1月の句会で、とても珍しい新年の季語に出くわした。
投句者の解説を聞くまで、全く読むことすら出来なかった。
(な“る”きではなく、な“り”きぜめと読まないと辞書検索すら出来ない)
読者の中には、ご存知の方もおられるかも判らないが、大変珍しい風習なので、取り上げて見た。
[生り木責め/成り木責め]を辞書によると、
「小正月の予祝行事。果樹に、刃物で傷をつけたり、棒で打つなどの威嚇をして、果実の精霊に豊熟を約束させるもの。
その際、「成るか成らぬか、成らねばきるぞ」「成ります、成ります」などと問答をする。」「木責め。木呪(きまじない)。成るか成らぬか。」という地方もある。
時代と共に、失われていく言葉が沢山あるようである。
参考:
判りにくいだろうから、毎日新聞 山口版より引用する。
この一文で、情景をご理解いただけるであろう。
光市の山間部、・・・では早春、柿やナシ、ミカンなどの果樹の豊作を願う「成木責め」という行事があった。
戦後、過疎化と高齢化の波に洗われて途絶えた。ところが復活に向けた動きがあるという。
地元に伝わる風土、習慣を残そうと語り継いでいるのは同市塩田の谷さん(80)。 1月15日の小正月が一般的だったが、石城山では旧暦2月 3日の節分の日に行った。
谷さんは「植物も冬眠する12~2月は畑の土も触ってはいけなかった。新芽が芽吹くころに木を起こしてあげる意味もあっ た」と説明してくれた。
谷さんは近くの友香さん(7)と環さん(7)を引き連れ、柿の木の下で再現した。
谷さんが用意したのは、おむすびを包んでいた大きな葉蘭の葉と硬めに炊いた餅、そして斧(おの)。
一体何が始まるのかとワクワクしながら見守ると--。
友香さんと環さんの2人は突然、木に抱きつき、谷さんは斧を振りかざした。
そして問いかける。 「なるかならぬか、ならねばこの木を切ってしまうぞ」 元気よく「なるなるなる」と応じる2人。
谷さんは木に斧を入れると皮を幅10センチ程度はいでいく。 谷さんはそこに餅をこすりつけて葉蘭をかぶせ、さらにひもで縛り付けるとほほえんだ。 「これで来年も豊作よ」
それにしても、どうしてこんな行事が? ・・・「裏年対策ですよ」と谷さん。果樹は通常、隔年で豊作と不作を繰り返すため豊作の年に少しだけ木に傷をつけると、けがを治そうと根が養分を吸い上 げる。
「だから次の年もたくさん実がなります。粘り気のある餅と葉蘭で傷を覆うのは雨が染み込み木が腐るのを防ぐためなんですよ」。
「さらに」と谷さんは付け加えた。「当時、お餅は何よりのごちそう。痛い目をさせた木に『無理させてすまんね』という気持ちで一番貴重な物を食べさせたのでしょう」
子どもが木に抱きつき豊作を願う。まさに人間と自然が横並びだった時代の風習なのだ。