昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

あれから2年、どこまで進化したやら・・・

2007-10-07 17:26:54 | チャレンジ
2年前のきのう、木村さんの塾に入った。

この時を逃したら、多分、木村さんには2度と
会って、直接に学ぶ機会はないだろう
そんな気がして開講時間寸前の飛び込みだった。

あれから2年がたった。

この2年間、学んだことで
何が変わったのだろう・・・

そんなことを、昨日の淀川下りのウォーキングで
ずっと考え続けていた。

65歳の敬老会デビューに反発して
ストップザトシヨリ!

そのきっかけを求めたが
具体的には「パフォーマンス」が学びたかった。

そんなことは、役者でも志望しない限り
チャンスはないだろうと思ったからだ。

自分をどう表現するか、自己演出のヒントを
湊先生と言う有能な演出家からたくさん学んだ。

発声、動作・・・パフォーマンス
実習は、楽しくて、すばらしかった。

どこまで、身についているかどうかはわからないが
常に意識はしているほうだ。

でも、やっぱり、反応が鈍い。

もっとも、若者でも、女性でも、若年寄の動きを
している姿はいくらでもみかける。

メリハリの利いた動作・・・
腹からの声・・・
ウォーキング・・・

日常生活のちょっとした場面でいくらでも工夫ができる。

いま、一番気になっていることは
だんだんと声に力がなくなってきたことだ。
昔を知る人に言われるのだから間違いない。

一日、張りのある声でしゃべられるように
朗読の会とかボイストレー二ングで鍛えたい
ネットで適当な学びの機会がないか探しているのだが。

そんな3年目も、ランドセル少年の姿が原点だ。

来週、その塾も最終期がスタートする。
もう一度、再入塾しょうかと思ったりもしたが
それは甘え、そんな時間はないはずだ。


大好きなウォーキングに、パフォーマンスを組み込んだ
パフォーマンスウォーキングをメニューに入れたい。

そして

いつでも、どこでも、だれにでも

明るく、楽しく、元気よく、わやかに!


ストップザトシヨリ! 


写真は、第3講目に教室の入口で撮られたランドセル少年。

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/5494f2df7cd90d9656aa2b8e61e14e59

秋の夕日を追って、淀川サンセットウォーク。

2007-10-06 21:40:41 | ウォーキング
すばらしい秋空につられて大好きな淀川下りウォークをして
きた。

郊外のウォークもいいが、こんな日は、思い切り、自分のペ
ースで、歩いてみたい。
午後2時半、阪神電車西大阪線の伝法駅から淀川にそって
歩き始める。
こちらは大阪市此花区、向かい側は大阪市西淀川区。


スーパー堤防を一気に下って大阪湾まで歩く淀川下りコース。
このあたりの堤防は、阪神大震災で1,800メートルにわたり
大きな被害を受け、写真のような大きな堤防に生まれ変った。


どんどん下っていくと大阪湾に一番近い阪神高速道路が近づ
いてくる。この橋も大きな被害を受けた。神崎大橋。


高速道路の下を通り、さらに進むと


緑がいっぱい、広い公園があらわれてくる。大阪北港ヨット
ハーバーの一角にある公園だ。
ブラスバンドの練習や運動会の模擬演技の練習か、散策中
の人や寝転んでいる人、たくさんの人が木々の陰で休んで
いる。淀川の河口に近ずくと川幅も広い。



大阪北港ヨットハーバー


恒吉大橋の上から、ここでしばし、下を行き来する船を眺めて
時間調整。背景は休憩したヨットハーバー。



恒吉大橋をわたりいよいよ舞洲へすすむ。


最初に出会うのが、大阪市清掃局の工場。カラフルなデザイ
ンの建物でまるでレジャー施設みたい。


舞洲は埋立た洲。大阪がオリンピックを誘致したとき、ここを
メイン競技施設に計画をしていた。アリーナ、野球場等の施設
がある。自転車、ウォーキングコースも整備されている。
何度も歩いているお気に入りのコースだ。磯コースをすすむ。
背景は六甲山。大阪湾の入り口だ。


淀川河口あたり・・・ここは大阪湾、向こうは六甲の山並み。


舞洲の磯コースをすすんで舞洲の最先端に行く。目の前は、
大阪湾。六甲山、神戸、淡路島、大阪泉州方面が見渡せる。


今日の目的は、ここ舞洲の先端にある新夕陽丘から明石海
峡に沈む夕日をみることだ。


新夕陽丘、ここには、何度も来ているとても好きなところだ。
午後五時を少し過ぎたところ。すでに夕日を見にきた人たちで
かなりの人が、場所取りをしている。ほとんどが若いカップル
さんで・・・

その報告は、写真の通り。

舞洲一の標高26メートルを誇る頂上から撮った本日の
夕日だ。

明石海峡に落ちて行く夕日、拡大するとよくわかるのだが
左が淡路島、右が神戸方面。
中央手前が神戸空港大橋、後ろの高い橋脚が明石海峡大橋。









舞洲の東側にあるシーサイドプロムナード、ここもデートスポ
ット。夏はここで噴水の光のライトアップが楽しめるところ。
右側が夢洲。橋は舞洲と夢洲にかかる夢舞大橋。


そこで同年輩のおじさん達が釣りを楽しんでいた。
正面が明石海峡、日没前。左側が夢洲。


ログハウスやバーベキュー等野外活動センターもある舞洲。


帰りは、暗くなった此花大橋を渡る。1700メートルの長い
大きな橋からは大阪の夜景が365度みわたせる隠れた夜景
スポット。暗い夜の長い橋を歩いて渡る物好きはいない。
ここを何度も歩いているから平気なのだが、こんな時間に車
の通行も少ない。下りてしばらくは人のいない暗い工場街な
ので夜に歩くのはすすめられない。


恒吉大橋を渡る時に撮った此花大橋の全景。奥のほうに大
阪港がある。左に行くと天保山。

橋を渡り、恐怖のラセン階段を下りて約30分、USJの横を
歩いてJR桜島駅へ。ユニバーサルスタジオの路線電車。


秘蔵の秘コースを歩いて、また、日焼けした。 約15キロ。

夢に向かって一歩ずつ、また、教えられた!

2007-10-03 20:20:54 | チャレンジ
昼食のあと、いつものように書店にぶらりと寄った。

コンサルティング業界を特集した専門誌が目についた。
ぱらぱらとめくっていると、見覚えのある顔写真・・・

あっ、Aさんや!

2ページにわたって会社の紹介がしてあり
社長の名前も経歴も間違いなくAさん!

40代になったばかりの彼が、な・ん・と!
東京で40名のコンサルタントを抱えて
コンサルティングの会社を経営している。

10年ほど前に、大手企業の学習意欲の高い管理者クラスの
ビジネスマンが、私の事務所へ集まってきて
定期的に勉強会形式の交流会を主催していたが

Aさんは、その中では若手の一人で外資系保険会社の営業マンだった。

本が好きで、グループの中では「読書会」のリーダーをやってもらっていた。

もともと大手企業からの独立組で、当時の保険会社でも
賞をもらうほど営業成績のいい人だった。

自分には夢がある、そのために、いまは、知識や技術を身につけ
人脈を広げる時だからと、とにかく熱心に飛び回っていた。

いつまでも、契約とりに走りまわる仕事で終わるつもりはない
・・と熱っぽく語っていたことを思い出す。

その後、友人と保険関連の会社を起こしたり
コンサルティング会社に入って全国を飛び回ったりしていたが
まさか、東京に拠点を移して、新しい会社を創業していたとは
まったく知らなかった。
すべて予定の行動だったのだろう。

2002年に交琉会を閉じたあと
自分が、ウォーキングに夢中になっている間に
彼は、将来の夢に夢中になって、その夢の道を歩いていたのだ。

(ウォーキングはメンバーの運動不足を解消するために立ち上げた)

実は、うちの息子も東京でコンサルティング業界に身をおいている。
休みとか時間外とかは関係なし。
本人の能力のみが勝負のきびしい世界だ。

その業界で40人を率いているというAさん。
もう、彼の足元にも及ばないが、こっちも現役だ、負けてなるものか!

うれしい刺激をありがとう!

”ありがとうございました”を言わない人たち。

2007-10-02 16:32:00 | 仕事
きのう、午後一時から五時まで、大阪市内で
国の出先機関の管理者の皆さんの研修会に行ってきた。

試験を通って入ってきて、また、試験に合格してポストを
得た人たちだから賢い人たちなんだ。

毎度のことだが、この人たちは

”ありがとうございました”という言葉を使わない。

最初に号令係りの指示で起立はするが、言葉はなにも発しない
こちらは”よろしくお願いします”というのだが無反応。

休憩の前後に

”ありがとうございました”

”よろしくお願いします”

と繰り返すが、お辞儀だけだ。

民間の企業なら、必ず、同じ言葉で返答をしてくるので
それが一つのけじめになり、信頼関係になっていくのだが
毎度のことで、知っているとは言え、驚いてしまう。

休憩時間に、個人的に会話をしかけると
どこにでもいる、ごく普通の人たちなんだが
なぜ、その簡単なあいさつことばが使えないんだろう。


子供が就職活動をしていた時

”ありがとうございます(した)”

を言わない職場、職種を選んでほしくないと言った。

人として、生きていく上でもっとも大切なのは「感謝」の心だ。
そこがすべての原点、それを知らずして、人の上には立てぬ。
いや、立ってはならない。

お役所には、その言葉がない。
いつか、そのことをある市役所の課長研修で言ったら

「われわれはサービス業ではない、法にのっとって仕事をすすめるのが務めだ」
と言った人がいた。

まあ、こんな人は、少数だとは思うが。
確かに使う場面は少ないのかもしれない。


昨日のことに戻って・・・

それでも、休憩時間やグループワークの中に入っては、会話を続けていくと
だんだんと気持ちは通ずるものだ。

ここは、長年の経験が生きてくる、こちらの雰囲気に包みこむ。

最後の合礼で

”ありがとうございました”と気持ちをこめて言った!

”ありがとうございました”と返ってくるかなと半分期待したが

でも、返ってこなかった。


そのかわり


一呼吸おいて

なんと


「拍手」が返ってきた。


講演ならいざ知らず「拍手」とは・・・


これが彼らの精一杯の感謝の気持ちなんだろう
と思ってありがたく、こちらも一緒に「拍手」した。

あーよかった!

中には、帰り際、あいさつをしに来てくれる人もいた。

気持は通じているんだ。

エレベーターまで見送りにきてくれた研修課長は
ていねいにお礼を言ってくれた。

自分の心に、”ありがとうございます(した)”ということばを
貰って当然という思い上がりがあったことも事実。


公的な立場にある人たちは、「感謝」の気持ちを言葉に
置き換えることに慣れていないだけなんだろう。

「自分たちがしてやっているんだ、動かしているんだ」
ということではなく

「大事な仕事をさせてもらっているんだ」という感謝の
気持ちを、エリートと言われる人たちが強く自覚して
さらに国民に目を向けた温かみのある仕事をしていただく
ことを期待したい。
すばらしい専門能力の持ち主なんだから。




今日は記念日。

2007-10-01 20:49:42 | ウォーキング
7年前の今日2000年10月1日は、ウォーキングを始めた日。
還暦の60歳だった。

その年の夏前にウォーキングを始める決意はしていたが
暑い夏場では続かないだろうと
あえてこの日と決めて、決意の歩き始めだった。

毎日、歩くたびにカレンダーに丸印をつけ
区切りの回数になるとご褒美を出して
やめないよう、続ける工夫をしながら歩き続けた。

あれからまる7年、よく歩いてきたものだ。
もし、あの時、歩くことを始めていなければ
いま、どんな生活をしていただろうと思うとぞっとする。

同じ歩くのなら楽しく歩こうと、毎年、思い出になる
イベント歩きを考えた。

書き出してみると懐かしい思い出の記録になっている。

62歳のとき、大阪環状線一周完歩(大阪駅→大阪駅)
63歳のとき、琵琶湖から大阪湾まで完歩(瀬田唐橋→大阪湾舞洲)
64歳のとき、琵琶湖一周完歩(瀬田唐橋→瀬田唐橋)
65歳のとき、しまなみ海道完歩(尾道→今治)
66歳のとき、熊野古道完歩(大阪八軒家船着場跡→熊野本宮大社)
67歳のいま、旧東海道五十三次をウォーク中(いま鈴鹿市まで)

”一人でよく歩きますね”と言われる。
結果をみれば確かに、それなりの日数で、それなりの距離を
歩いてきた。

しかし、所詮、一歩の積み重ねにすぎない。

一歩を踏み出したから実現できたことで特別なことは
なにもしていない。

やったことは、ただ、一歩一歩、歩いただけのこと。

そのことは、大きな教訓となった。

一歩踏み出す勇気さえあれば、物事は、それなりに成就するということ。

今夜は、8年目のナイトウォークのスタートだ。

いつものように一歩、一歩、胸を張って歩こう!