本日火曜日は、BS2で、午後7時45分から、「平八の汗」と題する「残日録」の放映がある。ご興味のある方はどうぞご覧ください。
「三屋清左衛門 残日録」の続きである。
第二番目の「高札場」という短編から一部引用。
“・・・清左衛門の身体は油の切れかかった車同様にさびついていたのである。
少し無理に動かすと、身体はたちまち軋み声を立てた。
およそ三十年ぶりに・・・木刀を振ってみると、手と足の動きがばらばらで、おまけにたちまちあごが出て眼がくらむという醜態ぶりだった。
かくてはならじと、・・・、道場通いをふくめて出来るだけ身体を動かすように勤めてきたのだが、
その甲斐あって、近ごろは木刀を振っただけでは眼がくらむようなことはなくなったし、炎天下の川岸で小半日釣りをしたくらいでは、さほど疲れを感じなくなった。“
真にその通りである、小生のことを見透かしているかのごとく、書いてあるではないか。
長年のデスクワークで、知らず知らずに小生の運動機能が、さびついてしまったのである。
それが原因で、あちこち痛くなってきた。
頭のほうはといえば、生産性・合理化・コスト低減・利益創出(今となっては、殆んど役に立たない)・・・などの方面は、連日連夜フル回転であったが、
反面、情緒・感性・・・の方は、全くお留守となり、幼児以下にまで低下しているように思っている。
小説だから、清左衛門はこの第二番目の作品で、そこそこに体力を回復したことになっているが、
小生の場合には、さび落としに何年もかかるのではなかろうかと思っている。
幸いなことに、このさび落としのための、好都合な条件をひとつ見つけた。
それは、一病息災に代表されることであるが、「ひざの痛みを解消する」という目的を持ったことである。
何事もなければ三日坊主なのだが、止めると痛くなるという強迫観念から、「止めるに止められなくなった」のである。
「白露や 死んでゆく日も 帯締めて 三橋 鷹女」のような、
壮絶ともいえる、女性の美に対する執着に負けないように、
PPK(ピンピンコロリ)達成を目指そうと思っている。