自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

尾崎一雄『虫のいろいろ』(再掲)

2014年11月25日 | Weblog

 尾崎一雄という作家についてはいつか記すことにするが、この作品は小説というよりもエッセイの名作の一つだと思う。
 そこに描かれているのは、生活者の目線で書かれた哲学だと言ってよい。生きるということはどういうことなのか。虫であれ人間であれ、生きるものにとって自由とは何であるのか。こういう根源的な問いかけが作者自身の日々のなかで行われていて、読者に深く染み透ってくる。言うまでもないが、ここには哲学用語は見つからない。それだからこそ見事な哲学の営みを記したエッセイである。
 この作品が文庫本から消えて長く経っていたが、数年前に装いを新たに文庫に入った。僕が持っているのは昭和30年代の古ぼけた文庫本であるが、いつの頃からか文庫から消えた。何しろ易しい言葉で易しい文章で書かれているので、逆にその良さに気づく人が少なかったのかも知れない。新たに入手し易くなったことは喜ばしい。
 『虫のいろいろ』なんていうタイトルの文庫本にその特有の良さを見出すのは時代遅れかも知れないが、もう一つ『虫のいろいろ』以上にすごいと思っている作者晩年の作品がある。
 『退職の願い』。この作家の生き方の歴史を描いたもので、思想というものが頭ではなく体を通して造型されている。六十四歳になった作者が、「雄鶏という地位身分から去るの好機である。退職したい」という。親爺であることからも亭主であることからも退職して本来の自分に戻りたいという。その宣言が、この作家独自の上等なユーモアと共に語られている。
 僕もこういう宣言をしたいと思うが、そうやすやすと出来るものではないとも思う。そもそも「本来の自分」が何者であるかが、おぼろげにも分かっていない。