同窓会のブログに友人が、こんなことを書き込んだ。
「・・・五木寛之の歳は七十半ばであうから、われわれの世代よりもっと前を行く世代である。
ということは、われらには、彼の提唱する
「林住期」の生き方の可能性がもっと残されているということである。
よし、やってみようと思う。」
林住期(りんじゅうき)とは、インターネットで調べてみた。
ある人のブログに、こんな一文が載っていた。
“ ・・・一年程前、私は妻に
「私は、もうそろそろ林住期に入るから、これからは妻子のことは気にかけず、私個人のスピリテュアルな世界に入る」と言ったら、
「不摂生が祟って、とうとう病にでもなったんですか?
だって臨終期なんでしょう」と言われてしまった。
「りんじゅう」違いもはなはだしい。
「終わりに臨むの臨終ではなくって、林に住むの林住だ」と言ったら、
今度は、「キャンプにでも行くのですか?」と言われた。
知らぬほど強いものはない。 ”
またまた、引用すると、
“古代インドの思想に、人生の「四住期(しじゅうき)」というものがある。
すなわち、最初は、いろいろと学ぶ期間である「学生(がくしょう)期」。
次に、一家の主として妻子を養い、社会的な仕事をなす期間である「家住(かじゅう)期」。
ここからが、きわめてインド的なのであるが、出家して精神的な修行生活に入る「林住(りんじゅう)期」。
そして最後に、それら一切を越えた境地である「遊行(ゆぎょう)期」の、人生における4つの節目である。
この考え方から言っても、もし人生を80年とすると、
だいたい20歳頃までが学生期、
40歳頃までが家住期、
60歳頃までが林住期、
そこから先が遊行期ということになろう。 “ とあった。
日常を振り返えって見ると、小生の場合には
「遊遊期(ゆうゆうき)」と称すべきと思った。
小生は、インド人でもなければ僧でもない。
それ故、独自路線の
「遊遊期」=(遊び)に、一路邁進することにした。