きのう、「女人高野」とよばれ名刹として知られている「室生寺」へひとり出かけてきた。
春の室生寺は「シャクナゲ」で有名だが、散ってしまってほとんど見ることができなくて残念だった。しかし、四年ぶりの室生寺は、新緑に包まれて優しく、温かく迎えてくれた。最初に室生寺を訪れたのは20歳の学生時代、五月の連休だった。あれから49年になる。その間、何度訪れているかわからないが、いつ来ても室生の里は同じ、再建された五重塔以外は昔のまま。混雑している連休をさけて少しでも静けさの中を訪ねたいと一週間延ばしたので、それなりにのんびりと室生を楽しむことができた。
朝7時に自宅を出て、大阪なんばから近鉄大阪線で室生口大野駅9時48分に下車。ここは三重県との県境に近いところで遠い、連休あとなのに室生口で下車する人は多く、ほとんどの人は室生寺行きバスに乗り、タクシーを利用。
室生寺をめざして歩き始めたのは自分一人だけ。前にも後ろにもまったく人影のないかんかん照りの道をすすむ。
10分も歩くと大野寺の前に着く。大野寺は役行者が白鳳9年(681)に開き、室生寺の西の大門として再興されたお寺で春の大シダレ桜がよく知られている。
お寺の前を流れる宇陀川の対岸の崖には11.5メートルの史跡弥勒磨崖仏が刻まれている、これもおなじみの景色。
大野寺から少し行くと茅葺民家風のお休み処、名物の葛きりの店やまが前
宇陀川にそってすすみ、宇陀橋をわたりしばらく杉の林を上って行く。
室生寺方面から少し外れるが室生ダムへ足を延ばしてみた。ダムへの渓谷にそって咲いている自然の藤をふんだんに楽しめた。
元の道へ戻りわかれ道のある一ノ瀬橋へ近づくと二人づれと三人組の女性がお互いにどちらにすすむか相談しているような姿が見えてきた。ここは、バス通りをすすむコースと東海自然歩道をすすむコースと二通りある。そのままバス通りにすすみだしたが、自分が東海自然歩道へ行くのをみた三人組があわてて戻ってきた。楽なのはバス通りだが、歩き慣れているならアップダウンのある自然歩道を行くのがいい。
東海自然歩道は数日前に雨が降ったのか、石ころ道がぬかっていて歩きにくいうえに暑さで意外としんどかった。気候の急変で夏日を思わせる気温には体が反応できないはずだから、とにかく、無理な歩きをしないように、しんどいと感じたら休憩、水分補給。
かなりすすんだところで夫婦らしき二人に追いついた。亭主のほうが疲れた様子で立ち止まっていた。しばらく会話して先を行く。この二人とは室生寺で再会、元気にしていたのでよかった!
自然歩道は杉林の中をすすむので木漏れ日が当たる程度の日陰道。それでもせせらぎの音が心地よく伝わり、谷を時折流れる風もやさしい、ウグイスの声も聞こえる。大自然に包まれて歩いている自分、今日は母の日、目に映るものすべてがやさしい春の装いで、まるで母の懐を歩いているような感じだった。
しばらく行くと石畳になり頂上部分の門森峠に着いた。ここからは自然道の下り坂。落ち葉の道をしっかり踏む、大地からエネルギーをもらい生きていく力に。木に、花に、落ち葉に話しかけながら急な下り坂をしっかりと下りていく。
おやおや、お散歩ですか!
目の前に室生の里が開けてきた。山に囲まれて高低差のある室生の里は一段と新緑が冴え、田植えの終わった稲田からかえるの声がのどかに聞こえていた。
あっ、カーブミラー・・・遊ぼう、ランドセルの大好きミラー遊び!
12時に室生寺着を予定していたが、ダムに寄り道したこともあって12時15分に到着着した。室生川にかかる朱の太鼓橋を渡ると正面に室生寺表門。
橋上からの眺める室生寺や周辺の景色はちっとも変っていない。観光客も多い。ウォーキング(ハイキング)姿のグループも大勢きていた。受付事務所でご朱印をもらって弁当を先にすませていよいよ奥の院までぐるりめぐりに出発。
室生寺は女人禁制だった高野山に対して、女人の参詣を認めたことから女人高野とよばれており、いつ来ても圧倒的に女性が多い。
奈良時代後期、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願が興福寺の高賢憬(けんきょう)が行い創建、後に弟子の修円が寺観をととのえたと言われている。以来、山林修行の道場として伝わってきたが一時衰退、五代将軍綱吉の生母桂昌院の庇護のもとに真言宗に改宗したといわれている。
室生寺の地形的な特徴は山の中腹へ一段ずつ上がるように建物が配置され、階段を上りながら周囲の雰囲気を楽しむことができるのが他のお寺と違うところだと思う。
最初は「よろい坂」の階段を上る、この両側にシャクナゲガ咲いている室生寺を紹介する写真が代表的な一つ、残念ながら一週間遅かった。
階段を上ると正面は「金堂」(平安初期・国宝)、ここにはご本尊で有名な釈迦如来像の立像(平安・国宝)が正面に、そして左右に薬師如来、地蔵菩薩、文殊菩薩、そして国宝の十一面観音像が配置されている。
この山間にたたずむ室生寺と優れた仏教美術を世間に広く知らしめたのが写真家の土門拳さんで昭和14年に最初に訪れたそうだ。
よろい坂をのぼって左にあるのが「弥勒堂」(鎌倉・重文)。ここにも国宝の釈迦如来座像がある。
金堂左手の階段を上ると新緑のもみじに包まれるような「本堂」(灌頂堂・鎌倉・国宝)の前に出る。
ここから左手に写真でおなじみの五重塔へ上る階段をいくのだが、だれも、簡単には上らない、これもいつ来てもおなじみの光景。
階段下から見える五重塔を見つめる顔、顔、顔がずらり。そしてカメラの行列。ここを上り下りするのは勇気がいる、カメラがたくさん構えているのだから、でも、女性は遠慮なしだ、人の少ないところを狙って待つのには辛抱、辛抱、ここだけは気の短い自分も少しは気長になるのだから不思議。
室生寺の魅力、五重塔は、平成10年の台風で樹齢650年の杉が倒れ直撃。しかし、全国からの義捐金でわずか二年で修復。国宝で高さは16.1メートル、屋外に建つ五重塔では全国最小。京都東寺や奈良法隆寺、興福寺の巨大な五重塔と比較するとあまりにも小さい。
いつもはここで引返すのだが、朝早く出てきたのも「奥の院」を訪ねるためで久しぶりにその奥の院へ向かった。
何十年ぶりやら。杉の巨木、原生林に囲まれた386段の急な階段は地獄の階段。毎日、ビル七階にある仕事場をエレベーター使わず三年以上も上り下りして階段には強いと自認しているので音をあげるわけにはいかない、普段の成果如何に。
さあ、ここからスタート!
うーん、こりゃたまらん、でも、やっぱりきつかった。
室生寺「奥の院・御影堂」(鎌倉・重文)には、弘法大師四十二歳の像が安置されていてここにも訪れる人が多かったのには驚いた。
振り返ると恐怖を感じた。
そして下りながら、もう一度、訪れた建物に寄った、お母さんの介護をしている人に渡したくて女人高野の平癒祈願のお守りを買って、バスの時間待ちしながら室生の町並みをぶらぶら。バスで近鉄室生口大野駅まで出た。ひと駅大阪寄りがボタンで有名な長谷寺なので帰り道、寄ることも考えてきたのだが、今日は室生寺の日にしょうと下車しないで、リュックに入れていた比叡山1000日回峰行の酒井雄哉師の本を読んでいたら
“今日生きていくことは、明日生まれ変わるための準備運動”という一節に出会った。
“ああ、今日もいい出会いがあった”