日経新聞で楽しみなのが「私の履歴書」を読むことだが
今月の慶応大学名誉教授の米沢富美子先生の履歴書
には久々に朝刊が待ち遠しいくらい高揚させられている
男性の自分がそこまで惹きつけられているくらいだから
女性の読者には、きっと、わくわく、どきどきしながら
男性と堂々と渡り合って活躍してきた米沢先生に魅せら
れているのではないかと思う
米沢先生のことは女性初の日本物理学会会長に選ばれ
話題になったとき、たまたま息子が同じ大学に入学した
ばかりだったので余計に関心を持ったが、なにしろ物理
学なるものにはまったく知識がない自分にとって、それ
以上のことは今日までなにも知らないままにきた
履歴書で生い立ちから今日までを赤裸々に、しかも堂々
と言う言葉がぴたりするほど、大胆に、包み隠さず公開
されているので愉快にさえ思ってしまう
その活躍ぶりを実績としてはっきりと書かれていること
に、よくもここまでと思うのだが、嫌味がなくて、学者
としてだけでなく、一人の人間として、その前向きな生
き方から多くのヒントや勇気を提供してもらっている
米沢先生は、大阪の吹田生まれ、幼い頃から好奇心旺盛
で「なぜ」「どうして」を連発する子供だったそうだ
4歳の時には、父親の宝物の蓄音機を「中に小人がいて
歌っている」と思って解体したというから面白い
その話には思わず大笑いしてしまった
大学では実験でチームの使うカメラを「中はどうなって
いるんだろう」と解体して3台を全部壊してそうだ
(湯川秀樹先生の授業-3年の物理学科のクラス)
なぜ、どうしてを問い続け自分の手で明かしつつ歩んで
きた73年間は、限りない挑戦に胸躍らせ文字通り寝食
を忘れて取り組んだという
その始まりが数学から・・・だ
数学の得意だったお母さんの影響を受けて数学が好きで
京大の理学部へ、大学院時代にはノーベル賞学者の湯川
秀樹博士にも指導を受けた
大学の2年先輩と大学院修士時代に結婚、そのご主人の
厳しい激励をすべて追い風にして、やがて国内外ひろく
活躍の舞台を広げ、国際学会をひとりで開催するほどの
実力を蓄積し数多くの研究論文で世界に存在を高めた
一方で、三人の娘さんの母親として、ご主人に頼ること
なく育児に努めて、娘さん達も立派に自立させた
自分の人生を要約すると「幸運」の一語に尽きるそうだ
しかし、35歳のときに子宮前がんで全摘
83年と84年に乳がんで左右の乳房を全摘
70歳で甲状腺をがんで摘出、なんと5度のがん手術の
翌日から論文を書いてきたというのだからすさまじい
それでも復活しているので幸運といっているのかもしれ
ないが、普通なら不運にも・・といいたいところだろう
通常ではマイナスなできごとや状況としてとらえられる
ことを、明るく受けて立つだけでなく、ことごとくブラスの
結果を生み出していくすごさには驚いてしまう
一昨日の履歴書では、最愛のご主人が還暦を迎えた直後
に静脈瘤破裂で亡くなる場面が書かれていた
その別れの場面には思わずこちらも涙をさそわれた
いまは要介護5で大阪に住む94歳のお母さんの遠距離
介護に通っているそうだ
米沢先生の私の履歴書もあと二日、どんな内容でまとめ
られるのか、わくわく、待ち遠しい
切り抜きをしたのは去年の建築家の安藤忠雄さん以来に
なるが、期せずして2人が大阪出身というのは偶然か?
地元大阪のニュースが掲載されないために、地域情報が
得られない日経新聞より、地元のニュースがタイムリー
に載る全国紙に替えようかと時々思うが「私の履歴書」で
こんな感動をもらうと私の履歴書とは別れづらい。
今月の慶応大学名誉教授の米沢富美子先生の履歴書
には久々に朝刊が待ち遠しいくらい高揚させられている
男性の自分がそこまで惹きつけられているくらいだから
女性の読者には、きっと、わくわく、どきどきしながら
男性と堂々と渡り合って活躍してきた米沢先生に魅せら
れているのではないかと思う
米沢先生のことは女性初の日本物理学会会長に選ばれ
話題になったとき、たまたま息子が同じ大学に入学した
ばかりだったので余計に関心を持ったが、なにしろ物理
学なるものにはまったく知識がない自分にとって、それ
以上のことは今日までなにも知らないままにきた
履歴書で生い立ちから今日までを赤裸々に、しかも堂々
と言う言葉がぴたりするほど、大胆に、包み隠さず公開
されているので愉快にさえ思ってしまう
その活躍ぶりを実績としてはっきりと書かれていること
に、よくもここまでと思うのだが、嫌味がなくて、学者
としてだけでなく、一人の人間として、その前向きな生
き方から多くのヒントや勇気を提供してもらっている
米沢先生は、大阪の吹田生まれ、幼い頃から好奇心旺盛
で「なぜ」「どうして」を連発する子供だったそうだ
4歳の時には、父親の宝物の蓄音機を「中に小人がいて
歌っている」と思って解体したというから面白い
その話には思わず大笑いしてしまった
大学では実験でチームの使うカメラを「中はどうなって
いるんだろう」と解体して3台を全部壊してそうだ
(湯川秀樹先生の授業-3年の物理学科のクラス)
なぜ、どうしてを問い続け自分の手で明かしつつ歩んで
きた73年間は、限りない挑戦に胸躍らせ文字通り寝食
を忘れて取り組んだという
その始まりが数学から・・・だ
数学の得意だったお母さんの影響を受けて数学が好きで
京大の理学部へ、大学院時代にはノーベル賞学者の湯川
秀樹博士にも指導を受けた
大学の2年先輩と大学院修士時代に結婚、そのご主人の
厳しい激励をすべて追い風にして、やがて国内外ひろく
活躍の舞台を広げ、国際学会をひとりで開催するほどの
実力を蓄積し数多くの研究論文で世界に存在を高めた
一方で、三人の娘さんの母親として、ご主人に頼ること
なく育児に努めて、娘さん達も立派に自立させた
自分の人生を要約すると「幸運」の一語に尽きるそうだ
しかし、35歳のときに子宮前がんで全摘
83年と84年に乳がんで左右の乳房を全摘
70歳で甲状腺をがんで摘出、なんと5度のがん手術の
翌日から論文を書いてきたというのだからすさまじい
それでも復活しているので幸運といっているのかもしれ
ないが、普通なら不運にも・・といいたいところだろう
通常ではマイナスなできごとや状況としてとらえられる
ことを、明るく受けて立つだけでなく、ことごとくブラスの
結果を生み出していくすごさには驚いてしまう
一昨日の履歴書では、最愛のご主人が還暦を迎えた直後
に静脈瘤破裂で亡くなる場面が書かれていた
その別れの場面には思わずこちらも涙をさそわれた
いまは要介護5で大阪に住む94歳のお母さんの遠距離
介護に通っているそうだ
米沢先生の私の履歴書もあと二日、どんな内容でまとめ
られるのか、わくわく、待ち遠しい
切り抜きをしたのは去年の建築家の安藤忠雄さん以来に
なるが、期せずして2人が大阪出身というのは偶然か?
地元大阪のニュースが掲載されないために、地域情報が
得られない日経新聞より、地元のニュースがタイムリー
に載る全国紙に替えようかと時々思うが「私の履歴書」で
こんな感動をもらうと私の履歴書とは別れづらい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます