自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

「謙虚と傲慢」

2014年11月11日 | Weblog

 「謙虚とは、往々にして、他人を服従させるために装う見せかけの服従に過ぎない。それは傲慢の手口の一つで、高ぶるためにへりくだるのである。それに、傲慢は千通りにも変身するとはいえ、この謙虚の外見をまとった時以上にうまく偽装し、まんまと人を騙しとおせることはない。」(ラ・ロシュフコー『箴言集』より)

 僕は時々、むきになって直言することがある。
 他人様から見れば傲慢なヤツだと思われていることだろう。
 直言した後、もう少し謙虚な物言いが出来なかったものかと忸怩たる思いをする。
 しかしながら、上の箴言によれば、傲慢が謙虚を装えば騙しになる。それでは、言うべきことがあるとき、どんな態度や言葉遣いで話せばいいのだろうか?
 箴言というものは、物事の一理を鋭く説く言葉である。そこには時代を超えた真実が表現されている場合も多い。気がついた箴言を傾聴していると、身動きがとりにくくなる。
 高ぶってもへりくだっても傲慢の偽装となる。それでは、どうせよ、というのだろうか。謙虚と傲慢という言葉を僕の辞書から無くせばいいのだ。だが、そんなことが出来るはずもない。困ったことだ。