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12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ユリウス・カエサル23

2009年03月14日 08時52分04秒 | Weblog

 BC45年から44年、55歳のカエサルは元老院と市民集会から、
次の「ユリウス・カエサルの特権」を与えられた。

1.450年間も続いた六ヶ月に限定された独裁官の任期を、
終身任期とする。すなわち、カエサルは終身独裁官となった。
2.カエサルが必要と考えれば執政官も兼務できる。
3.凱旋した将軍に対する敬称「インペラトール」を常時使用する権利。

4.「国家の父」と言う称号。
(ローマ建国の父とされるロムルスが一人目で、二人目がカエサル)
5.凱旋式当日の凱旋将軍のみに許される紫のマントの日常的着用。
6.非常に名誉な月桂樹で作られた冠の日常的着用。

7.社会一般の風俗矯正を司る「倫理矯正官」の終身単独就任。
8.元老院では執政官より一段と高い座を占める栄誉。
9.劇場や競技場で一番良い席を占める栄誉。

10.カピトリーノの丘のユピテル神殿入り口に王制時代の王達の像の間に自分の立像を置くことを許される栄誉。
11.元老院で最初に発言する権利。
12.ローマ国家の官公職の任命権。1

3.拒否権と肉体的不可侵の権利 
(この肉体的不可侵の権利は、次回で重要な意味を持つ)
14.通貨に横顔を彫らせる権利。
15.7月の呼び名をローマ2代目の王名「クインテリウス」から「ユリウス」に改める。英語の読み方は「ジュライ」となる。

16.カエサル政治の基本精神は「寛容(クレメンティア)」である。
「カエサルの寛容(クレメンティア・カエサル)の神殿建設を認められた。

 カエサルは、多民族総合国家統治方式としての帝政をこうして実現しようとしたが、当時彼の考えはほとんどの人達の想像をはるかに超えており、民衆は彼のことを「王」と呼んだ。

カエサルは「私は王ではない。カエサルである」と答えた。

カエサルは、王は一民族の長であり、皇帝とは多民族をまとめるものと区別していた。
カエサルはローマ人と属州人(ガリア・スペイン・ギリシャ・・・)との統合と融和を考えていたが、当時の人々はローマのことしか考えられなかった。

終身独裁官に就任したカエサルに「カエサルは王位を狙っている」という噂がつきまとってはなれなかった。

王政アレルギーのローマ人に対して、カエサルは「執政官マルクス・アントニウスは終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルに対し王の権威を受けるように願ったが、カエサルはそれを拒絶した」と大理石の柱に公式記録として刻ませた。

それから一ヶ月もたたない3月15日(カエサル56歳と4ヶ月)、元老院の議場で暗殺された。

彼に敗れた敵の命を助けただけでなく自由も保証したカエサルは、日頃次のような生き方をしていたのであった。

「・・・私の目指す事業の完成に協力してくれたらどれほど喜ばしいことか・・・、助言でもよい。忠告でもよい、あなたや他の人々がそれぞれ得意とする分野での協力でもよい、私は常にそれが役立つと思えば誰の提案であっても受け止めてきた。」

 歴史のifは無意味であることは承知しているが、彼が古希くらいまで生き延びていればどうなっただろうか。

「素晴らしい統治体制を確立しこの後の世界のありようを大きく変えたかもしれないし、あるいは、とんでもない暴君として歴史にその名をとどめていたかもしれないのである。」

小生は、卓越した先見の明と私利私欲を脱却した統治により、理想世界の実現ができたのではないかと、彼の早い死を惜しむものである。


映像や音楽の見方

2009年03月13日 07時36分37秒 | Weblog

 

ようやくご近所に触発されてTVを更新し、綺麗な大画面で保存していた映像を楽しめる体制が整った。現在、VTR録画機x2台、DVD再生機x1台を接続して、過去の財産を楽しみ始めたところである。

小生は、‘99年のデジカメやビデオカメラの購入以降、各種の映像(動画や静止画)をパソコンやTVで見ることにし、多量の写真アルバムの保管場所や労力を少しでも軽減しようとしてきた。

しかし、この試みは当初の思惑と大きく相違し、写真アルバム・8mmフイルムカメラの動画・VTRテープ・ビデオカメラで作ったDVD、更には、音楽のテープ・CD・MD、果てはパソコンとHDDなどが山積する結果となり、見事思惑がはずれ場所の確保と整理に苦しむ結果となった。

 この上、ハイビジョンカメラの映像を編集するための強力パソコンやブルーレイレコーダーと付随するブルーレイディスクなどが増えることになりそうである。一体どこまで物が増え続けるのかいささか閉口しているのである。

久しぶりに、寅さんの映画を古いVTRテープで見た。大画面で観る楽しみが増大したことに気が付いた。物が増えて面倒でも、それを帳消しにする楽しみがあった。

美術や歌舞伎や映画の鑑賞あるいは世界遺産探訪など映像を中心に楽しみたい場合には大画面が格段に良く、ニュースその他のストーリー中心のドラマなどは小さい画面でもあまり差がないようである。

人間がガラクタに押しやられるのも少しは辛抱しなくてはならないのかと、あきらめの境地である。


65歳以上片道9000円

2009年03月11日 06時49分35秒 | Weblog

 A社が4月1日から、搭乗日空席を国内線片道一律9000円の「シニア空割」を発売するという。条件は、マイレージクラブ入会者(これは満足している)、予約はできず当日の空席のみが対象である。

乗りたい便に確実に乗れるという保証はないが、小生にとっては孫に会うための魅力的な商品である。(インターネットで当日の空席状態をあらかじめ確認しておけば乗りそこないは減少できそうである)

そこで、幾つか自分の思いを書くことにした。
1. なぜ65歳にこだわるのか?
何も年金支給年齢にこだわる必要はないのではないかと思う。早い人では50歳代から孫のいる人も多いのではないか。もっと年齢制限を下げて60歳からとすれば効果も大きくなるような気がするのだが・・・。

2. 飛行機に限らず鉄道・船などに拡大して欲しい。
たいていの乗り物は時間帯によっては空席が避けられないのである。無収入の空席より少しでも現金収入に繋がるこの種の制度は経営上効果があるはずである。

若い体力のある人達は、高速道路利用が大幅に増加し、反面公共交通機関の利用が減少するであろう。高速道路乗り放題1000円の対抗策として、自家用車を利用しない高齢層の公共機関利用率を増加することが経営改善の一つの方策であろうことは間違いない。

 同種の制度の鉄道・船・高速バスなどに公共交通機関への広い導入検討を願うものである。


常用漢字

2009年03月10日 04時57分46秒 | Weblog

1981年制定された常用漢字は、1945文字だったが、新聞報道によると、191文字追加され2131文字になるとあった。

 岡山の岡、近畿の畿、大阪の阪、茨城の茨、埼玉の埼、韓国の韓などが常用漢字でなかったことを初めて知った。

また小生の知らなかったことをラジオの放送で知った。それは剣山(つるぎさん)のことである。この山を、小生は何十年も「ケンザン」と読んでいたが、これは正しくないのだそうであった。

実は、この剣という字が適切でないと山小屋のオーナーが放送で話していた。剣という字ではなく、「剱」という字に変えてもらうように、関係機関に要請しているのだとのことであった。

 参考; Wikiによると、呼び名について、次のように書いてある。

「つるぎさん」が神社の名称等、歴史的に見ても正しいのだが、北アルプスの白馬岳(「しろうまだけ」が正しいが、「はくば」と読まれることが多く、地元自治体の名前も地元の駅名も山小屋名も「はくば」が正式である。)と同様に音読みの「けんざん」と呼ぶ人が、地元徳島県の人を中心に多い。

ただし、徳島県は1963年に読みを「つるぎさん」として統一することを決めており、剣山の近隣自治体の名前は「つるぎ町」であるなど、公式には「つるぎ」で統一されている。

次は、WikiのサイトのURLである。詳しくはこちらをどうぞ。

http://www.turugisan.com/sisetu.html

 

 

 


脳と記憶

2009年03月09日 07時01分19秒 | Weblog

 ここ数年は、いろいろな教室で女性と共に学ぶことが多く、自然と女性と自分を比較する機会が多くなった。言い換えると、男性と女性の違いを感じる機会が多くなったのである。
(これはかなり以前の原稿で、現在は全ての教室を欠席中である)

ずいぶん以前、ある民放TVで「女性の感情的な記憶は大脳皮質に蓄えられ、男性の感情的な記憶は海馬の近くの小脳に蓄えられる」と説明していた。

大脳の記憶は、大量且つ長時間の記憶が可能なのに対して、小脳での記憶は容量が少なく短時間しか保持できないというのである。

女性の場合には子供を育てるため多くの感情的な情報も経験として長く保持することが必要なため大脳での記憶となったのだそうである。

家内の場合にも、結婚前頃からのあらゆる記憶が実に鮮明であったのにいつも驚いていた。

男性の場合には外敵などとの激しい戦いで受ける苦しみをすばやく忘れるのに都合よく作られているため、苦しみや喜びの感情の記憶は小脳が担当しているのだという。

言われてみると、嬉しかったこと、辛かったこと、悲しかったことなどの感情の記憶に関係することは、小生の場合一段と少ないのである。

もともと記憶力が弱い為であろうと思っていたのだが、男女の体の本質的な構造にも差があるのだと教えられ驚いたのである。

しかし、記憶が無くなる事は、いたって便利なのである。嬉しかったことを失うのは損なのかも知れないが、辛かった事や悲しかった事を忘れられるのは大変な得ではないかと思っている。

言わば、記憶における麻酔効果があるともいえるのである、これからも、都合の悪いことは、どんどん忘れたいものである。

ひょっとすると、「君の名は」の名せりふ「忘却とは忘れ去ることなり」と書いた作者も同じ考えだったのかもしれない。


小火(ぼや)

2009年03月08日 08時57分37秒 | Weblog

 漢方の先生が、NHKラジオで「未病は小火(ぼや)である」といった。それでインターネットを覗いてみた。

 未病(みびょう)という用語は、黄帝内経で初めて使用された言葉とのこと。
1.既病(きびょう)とは、既に発病したこと、未病とは発病する前の状態を言いう。
日本未病システム学会では「自覚症状はないが検査では異常がある状態」と「自覚症状はあるが検査では異常がない状態」を合わせて「未病」と定義し、「自覚症状もあり検査でも異常が認められる状態」を病気(既病)と呼んでいる。

 2.未病とは、肩こり、腰痛、便秘、不眠、20代より10Kg以上太った、検査値異常など、体が何らかのサインを出しているけれど、明確な症状がないため病院では病気と判断できないなど、このような状態を言います。

要するに、健康な人と、病気の人の間、半病人の状態のことです。 小生は、重症筋無力症の疑いで半年間通院や入院を繰り返したが、結局症状はあるが、病名を特定できず経過観察の身となった。まさに未病の極みといったところである。

現在、医師の手紙が送られてきており、これを持参して以前からかかりつけだった病院に通院し経過を観察することになった。

両眼複視は、原因不明が7割と言う、小生の場合には原因不明ゆえ全く治療がなされないので症状の改善は自然治癒を待つことのみである。

ありがたいことに、非常にゆっくりであるが回復基調にあるので、気分的にもずいぶん改善されている。

3.日本では貝原益軒が84歳にして著した「養生訓」に登場。
「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」
「聖人は未病を治すとは、病いがまだおこらざる時、かねてつつしめば病いなく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。

内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、
いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、もにたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。」 こうなると、メタボなどはこの最たるものである。

子や孫たちに迷惑をかけないためにも、定期的な病院通いに加えて、生活習慣を変えないといけないのである。


ローマ軍の強さの秘密

2009年03月07日 07時00分34秒 | Weblog

 ローマ軍が何故強かったのか、つらつら考えてきた、学者はどのように結論づけているか判らないが、そろそろ自分なりの考えをまとめることにした。

結論を一言で言えば、愛国心に富んだ人達に率いられた超優良企業的国家だったということだったと言う、あまりにも判りきった結論である。

1. 兵士となった人民は誇りと責任を持って戦った。
これは国家に対する自己犠牲の精神と強い義務感責任感で、かつての日本人が抱いていた感情と類似したものではないかと思っている。

 2. 国家安全保障のためのインフラ整備
軍隊が高速に移動できるための手段として街道(高速道路)や橋や砦などのインフラ整備。

兵士はもとより大型の兵器(攻城用の大型兵器や投石器など)の高速移動ができ、大きく効率的効果的戦力増強に役立った。

3. ロジスティック(兵站)システムの充実
兵員・食料・武器などの補給がうまく出来るシステムが確立し機能していた。

4. 兵士は優秀な建築技師・建築技能者
ローマ軍の兵士は平時・軍事を問わずインフラの建設と整備に従事していた。

例えば、行軍中のローマ軍は、当日の行軍が終わり宿営地に到着するとあっという間に周囲に堀をめぐらし柵を立て立派な半恒久的ともいえる砦を築き、翌朝にはそれを完全に破壊して次の30kmくらいの行軍を行い、また砦の建設・破壊を繰り返す能力があった。

また、街道や橋もこれら兵士達によって建設された。ただ橋は戦略上不要とみなされると直ちに兵士達の手によって破壊され、敵を利することがないようにした。

5. ローマ軍の現地への同化
兵役中独身を守らされた兵士は、退役すると現地の娘と結婚し現地へ同化していった。

これは外国に「ローマ」を浸透させ、大いに民族的文化的同化に対し効果があった。

6. 厳しい軍律と集団戦に強い軍隊
一般民衆へ危害を加えることなどまずなかった。また、平時の戦闘訓練にあっても真剣を用いて格闘訓練を行っており、戦闘技術はもとより精神力更には長時間の激しい戦いにも耐えられる持久力も養っていた。

肉体的にははるかに勝るゲルマン系の巨人達は、緒戦では体力にものをいわせ優勢に戦えるが持久力と言う点では劣っていた。
チーム力と持久力に勝るローマ軍は、最終的に戦いに勝利を収めたのであった。

7. 全てにシステム化がなされていた。
国家としても軍隊としても、合理的なシステム化がなされており、法律やマニュアルに従った意思決定や作業が整然と行われた。また、良好なシステムは、全ての指示命令が隅々まですばやく正しく伝わりそして実行された。

それでも、ローマは五世紀頃滅亡するのであった。ペルシャなどの外的な超大敵国との戦に勝てなくなったのだった。

それまで持っていた総合力が、制度疲労とでもいうのであろうか、いずれも機能しなくなったことが直接的な原因だったが、その一番の要因は国家に対する忠誠心や義務感が薄れ個人主義的・利己的思想の蔓延だったように思えてならないのである。


クローン

2009年03月06日 07時56分02秒 | Weblog

デジタル家電のカタログを読んでいたら「コピー10」なる言葉にでくわした。 10回しかコピーができなくなっているという、厳密には「9回のコピー」と「1回の移動」というのである。

 計10回のコピーと移動を全て終わると元データは消えてしまう、またコピーや移動されたデータはもう二度とコピーできないと言う。

アナログではコピーする毎にデータの質は確実に低下し、これが理由で無制限なコピーは自然と防止できたが、デジタルでは元と完全に同じデータが次々とコピーでき著作権侵害防止のためこのような制度が導入されたのである。

際限なく完全コピーの人間ができる「人のクローン」は、多くの問題を生じるであろうことは想像に難くない。

 もし「1回きりの移動(ムーブ ワンス=move once)」式クローン人間だけは認め、そして、元の人間の死と引き換えにムーブを認めるという時代が来たとしたらどんなことが起きるのだろうか。

 これが実現すると、肉体の若返りは可能である、更に知恵・知識・経験の移動ができるとしたら、幼い児が高度な大人の知恵・知識・経験を持つ時代来ることになる。いったい何が起きるのだろうか・・・。

自然界には、意外にクローンで繁殖する生物がいる。
無性生殖は、原則としてクローンを作る。単細胞生物の細胞分裂は当然クローンとなる。有性生殖をするまで、群落は1つのクローンである。

植物では栄養生殖がある。匍匐茎をのばして増殖する植物は、往々にして群落を形成するが、それらは同一のクローンから構成される。竹林はその例である。

一部の生物、特に三倍体の生物は、マクロには通常どおり種子や胞子を作っているようでも、減数分裂・融合を経ない無融合生殖をおこない、子はクローンとなる。セイヨウタンポポが有名で、広大な範囲(アメリカのいくつもの州など)に渡るクローンを形成することもある。

 無融合生殖によるクローンは動植物を問わず見られる。
カビでは、体細胞分裂により生殖子を作る無性生殖が広くおこなわれており、クローンの子孫が生まれる。
分生子を作る子嚢菌や不完全菌、胞子嚢胞子を作る接合菌類である。

動物では、一卵性双生児は互いにクローンである。ただし、親とはクローンでない。

進化が進むと神様はクローンの存在を認めていないようである。
「コピー10」からとんでもない話になった。


日本語の力

2009年03月04日 09時52分00秒 | Weblog

オバマ大統領の演説を聴いて感じたのは、難解な言い回しは全く無く、平易な言葉で構成されていたことであった。言葉を発する人の品性・品格・思想・理想などが言葉に力を与えるのではないかと思っている。

言葉・文章・演説の持つ力についてある女性国語学者(申し訳ないことにお名前を失念した)が興味あることを話していた。

それを小生なりに解釈するとこういう意味ではないかと思う。
英語でyou、日本語なら「あなた、貴方、彼方、貴女、おまえ、お前、御前、君、あんた・・・」いったい幾つあるのだろうか。

こんな風に、日本語では様々な表現ができること同義語が沢山あることが、言葉の持つ力が薄まり弱くなったと言うのである。

日本語の持つ力を同義語に分散し薄めてしまったので、対策として言葉の整理をするべきであるというのである。

 これにも一理あるような気はするが、俳句や短歌や詩などの情緒性を高める効果は日本語の豊かな表現が可能にしているのではなかろうか。

 偶然、3月2日付け“The Mainichi Daily News” 紙の“Daily Haiku Selection” 欄に載せられた Gary Hotham (Scaggsville, MD, USA)さんが作った俳句である。

   nearly upside down
   driftwood
   in the last wave
http://mdn.mainichi.jp/features/haiku/news/20090223p2g00m0fe007000c.html

下記は、自動翻訳したものである。あまりに直訳過ぎる気がするが・・・意味はとれるのではなかろうか。

(インターネットに沢山の自動翻訳サイトがある、幾つかで試みたが全て微妙に翻訳そのものに差があった。やはり優れた人間による翻訳が必要なのであろう。)

   近くを上下逆さまにする 
   流木
   最後の波で
Gary Hotham (Scaggsville, MD, USA)ゲイリーハザム( Scaggsville 、メリーランド、米国)

この翻訳でも、作者の描いた光景が見えるようである。


地デジ

2009年03月03日 09時50分18秒 | Weblog

 地デジの放送が始まって久しい。ご近所でも既に設置されているお宅もある。
ビデオカメラの映像がいかように見えるのか試さしてもらった。

小生のハイビジョンカメラをTVに直接接続して、その映像を見た。実に綺麗である感嘆の声をあげた。早速電気店に行って幾つかのTVのカタログを入手し読んでみた。

画像処理エンジンが売りの一社だけ、地デジは1440x1080ドット(155万画素)の放送であると書いていた。(不思議なことに他のどの会社もこれを記載しているものは無かった)

通常ハイビジョンTVと呼ばれているものは、約107万画素のTVである。FULLハイビジョンTVとして売られているものは207万画素表示である。

このため放送の155画素映像を処理して207万画素相当の綺麗な映像に変換しているのがFULLハイビジョンTVのようである。(これは小生の理解でひょっとすると間違いかもしれないが・・・)

小生のハイビジョンカメラは3年ほど前の物で143万画素のものである。これも技術の進歩であろう、数百万画素の新型カメラが登場している。またまたこれらの新型カメラも欲しくなりそうである。

さて、放送内容における特徴であるが、どんなものなのかぴんとこないのである。仕方がないので、Wikipediaよりのものを幾つか羅列してみた。

 • 特徴など(日本国内) 
1 高音質・多機能音声
2電子番組表、番組情報
3データ放送

4双方向サービス
5 ゴーストおよびノイズ のない映像
6コピー制御

7字幕放送
8 緊急警報放送
• (以下省略)

我々視聴者にとっては、従来と内容はほとんど同じで、画面がきれいで音がよいと思えばよいのであろう。

 番組の内容が、一新されることを期待したのであるが、いささか拍子抜けの感がある。

しかし、やはり綺麗に見えるTVが欲しくなった。

 


マルクス・アウレリウス

2009年03月02日 07時16分20秒 | Weblog

 ソフィアローレンが若々しい頃の古い映画だが「ローマ帝国の滅亡」という映画を久しぶりにNHKで見た。

三世紀後半の皇帝マルクス・アウレリウス(歴史的には最後の五賢帝)の頃で、ローマが五世紀の滅亡に向けて坂道を転がり始めた頃を描いていた。

この皇帝は「哲人皇帝」と呼ばれ「自省録」を書いたことで有名な人である。彼の著書「自省録」にこんな記述がある。

 「魂が肉体から離れなければならないときに、それを安らかに受け止めることができたら、何とすばらしいことだろう。だが、この心の準備は人間の自由な理性によって達した結果でなくてはならない。キリスト教徒たちのように、かたくなまでの思い込みでなく。」

多くの神々が共生していたという古代の考え方を持ち続けていたローマ時代の人達は、一神教を理解していなかった。現世利益が中心のギリシャ・ローマの神々は、人間の魂の救済という役割は持っていなかった。

ひるがえって、わが国に眼を転ずると、八百万の神々は、まさにギリシャ・ローマの神々のように現世利益中心の神々だった。

そこに、仏教という人の生き方を教え来世を救う仏教が伝来し広まったのは、ローマ時代にキリスト教が広まったのと似たように思えるのである。

 ローマ人とか日本人のように多神教を信じる国民は、一神教を信じる民族に比べてあらゆることを幅広く受容する寛容度の高い民族性を持っているように思っている。

典型的な一神教の世界、例えばユダヤ教とかイスラム原理主義者などでは、他宗を全く受け入れないと聴いている。これらの人達には、宗教的妥協とか寛容とかいったものは大変な罪悪なのであろう。

この点、仏教は柔軟というか寛容度・受容度が高いというのか、他に対してまことに柔軟に対応する点で、多くの宗教と異なっていると感じている。

ひょっとすると、仏教徒が中心となって世界平和を導く原動力となる日があるように思えるのである。


免許返納

2009年03月01日 09時45分51秒 | Weblog

目の不調で、自動車の運転をあきらめてから半年以上になり免許の更新をどうしようかと思い始めている。

警視庁のHPにこんなページがあった。
「免許を返納する勇気   ~決め手は家族の意見でした~

 免許返納の特典として、39か所で優待サービスが受けられ、マッサージ割引、入場料割引、ピザ宅配でサイドオーダーのサービスなどがある。  

また、大手デパートから自宅への商品配送が無料になったり、銀行の定期預金の金利が0.1%上乗せされるなどの特典も盛り込まれている場合もある。」

更に、山陽新聞によると
「岡山県警はH8年12月24日、高齢ドライバー(65歳以上)の免許返納率アップを狙いに、県北部で運行するタクシー事業者6社が返納者の運賃を割り引く制度を来年(H9年)1月1日から開始する、と発表した。

多発する高齢ドライバーの交通事故を減らそうと県警が働き掛けた。 実施するのは津山、美作市、鏡野町の県タクシー協会加盟社の一部で、返納時に公安委員会から有料で発行される「運転経歴証明書」を乗車時に提示すれば1割引とする。

津山市などで路線バスを運行する神姫バス(姫路市)も10月1日から運賃を半額にする取り組みを行っている。」

全国的にも岡山県でもさしたる魅力的な特典はない、こんな条件ではとても喜び勇んで免許返納に応じる気にはならない。
もっと魅力的な特典を実施しない駄目ではないかと思っている。