以前からちょっと気にしていることがある。素朴さとは一体どういう心持ちなのだろう。
都会人より山里や海辺に住む人の方が素朴に生活されているだろうと推測される。この文脈での素朴さの意味には自然の摂理に逆らわないという側面があるのだろう。
もう少し一般的に素朴さの意味を探索してみたい。素朴さの積極的な意味は、心を開いてありのままの自分を見せることだと思う。率直さと言い換えてもいい。この意味での素朴さとは、真実への愛、自己を偽ることへの嫌悪、自分の欠点を正直に打ち明けることなど、自他の関係において隠し所の余地がないことだと思う。
このような意味での素朴さを僕は持ち合わせていない。私的な隠し所を大いに持っている。この歳で我ながらあきれはてたことだと思う。
素朴さの消極的な意味、それは自然の摂理に逆らわないということであろう。消極的な、と言ったが、この形容詞は当てはまらないとも思う。自他の関係にも自然の摂理というものがあって、その自然の摂理に沿うことが素朴さなのであろう。生身の人間だから、他人に対する好き嫌いの感情を抱くのは自然なことであろう。その好き嫌いの感情を良い悪いの判断に転化してしまうところに、素朴さと対極をなすと考えられるエゴイズムが顔を見せる。
そうすると、エゴイズムから自己浄化された状態が素朴さということになるのであろうか。素朴さの意味をまだまだ探索しなければならないが、探索すればするほど、僕には縁遠いもののようにも思われる。縁遠いのは死ぬまで、あるいは強度の認知症になるまで、残念ながら続くだろう。
日頃の自我を少しだけ反省しています。