機械文字を打つようになって以来、どんどん字が下手になっていく。それは目に見えるように分かる。
美しい字に出会うとホッとする。日本人の伝統では、どうも茶人と字は不即不離の関係にあるようだ。茶の本を読んでいてその関係が読み取れた。
真の物は第一の大事也、唐人は先是を習う也、と書道は教えた。楷書にみる面正しさを茶の世界に求めようとしたのだ。そこでは唐物の荘重な台子飾りと厳格な書院の室禮が要請された。
近代は皆、行の物を先に習う。行は中庸の故也、とも書道は教えた。茶の世界も、戦国の乱のころから、行の心が重んじられた。真にも草にも通ずる融通性が好まれた。
真は一々の点を引きはなちて書き、草は点も字も連続して書きたる躰と、書道はいう。真の対極が草である。茶について言えば、書院に対する草庵の、民衆の心に通ずる世界である。利休の志した茶の理想がここにあった。
概略以上が字と茶の関係である。言われていることは何となく分かる。だが、字を書くのにそんなにも目くじらを立てる必要はないと思う。大体、茶道の礼儀というものが煩わしい。煩わしくしたのは家元制度である。そんな茶道と字の関係を気にすることはないと思う。
要は、字を書く人の個性が伝わればいいのではないかと思う。ただ、機械文字を打つようになって以来、漢字の書き方をよく忘れるようになった。これは困った状況である。