同窓会ブログより、引用。
“・・・ [写経をやってみようかナ]、私が初めて「般若心経」に出会ったのは会社の新入社員研修の場だった。
技術系社員全員(約70名)が京都の名刹妙心寺に集められて、皆で座禅を組んだり般若心経を唱えたりした。
・・・(中略)・・・
私は、坊さんの説教は何一つ覚えていないのに、経文の最後に近いところの
・・・ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー・・・
という響きが面白くて、事あるたびに仲間とふざけ合ってたのを思い出す。
「お前、ちゃーんと話を聞けよ。ホントにギャーテーなんだから」とか、
満貫を振り込んで「ひぇー参った。ギャーテーや」てな具合に、
青二才たちは意味も知らずに使っていた。
これこそバチ当たりだ。 研修が何の役にも立っていない。
私の写経は、その時の懺悔の気持ち、としておいた方が納まりが良さそうだ。 “
本心から懺悔しようが、出任せから懺悔しようが、他人のことだからどうでもよいのであるが、
懺悔という言葉を使い始めたことからして、殊勝であると言わねばならない。
仏様は、いたってお心の広いお方である。
懺悔さえすれば、いくら悪行を働こうともお許しくださるのである。
毎日毎夜悪行を働き、そして懺悔し続けて、生きていこうではありませんか。
それにしても、話題が、お経や懺悔になるのは、“年だなー”と感じるのである。
パソコンは”よたよた”状態ですが、快方に向かいつつあります。
本日から掲載を再開します。