむ室生寺と優れた仏教美術を世間に広く知らしめたのが写真家の土門拳さんで昭和14年に最初に訪れたそうだ。

よろい坂をのぼって左にあるのが「弥勒堂」(鎌倉・重文)。ここにも国宝の釈迦如来座像がある。


金堂左手の階段を上ると新緑のもみじに包まれるような「本堂」(灌頂堂・鎌倉・国宝)の前に出る。



ここから左手に写真でおなじみの五重塔へ上る階段をいくのだが、だれも、簡単には上らない、これもいつ来てもおなじみの光景。
階段下から見える五重塔を見つめる顔、顔、顔がずらり。そしてカメラの行列。ここを上り下りするのは勇気がいる、カメラがたくさん構えているのだから、でも、女性は遠慮なしだ、人の少ないところを狙って待つのには辛抱、辛抱、ここだけは気の短い自分も少しは気長になるのだから不思議。 


室生寺の魅力、五重塔は、平成10年の台風で樹齢650年の杉が倒れ直撃。しかし、全国からの義捐金でわずか二年で修復。国宝で高さは16.1メートル、屋外に建つ五重塔では全国最小。京都東寺や奈良法隆寺、興福寺の巨大な五重塔と比較するとあまりにも小さい。



いつもはここで引返すのだが、朝早く出てきたのも「奥の院」を訪ねるためで久しぶりにその奥の院へ向かった。


何十年ぶりやら。杉の巨木、原生林に囲まれた386段の急な階段は地獄の階段。毎日、ビル七階にある仕事場をエレベーター使わず三年以上も上り下りして階段には強いと自認しているので音をあげるわけにはいかない、普段の成果如何に。
さあ、ここからスタート!


うーん、こりゃたまらん、でも、やっぱりきつかった。


室生寺「奥の院・御影堂」(鎌倉・重文)には、弘法大師四十二歳の像が安置されていてここにも訪れる人が多かったのには驚いた。


振り返ると恐怖を感じた。


そして下りながら、もう一度、訪れた建物に寄った、お母さんの介護をしている人に渡したくて女人高野の平癒祈願のお守りを買って、バスの時間待ちしながら室生の町並みをぶらぶら。バスで近鉄室生口大野駅まで出た。ひと駅大阪寄りがボタンで有名な長谷寺なので帰り道、寄ることも考えてきたのだが、今日は室生寺の日にしょうと下車しないで、リュックに入れていた比叡山1000日回峰行の酒井雄哉師の本を読んでいたら
“今日生きていくことは、明日生まれ変わるための準備運動”という一節に出会った。
“ああ、今日もいい出会いがあった”

新緑のご近所さんウオーキング。

2009-05-09 20:17:38 | ウォーキング
久しぶりの晴天につられてご近所さんウオーキングを楽しんだ

自宅から300メートルほどで甲子園球場八個分の広さがある
大阪三大緑地の一つに行く



ここはウオーキングを始めた思い出のところでいまなおマイウ
ォーキングコースにしているところだ


好天に恵まれて人でも多く、写真やウオーキングや散策を楽
しむ人でいっぱい


この緑地には大きな池もあれば競技場、テニスコートプールや
バーベキューセンター、乗馬センター、ユースホステル、日本
民家集落館等さまざまな施設もそろっていて、普段は小学生や
幼稚園児の遠足のメッカとして親しまれている


この時期は、バラがきれいでデジカメを使い始めた頃からこの
時期は毎年バラを撮るのを楽しみにしている






他にも年中、季節の花がいつも目を楽しませてくれる
円形花壇の見える休憩所は弁当を食べる人、休憩をする人で
満員今日は休憩なしに園内をウォーキングした


桜も紅葉も多いが、竹林も広く、公園の端にある乗馬センター
まで足を延ばしていいウオーキングだった



日差しがきつくて汗が噴き出てくるほどの暑さの中を久しぶり
にデジカメウォーキングを楽しんだ。

紙芝居・・・あの人が!

2009-05-08 22:07:49 | 交流
NHK9時のニュースをなにげなく見ていて
なつかしい人にびっくりした

「紙芝居復活 後継者出てこい」
むかし懐かしい紙芝居の復活にかけて
後継者育成に取り組んでいる
紙芝居師のY野さん

30年も前になるだろう
自分が今の仕事の駆け出しのころ

大阪のある勉強会に参加していた時に
その会に参加していたのがY野さん

明るくて表情が豊かで人を引きつける人だった
それに話がとても上手だった

その当時から紙芝居を始めていた
いまの仕事場で開催していた早朝勉強会にも
一度だけ講師できてもらったことがある

あれから30年余
交流はまったくなく紙芝居を続けていたとは
知らなかった
テレビの画面を見て年を重ねていることを除けば
声も表情もまったく変わっていなかった

テレビ時代に紙芝居は
苦労したはずだ
よく頑張っているなあ
全国を回って活動を続けているらしい

Y野さんの紙芝居を食い入るように見ている
子供たちの顔が印象的だった
頑張ってほしい。


今日の山陽新幹線レールスター

遠くなったふるさと、さびしかった連休。

2009-05-07 23:06:35 | 家族
連休が終わり普段通りの
生活に戻った


今年は3日から
お天気がすっきりしなくて
どこへも出かけず読書と
原稿書きで過ごした


例年は介護生活をしていた
郷里の母を見舞いに帰るのが
行事になっていたが


今年はふるさと帰りを
することもなくなって
落ち着かない日々を
過ごしてしまった


なんだか急にふるさとが
遠くなったみたいで
さびしいやら
物足らないやら


こうして
少しずつ
ふるさと離れが
始まるのだろうか


母の日を前に
今年はなにを
しようか
その必要もなくなった。




さわやかに頑張るベテランさん!

2009-05-06 20:44:50 | 輝いて生きる
森光子さんの放浪記2000回公演が
5月9日、帝劇で達成されるという

毎日スクワットを200回して
48年間、88歳まで演じ続けた裏に
この努力がすごい

昨日46歳の誕生日を好投した工藤公康投手
日本人メジャーで初40歳登板の高橋健さん
中日の山本昌投手・・・

超ベテランのさっそうとした活躍には
文句なしに大拍手を送りたい

ここまで生きてきたのに
あまりに自分と違いすぎることに
思わず生まれ変わったら・・・

と「たら」を持ち出してしまう

なにが違うのやら。

音楽祭・仲間の応援に行って!

2009-05-05 19:21:40 | 輝いて生きる
所属している会の同期生が
大阪ビジネスパーク内のミュージックホールで
大手楽器店が主催している音楽祭の
楽器とボーカルの部に出演するというので
同期生で応援に行った。

300余組の中から予選を突破した35組が
6月のグランプリ出場を目指して競うセミファイナル

出場者はすべてその楽器店の各教室の生徒と卒業生で
面白いのはデュエットだから35組70人が出演する。
(二人ひと組で楽器とボーカルのペア)

素人だからと友人の出番以外に興味はなかったが
前から二列目に陣取って最初から聞いていると
意外や意外、うまい!
その熱気と(応援もすごい)


驚いたのは、男性の半分くらいが
中高年のおじさん達

衣装も工夫しかっこいい
楽しそうな姿にも
すっかり魅了されてしまった。

ここに出演する仲間のことだが
40代のバリバリの開業医
このDR、チャレンジ精神が旺盛な人で
次から次へ、毎年、何かにチャレンジして
マスターをしている

ウォーキングにも参加したがっていて
いつも紳士的に接してくれるナイスDR

彼のサックスは何度も聴いているが
今回はボーカルで予選を突破したというので
えっ?と思っていたが

これが想像以上にうまい。


絶対に8組のグランプリ出演に選ばれると
お墨付きをして

途中から退場
2ケ月ぶりのメンバーと食事に行き
最終の発表を待った。

予想通り、グランプリ出場8組に入った

本人を呼び出して祝勝会&激励会!

飲みすぎて帰ったらバタンキュー
ブログのことなどすっかり忘れていた。

仲間たちは、みな、それぞれ、何かに
チャレンジしている者ばかり

一回り以上も若い連中から
刺激とパワーをもらう
自分にとってはかけがえのない連中だ。

何かあれば必ず声をかけてくれて
大事にしてくれる
女性たちはランドセル父さんと呼んでくれる
こそばゆい!


演奏や歌を聴きながら思った
ほんとうに楽しそうにやっている
特におじさん達の姿がうらやましかった。

やっぱり見ているだけではだめだ

よし、来年の予選会には出てやる!

思わず言ってしまった。

一度、言うと広まってしまう

ありゃ

えらいこと言ってしもた

どこかの教室に行くということになるぞ。

・・・・・・。

チャレンジするなら

あれだ



会場で決めたが・・・

えーと

授業料・・・

どこから捻出するか

こっちも大変。


ブログ満2年、今日から3年目です!

2009-05-03 21:35:07 | チャレンジ
ブログを開設したのが2007年5月3日

この間のような気がするがもう2年が過ぎた

代わり映えしない内容ばかりだが

ここまで続けてきたことをほめてやりたい。


その間、先に始めていたSNSはやめたり休会したり

かろうじて続けたり・・・

最後はやっぱり自分の自由になるブログに戻ってくる。

3年続くがどうかはわからないが

3年目を書いていきたい。


実は、古希を記念(きっかけ)にして

新しいブログを始めたいのだが

何かをやめなければならず

なかなか難しい。

福沢諭吉と緒方洪庵の跡を訪ねて。

2009-05-02 23:37:00 | ウォーキング
連休の行楽地は人出でいっぱい、インフルエンザ騒ぎのマスク族の中を歩く気にはならないので、休日で人の少ない大阪市内ビジネス街を歩くことにした。

最近、書店で福沢諭吉の書物をよく見かけるので、そうだ、今日は福沢諭吉の生誕地を久しぶり訪ねてみよう、そして、緒方洪庵の適塾、大塩平八郎の乱の跡を訪ねて歩く、題して江戸から明治への動乱期に活躍した大阪の人物伝ウォークコース。
12時半、スタートはJR大阪環状線福島駅、なにわ筋を南へ歩き、朝日放送前を通り堂島川にかかる玉江橋の手前を左折すると福沢諭吉の誕生地がある。

    
     天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ


と石碑に彫られている。ここは元中津藩蔵屋敷跡があったところ。天保5年(1835)、諭吉はここで生まれた。後に中津へ戻り、長崎で蘭学を学んだあと、再び大阪へ出て緒方洪庵の適塾で学ぶ、やがて塾長となった。安政5年(1858)、江戸で蘭学塾を開き、明治元年(1868)に慶応義塾と改称、いまの慶応義塾大学となった。
この周辺は大阪大学医学部付属病院があったところで、阪大移転後は空き地になっていたが、周辺が整備されてほっとした。
堂島川にそって中之島方面に上がっていく。ここは川にそって全国各藩の蔵屋敷が建っていたところだ。


田蓑橋の北詰に蛸の松といって蛸が泳ぐような形をした松が一本立っているが、この松は広島藩と久留米藩との境にあったそうだ。


田蓑橋を渡り国立国際美術館、市立科学館前を通り、筑前橋の手前を土佐堀川にそって整備されたプロムナードをすすみ、肥後橋を渡り四ツ橋筋一つ目を左折。
休日で人のいないオフィス街をすすむと住友信託ビルの一角に帝国座跡がある。帝国座は明治43年(1910)新演劇の拠点として建てられた。



さらにオフィス街をすすむ、ビジネス戦士の街もこんな休日風景。


御堂筋に出たところで淀屋橋へ寄り道、ここには淀屋橋をかけた豪商・淀屋の屋敷があったところで碑がたっている。




ここで休憩、スターバックスへ、コーヒーを飲みながら書きかけている原稿の下書きを30分ほどした。


リュックには常に筆記用具と原稿用紙を入れているので時間活用。


日本生命本店の壁面に立派なモニュメントがある懐徳堂旧址の碑へ、享保9年(1724)に儒学者らでつくった私塾。


少しすすむとビル街に古い屋敷風の建物、愛珠幼稚園へ。
明治34年に建てられたわが国最古の幼稚園。


正門脇に同座の跡の碑が立っている。ここは明和3年(1766)に開かれ胴を管理していたところ、江戸時代、銅はわが国の重要な輸出品であった。
向かいの財団法人洪庵記念会ビル・クリニックセンター前には除痘館跡の碑もある。


さらにオフィス街を適塾をめざしてすすむ。
適塾は、天保9年(1838)に緒方洪庵が医業と同時に開いた蘭学塾。町家風の建物でいまも残っている。ここでは医学だけでなく福沢諭吉、大村益次郎など、幕末の動乱期に数多くの有能な人材を生み出した。吉田松陰の松下村塾と並び称せられ国の重要文化財に指定されている。塾を開く前年に後に出てくる大塩平八郎の乱がおきている。


建物の右隣がちいさな広場になっており緒方洪庵の座像がある。


土佐堀川にかかる栴檀の木橋を渡り中之島公園に入ると正面に中之島公会堂、図書館、東洋陶磁美術館がある。



中之島公園は明日から三日間、中之島まつりが開催されるために準備がすすめられていた。堂島川にかかる鉾流橋を渡り北へしばらくすすむ。国道1号線に出て右折、ビル街を南森町、天神橋商店街を過ぎ落語寄席の天満繁盛亭から大阪天満宮へ寄り道。大阪天満宮は大塩平八郎の乱で全焼した。



天満宮のすぐ斜め前の創業180年の老舗料亭「相生楼」の門前脇に川端康成の生誕之地の碑がたっている。



その前を通り再び1号線へ、しばらくすすむ、やがて造幣局が見えてくる。


造幣局北口の手前国道1号線横に大塩平八郎の乱があった場所に石碑だけが立っている。


天保8年(1837)2月19日朝、大坂で勃発したのが大塩の乱。その背景には天保の大飢饉が深刻な状況にありながら、なんら救済措置をとらなかった町奉行の怠慢にあった。救民を旗印に峰起したのが大塩平八郎だった。大塩の乱後、全国に一揆が多発した。多くの民衆の支持を得たのだった。
大塩は、元大阪東町奉行所の与力、後に陽明学者として多くの門弟を育てている。乱後に自害。

桜宮橋でUターンして一号線東天馬から北へ三筋目の寺町通りを左へ、お寺の続く通りには歴史上の碑があちこちに立っており、観音めぐりのお寺が目立つ、掲示板に書かれている言葉が興味深い。このあたりは与力町、歴史上の地名が残っている。緒方洪庵の墓所。


寺町通りを天神橋商店街を横切ると大橋平八郎の墓所前に出た。お寺の中には大塩平八郎の乱で亡くなった人たちを弔った墓も立っている。


堀川恵比寿、お初天神(露天神)を訪ね、JR二駅分を歩いて大阪駅前へ、旭屋書店へ寄って福沢諭吉の福翁自伝を買って戻ってきた。
約19000歩。顔が日焼けし鼻が赤くなっているのに驚いた。



親指さんが痛い!

2009-05-01 23:51:18 | 健康
右手の親指の痛みがひどくなった

3月17日のブログで

仕事場で椅子に座りそこなって転び
右手親指を反り返るようについてしまった
ことを書き込んだが

そのご痛みも引いていったので時間をかければ
治るだろうとかまえていた

きのう、きょうと
手書きの原稿をパソコンで整理していたら
痛みがぶり返してきて

今日は一日、親指が使えなかった

連休が続くので病院に行かれない
このまま我慢する以外ないが

甘く見てしまったツケが
いまになってまわってきた。

ゆううつ。