ソフィアローレンが若々しい頃の古い映画だが「ローマ帝国の滅亡」という映画を久しぶりにNHKで見た。
三世紀後半の皇帝マルクス・アウレリウス(歴史的には最後の五賢帝)の頃で、ローマが五世紀の滅亡に向けて坂道を転がり始めた頃を描いていた。
この皇帝は「哲人皇帝」と呼ばれ「自省録」を書いたことで有名な人である。彼の著書「自省録」にこんな記述がある。
「魂が肉体から離れなければならないときに、それを安らかに受け止めることができたら、何とすばらしいことだろう。だが、この心の準備は人間の自由な理性によって達した結果でなくてはならない。キリスト教徒たちのように、かたくなまでの思い込みでなく。」
多くの神々が共生していたという古代の考え方を持ち続けていたローマ時代の人達は、一神教を理解していなかった。現世利益が中心のギリシャ・ローマの神々は、人間の魂の救済という役割は持っていなかった。
ひるがえって、わが国に眼を転ずると、八百万の神々は、まさにギリシャ・ローマの神々のように現世利益中心の神々だった。
そこに、仏教という人の生き方を教え来世を救う仏教が伝来し広まったのは、ローマ時代にキリスト教が広まったのと似たように思えるのである。
ローマ人とか日本人のように多神教を信じる国民は、一神教を信じる民族に比べてあらゆることを幅広く受容する寛容度の高い民族性を持っているように思っている。
典型的な一神教の世界、例えばユダヤ教とかイスラム原理主義者などでは、他宗を全く受け入れないと聴いている。これらの人達には、宗教的妥協とか寛容とかいったものは大変な罪悪なのであろう。
この点、仏教は柔軟というか寛容度・受容度が高いというのか、他に対してまことに柔軟に対応する点で、多くの宗教と異なっていると感じている。
ひょっとすると、仏教徒が中心となって世界平和を導く原動力となる日があるように思えるのである。