古い本を読んだ。笠信太郎『ものの見方について』。1950年刊行のこの本で著者は戦争中、新聞社の特派員としてフランス、ドイツ、イギリス、スイスなどに滞在。それぞれの国民の「ものの見方」を社会、経済、政治と結びつけながら解き明かし、そこから敗戦国日本の生き方の指針を探ろうとしたした本である。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える。」
これはかなり有名な文章である。この三者の内で著者が望ましいと考えたのは、「歩きながら考える」イギリス人だった。歩きながら考えるとなると、足が地についた考え方ができ、抽象的なことは考え難い。また、歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラではなく、平行して進む。そして、ひと所に立ちとどまらず、常に考え続けることになる。著者はこんなふうに考えた。僕は、と言って僭越ではあるが、立ちどまって考えることも必要だと思う。が、この思いは著者の考えに織り込み済みであろう。
ところで、戦後70年、歩くことの意味、歩きながら考えることの意味は健在であろうか。情報社会化の大波は、「歩きながら考える」スタイルを時代遅れにした感がある。しかし、人々の生きている現場を重視する発想が今日求められているのではないだろうか。時代が変遷し、現代にふさわしい歩き方を模索する必要があるとも思う。お上に言われるままの歩き方はよろしくない。お上の歩き方は民を短気にし、あるいはまた弱者を増産するだけだ。