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12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

林住期(りんじゅうき)

2007年04月04日 06時25分25秒 | Weblog

 同窓会のブログに友人が、こんなことを書き込んだ。

 「・・・五木寛之の歳は七十半ばであうから、われわれの世代よりもっと前を行く世代である。

ということは、われらには、彼の提唱する

「林住期」の生き方の可能性がもっと残されているということである。
よし、やってみようと思う。」

林住期(りんじゅうき)とは、インターネットで調べてみた。

ある人のブログに、こんな一文が載っていた。

 “  ・・・一年程前、私は妻に
「私は、もうそろそろ林住期に入るから、これからは妻子のことは気にかけず、私個人のスピリテュアルな世界に入る」と言ったら、

 「不摂生が祟って、とうとう病にでもなったんですか? 
だって臨終期なんでしょう」と言われてしまった。

「りんじゅう」違いもはなはだしい。

「終わりに臨むの臨終ではなくって、林に住むの林住だ」と言ったら、

今度は、「キャンプにでも行くのですか?」と言われた。
知らぬほど強いものはない。  ”

 またまた、引用すると、

“古代インドの思想に、人生の「四住期(しじゅうき)」というものがある。

すなわち、最初は、いろいろと学ぶ期間である「学生(がくしょう)期」。

次に、一家の主として妻子を養い、社会的な仕事をなす期間である「家住(かじゅう)期」。

ここからが、きわめてインド的なのであるが、出家して精神的な修行生活に入る「林住(りんじゅう)期」。

そして最後に、それら一切を越えた境地である「遊行(ゆぎょう)期」の、人生における4つの節目である。

 この考え方から言っても、もし人生を80年とすると、

だいたい20歳頃までが学生期、
40歳頃までが家住期、
60歳頃までが林住期、
そこから先が遊行期ということになろう。  “  とあった。

日常を振り返えって見ると、小生の場合には

「遊遊期(ゆうゆうき)」と称すべきと思った。

 小生は、インド人でもなければ僧でもない。

それ故、独自路線の
「遊遊期」=(遊び)に、一路邁進することにした。