後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

革新的なSDGs思想を取り入れる海外の会社と日本の会社

2019年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2015年9月に国連で「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択されました。これは2015年に終了した「ミレニアム開発目標(MDGs)」の後継ですが、MDGsが途上国の開発を主な目的としていたことに対して、SDGsは、気候変動やエネルギー、健康や雇用といった先進国でも深刻化している課題なども取り上げており、先進国も含めてすべての国を対象としていることが特徴です。政府のみならず、産業界や市民社会など、地球上のすべての人を対象とした共通目標という位置づけなのです。

今日はSDGs思想を取り入れる海外の会社と日本の会社の実態を比較しようと思います。

(1)SDGsの具体的な内容
SDGsの17の大きな目標の中身を少し見てみましょう。
1、貧困をなくす ... 「いかなるところでも全ての形態の貧困を終わらせる」
2、飢餓をゼロに ... 「飢餓を終わらせ, 食料安全保障と栄養改善を達成し, 持続可能な農業を推進する」
3、人々に保健と福祉を ... 「健康な生活を保証し, 全ての年齢層の全ての人々の良い暮らしを推進する」
4、質の高い教育をみんなに ... 「全ての人々に, 包括的で公平な, 良質な教育を保証し, 生涯にわたる教育機会を促進する」

5、ジェンダーの平等 ...
6、安全な水とトイレを世界中に
7、エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
8、働きがいも経済成長も
9、産業と技術革新の基盤をつくろう
10、人や国の不平等をなくそう

11、住み続けられるまちづくりを
12、つくる責任つかう責任
13、気候変動に具体的な対策を
14、海の豊かさを守ろう
15、陸の豊かさも守ろう
16、平和と公正をすべての人に
17、パートナーシップで目標を達成しよう

(2)SDGsを何故会社は取り入れなければならないか?
会社にとってSDGsを取り組むことは義務ではありません。
しかしSDGsを取り入れないとその会社の評価が下がり国際競争力が下がるのです。
従って国際的に活躍している日本の大会社は真剣にSDGsを導入しています。
149カ国の達成状況は世界銀行や国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機関(WHO)などで評価されているのです。

(3)日本では大手企業を中心にSDGsが急速に浸透しています。https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/knowledge/opinion/er/2019/2019-1-2.html
2016年1月に始まり2030年まですべての国・地域に適用されます。
日本政府は、2019年9月に国連本部で開催されるSDGs首脳級会合で、取り組み状況を報告する予定です。
SDGsに取り組む日本企業は急増しています。
東洋経済新報社「CSR企業総覧2019【ESG編】」(2018)によると、掲載企業1,501社のうち、SDGsを参考にしている企業が472社、検討中の企業が164社であり、合わせると全体の42%の企業がSDGsを参考あるいは検討中でした
一昨年の調査(対象企業1,408社)では、SDGsを参考・検討中の企業数が317社(全体の23%)であったことから、2年間でSDGsを参考・検討中の企業数が倍増(全体の比率で19ポイント増加)したことになります。
大手企業の取り組みに注目すると、SDGsはさらに浸透しています。

1番目の写真の図1は、国内大手企業の取り組み状況を示しています。
今やSDGsについて言及する企業が大多数を占めるほどでになっています。

SDGsの取り組みが遅れていたランク下位の中小企業や非製造業においても、SDGsが浸透し始めています。
前回(2017年末)調査では、SDGsに言及した企業の比率が製造業75%に対して非製造業37%でしたが、今回(2018年末)調査では、製造業86%に対して非製造業76%というように差が大きく縮まっています。同様に、前回調査ではランク上位(1000位以内)企業のSDGs言及比率76%に対してランク下位(1001位~2000位)企業が37%でしたが、今回調査ではランク上位企業91%に対してランク下位企業71%というように差が縮小しているのです。

2番目の写真の図2は2000の日本企業のランク別・業種別のSDGsへの言及の割合を示しています。

(4)企業のSDGsの取り組みも具体的な内容
企業のSDGsの取り組みも具体的になってきました。

3番目の写真の図3は、SDGsへの言及内容を分類し、過去の調査結果と比較したものです。
今回(2018年末)調査では、企業トップのメッセージの中でSDGsについて言及している企業が133社と最も多く、SDGs言及企業の7割を超えていました。
続いて、CSR方針や考え方などにSDGsを反映する企業(116社)やSDGsと自社事業を総合的に関連付ける企業(110社)もSDGs言及企業の6割を超えています。
前々回(2016年末)調査では、両者に該当する企業が10社程度だったことを考えると、企業の取り組みがより総合的かつ具体的になっていると言えます。
企業トップのメッセージを見ても、前々回調査では、SDGsを認識していることや自社がSDGsに貢献する意思を表明するものがほとんどでしたが、今回調査では、SDGsに関する社内の検討内容やビジョン・方針を語る企業が増えており、より具体的になっているのです。

(5)日本企業と海外企業のSDGsへの取り組みの違いは?
東京都市大学環境学部環境マネジメント学科 枝廣淳子研究室、 横山聖弥
http://www.comm.tcu.ac.jp/edahiro-web/category/pdf/soturon/yokoyama.pdf

4番目の写真の図は調査結果の概要を示した図です。
グラフを見ると、日本企業は海外の先進企業に比べると、「言及のみ」「重要項目としての認識」が多く、事業との関連性や具体的な取り組み、成果や目標といったところへの踏み込みが少ない傾向がわかります。
結論を言う海外の欧米の企業五ではSDGsを具体的に取り入れているが日本企業は遅れているのです。
日本の企業の国際競争力の将来にとっては憂慮される状態です。

(6)先進的な取り組みの日本の会社の例
○味の素(食品)
http://www.ajinomoto.com/jp/activity/csr/pdf/2016/ajinomoto_csr16.pdf
この会社は以下の問題の解決に努力します。
1、栄養情報不足による栄養バランスの崩れがもたらす「不足栄養・過剰栄養」
2、都市への一極集中や急速に進む高齢化などライフスタイルの変化による多忙化、孤食化がもたらす「こ ころの健康問題」
3、「食資源の枯渇とフードロス」の食資源課題
4、製品ライフサイクル全体での地球との共生(カーボンニュートラル、フードロスの半減、持続可能な調達、 持続的な水資源保全、廃棄物のゼロエミッションの実現)

このように従来の利潤追求だけの活動にいろいろなSDGsの運動を組み込んでいるのです。
少し長くなったので終りとします。
今日は日本の会社がSDGsをどのように取り入れているかを簡略に説明しました。
そして欧米の企業がSDGsを具体的に取り入れているが日本企業は遅れていることを指摘しました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「美しい秋の松島の風景写真をお送りします」

2019年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
松島は我が青春の思い出の海です。生まれてから24歳まで仙台に住んでいましたので松島には何回も行きました。学校の遠足で行ったり高校の時はカッターで漕ぎ回ったりしました。結婚前の妻とも行きました。結婚後も何度か子供達とも遊びに行きました。
松島は秋の風景が素晴らしいのです。空気が透明であくまでも碧い空が海を紺青に染めているのです。
そんな秋の松島の写真をお送りします。

1番目の写真は松島の名所の1つ鐘島(かねしま)です。
写真の出典は、http://blog.livedoor.jp/keinosora/archives/18782632.html です。
鐘島は4つの横穴があいた島です。見る方向によって向こう側の海が見通せる穴が違います。
松島には材木島や仁王島など不思議な島が沢山あります。どの島にも松の木が茂っているのです。

2番目の写真は多聞山という島です。
写真の出典は、https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900005/ です。
多聞山を横切るように塩釜港へと向かう観光船が走っています。

3番目の写真は五大堂です。3,4,5番目の写真の出典は、https://ssl.centuryhotel.co.jp/sightseeing/ です。
松島遊覧船は此処から出ます。松島の島々の間を巡る小さな観光船です。

4番目の写真は福浦島へ渡る橋です。橋の向こうが福浦島です。
福浦島は全島が県立自然植物園の指定を受けており松林の中にツバキ・カエデ・竹など250種に及ぶ草木が自生しています。

5番目の写真は観瀾亭(松島博物館)です。
伊達家の月見御殿とも呼ばれ、松島の風景を高台から見渡せる絶好の場所です。家内とのんびり抹茶を楽しみました。
併設の「松島博物館」には伊達家の大名道具、武具、多くの書や絵画などが展示されています。

松島の思い出はいろいろあります。
特に仙台一高の時、カッターを漕いだことが良い思い出になっています。
ある部活の先輩が東北大学のボート部からカッターを借りて来るのです。そしてそのカッターで塩釜から松島へ漕いで行くのです。
小さな島の砂浜へ上陸してお昼ご飯を食べたものです。
帰りはマストを船首に立ててヨレヨレに汚れた帆を揚げて塩釜まで帰って来るのです。
この時に分かったことですが、松島の島々の美しさはボートのような低い視線で波の向こうに見ると一層美しいことです。
その経験があったので妻と初めて松島へ行った時、塩釜で小さな釣り船をチャーターして行きました。
船外機のついた木造和船でした。何故かそれが印象深かったようで、妻はよくその時の思い出を話しています。

閑話休題。
今日は美しい秋の松島の風景写真をお送りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

今日は秋のお彼岸の入りの日の墓参り

2019年09月20日 | 日記
今日は秋のお彼岸の入りの日なので墓参りに行きました。
毎年、春と秋のお彼岸とお正月とお盆には家内の家の墓参りに行きます。毎年4回墓参りに行くお寺は日野市にあります。江戸初期に出来た大昌寺という浄土宗のお寺です。
私の父母の墓は仙台にあるのでめったに墓参りには行けません。ある曹洞宗の寺の住職をしている弟が供養しています。
祖父も叔父も父も曹洞宗のお寺の住職でした。私は時々、府中市にある曹洞宗の高安寺の道元さまへお参りに行きます。祖父や叔父や父母の墓参りのつもりで室町時代からの高安寺に参るのです。
今日は家内の実家の墓参りに行きました。森閑とした墓地のなかで家人が持参して来た花を一心に供えています。生け花の色の組み合わせと全体の形のバランスをいろいろ考えています。
私は線香の束に火を着けます。静かな時間がゆっくりと流れています。
そんな折には「80歳以上の人生は天から貰ったボーナス」という想いがこみあげて来ます。私はすでに83歳です。何故か感謝の気持ちが湧いて来ます。
ボーナスを与えてくれた天の神様への感謝です。そして自分が83歳まで生きる間に支えになってくれた全ての人々への感謝です。
私の中学校時代の友人に大川君というのがいました。彼は60歳代から「俺はせめて80まで生きるから、後藤も生きろよ!」としきりに言ってました。この「せめて80まで、、、」を呪文のようにして、すでに83歳まで来ました。そんな愚にもつかないことを考えながらお墓参りをしました。
墓地には毎年、彼岸花が沢山咲いています。例年のように彼岸花の写真を撮りに行きましたが今年はまだ咲いていません。
これからの季節は中秋の名月、山々の紅葉と流れ行きます。秋は涼しくて好きな季節です。
皆様もご気分よく秋を楽しまれるように祈っています。
写真に去年撮ってきた彼岸花や鐘楼やお墓のようすをお送りします。









奥多摩の白丸ダムと無駄な魚道の写真

2019年09月20日 | 日記
奥多摩の鳩ノ巣渓谷の上流に白丸ダムがあります。
周囲の風景が良いので昨日、写真を撮りに行きました。家内が写真を撮りました。

1番目の写真は白丸ダムの展望台から見上げた秋の空です。

2番目の写真は東京都の交通局が作った白丸ダムと堰き止められて出来た白丸湖です。

3番目の写真は下流側から見た白丸ダムです。

4番目の写真は白丸ダムの下流で、この先が鳩ノ巣渓谷になります。

5番目の写真は白丸ダムで貯めた水をずっと下流へ水路で送り発電している東京都所有の発電所の写真です。東京都の多摩川第三発電所です。

6番目の写真は国土交通省が白丸ダムに40年後に30億円かけて作った魚道に下りて行く螺旋階段です。この写真の出典は、http://akaken.sub.jp/001hp/other2/siromaru01/index.html です。

7番目の写真は国土交通省が作った魚道です。この写真の出典も、http://akaken.sub.jp/001hp/other2/siromaru01/index.html です。

さて1963年(昭和38年)に完成した白丸ダムは東京都交通局が都電や都営地下鉄へ送る電気を発電するために作ったものです。
貯えた水は5番目の写真の下流にある多摩川第三発電所に送水し、最大16,400kWの電力を発電します。
ところが魚道のほうは2001年(平成13年)に国土交通省が新設し多摩川に生息する魚がダムの上に行けるようにしたのです。

この魚道は無駄ではないかという意見が、http://akaken.sub.jp/001hp/other2/siromaru01/index.html に書いてありますので以下に抜粋しご紹介いたします。私もまったく同感です。

・・・また、・・・国土交通省の魚道建設の時に白丸ダム直下に白丸発電所が建設され、観光のための放流水を利用して1,100kWの電力を発電できるようにした。
JR青梅線・鳩ノ巣駅下車、徒歩10分。エメラルドグリーンの水が壮観な、東西に細長い人造湖である。
上流には小河内ダム(奥多摩湖)があり、その直下にも東京都交通局の多摩川第一発電所がある。白丸ダムが東京都交通局による発電用ダムであるのに対し、小河内ダムは上水道用水確保を主目的とした東京都水道局のダムである。
白丸魚道は、期間限定ではあるが、堂々と一般公開、見学が可能である。

ダム自体は昭和38年の竣工と古いが、ここに30億円を越える巨費を投じ、国土交通省により魚道が新設されたのは平成13年のことである。
ダムによって多摩川を遡上できなくなった魚のために建造されたものであるが、前述の通り、ダム堤体の竣工から約40年を経て、とっくに生態系が分裂されたであろうこの多摩川で、何故いまさら魚道新設に踏み切ったかは分からない。
魚にとっては様々なリスクを冒したうえで白丸ダムより上流側へ遡上可能としたのが、30億を超える総工費を費やして造られた白丸魚道である。しかし白丸ダムから直線距離で5~6km、次は小河内ダムの壁が立ちはだかることになる。小河内ダムには魚道は無い。遡上可能となったこの5~6kmの区間に、どこまで意味があるのか、やはり疑問は残る。 ・・・

はっきり言えば国土交通省の役人の自己満足と土木建設会社の為に30億円という巨額のお金が浪費されたのです。日本にはこういう無駄使いが沢山あるに違いありません。
白丸ダム付近の美しい風景を見ながら、「困ったものだ」と独り呟きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


美しい景観「伊根の舟屋」の写真をお送りします

2019年09月19日 | 日記
「伊根の舟屋」の美しい風景に魅せられて遥々車で訪ねたことがあります。独り旅でした。
丹後半島の付け根にある伊根湾には日本の原風景のような美しい「伊根の舟屋」があるのです。
舟屋が民宿の寝室になっているのです。夕食に生け簀に泳いでいた地魚の塩焼きが出ました。
ゆっくり独酌で地元の辛口の酒を楽しみました。もう何十年も昔の旅の思い出です。
今日はその風景写真をお送りします。出典は、https://reki4.com/00201.html です。









ここ伊根は建久2年(1191年)に「長講堂所領注文」という史料で初見され鎌倉時代末期には集落が形成されていたようです。
当初は湾内中心の漁業だったようですが江戸時代以降は湾外へと拡大されました。
また、明暦2年(1656年)の「鯨永代帳」には捕鯨の記録も残されています。
江戸時代末期には短冊型の地割りが見られ現在の舟屋群の基礎が確立しています。
それにしても何故か旧懐の情をかき立てる風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

秋の思い出、あけび、栗、柿

2019年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりました。
秋になるとあけびや栗や柿などを思い出します。
戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿と栗しかありませんでした。冬になれば果物店に青森の林檎や静岡のミカン並びがましたが、一般的に果物は貴重品でたまにしか食べられませんでした。
そんな時代の1950年頃に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜でした。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になったアケビでした。
すぐに取って、中の果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。
この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。
・・・それからいろいろな事がありました。あっという間に25年が過ぎ去りました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行ったときに小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、彫刻用の木版に彫って小屋に取り付けました。
・・・それからまたいろいろな事がありました。あっという間に15年が過ぎ去りました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットの店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞ヶ浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に墨黒々と「あけび号」と書いてあります。
その10年後に少し大きな中古ヨットを買いましたが、その登録名は「あけびⅡ号」としました。
アケビの実は不思議です。私の人生の大切なものになりました。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきて幸せな気分になるのです。
ある新聞に下の句がありました。

「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」  松井矢菅

写真にあけびや秋の果物の写真を示します。
あけびの写真の出典は、http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/2344/recipe/oba-chan/akebikawa.htmです。
栗の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/syumi-uu/m/200609です。
秋の果物の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22654001497&GroupCD=0&no= です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「秋です、北海道の水田の風景をお楽しみ下さい」

2019年09月17日 | 写真
サトウビンさんの「見て知って北海道」という感動的なHPから、北海道の稲作地の秋の水田の風景をお送りいたします。
一番目と二番目の写真の出典は、「見て知って北海道」http://15.pro.tok2.com/~satoubin/index.htm です。
三番目の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/kuraido-nyan-nyan/e/b91b467f70b0518123155bc6129de7b1 です。





世界の飢餓人口の増加続く現状とSDGsの役割

2019年09月16日 | 日記
SDGsとはSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)という国連の大きな事業です。
共産主義革命は武力を使って共産党政権を作り資本家に搾取されている人々を解放しようとしました。しかしそれは無残な失敗に終わりました。
しかしSDGsは個人や株式会社の活動によって世界から貧困や飢餓を無くそうという新しい思想にもとずいた国連の事業です。それは人類の新しい文化です。

今日はこのSDGsによって世界の飢餓問題が解決出来るのか考えてみたいと思います。
2018年版「世界の食料安全保障と栄養の現状」報告書によると世界の飢餓人口の増加は続いており、2017年には8億2100万人が飢餓に苦しんでいます。
世界の人口の9人に1人が飢えているのです。そして「飢え」が原因となって死んでいく人は毎年2000万人という報告もあります。
過去3年の間、飢餓は増加を続け、10年前の状況に逆戻りしました。 この後退は、2030年までに飢餓をゼロにするというSDGsの達成が失敗する可能性を示しています。
南米およびアフリカのほとんどの地域で状況が悪化している一方、アジアで特徴的であった栄養不良の改善傾向さえも、著しく減速しています。
本国連年次報告書は、降雨パターンや作物生育期に影響を及ぼす気候変動性や、干ばつや洪水等の極端な気象現象が、紛争や景気後退とともに飢餓増加の主要因の一つとなっていると指摘しています。
飢餓をなくし、食料安全保障を確保し、栄養改善を実現しますというSDGsも目的は失敗する危機に瀕しているのです。
この現状に果敢に立ち向かっている日本人も多数いるようです。
以下に一人の例をご紹介します。
それはNPO法人ハンガー・フリー・ワールドの理事で事務局長の渡邉 清孝さんです。
(https://sdgs.tv/tg_mov/goal2 )
NPO法人ハンガー・フリー・ワールドは、SDGs目標2の「飢餓撲滅」に向けて、途上国の人たちが自力で食料を確保できるよう農業技術指導や栄養改善などを通じて支援している団体です。
すべての人はいつでもどこでも十分な量、かつ安全で栄養のある食料を得られる権利(食料への権利)を持っています。しかし世界では約8億人が飢餓状態にあるのが現状です。その一方で、先進国ではサハラ砂漠以南の地域の年間農業生産量に匹敵する食品が捨てられているといういびつな現実があります。
SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)の期間で、世界の飢餓人口はほぼ半減しました。SDGsで2030年に飢餓をゼロにするためには、どのようなアプローチが必要なのでしょうか。
この渡邉 清孝さんが事務局長をしているNPOは30年以上にわたって飢餓撲滅の現場で活動してきました。
渡邉 清孝 氏さんは1967年宮城県生まれです。東北学院大学卒業後、会社員を経て1993年NPO法人ハンガー・フリー・ワールドに入りました。ファンドレイザー職を経て2003年から理事、事務局長になりました。企業とNGOの連携推進や他のNGOと関連の組織作りに努力しています。

もう一つの例は民間会社のSDGsの取り組みです。
味の素会社の例です。(https://www.ajinomoto.com/jp/activity/csr/pdf/2018/SDB2018_all.pdf )
この会社は以下の問題の解決に努力します。
1、栄養情報不足による栄養バランスの崩れがもたらす「不足栄養・過剰栄養」
2、都市への一極集中や急速に進む高齢化などライフスタイルの変化による多忙化、孤食化がもたらす「こ ころの健康問題」
3、「食資源の枯渇とフードロス」の食資源課題
4、製品ライフサイクル全体での地球との共生(カーボンニュートラル、フードロスの半減、持続可能な調達、 持続的な水資源保全、廃棄物のゼロエミッションの実現)

このように従来の利潤追求だけの活動にいろいろなSDGsの運動を組み込んでいるのです。

今日はSDGsによって世界の飢餓問題が解決出来るのか考えてみました。結論は時期尚早なので書けません。

今日の挿し絵代わりの写真はモロッコ、北アフリカ の農村風景です。
写真の出典は、
https://jp.123rf.com/photo_29715180_風景緑のフィールドの灌漑農業砂漠峡デュ-dades-boumalne-デード、モロッコ、アフリカ、北アフリカ.html です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)








埼玉県へ武蔵野の雑木林の写真を撮りに行く

2019年09月16日 | 写真

昨日は天高く晴れ上がった初秋の一日でした。午後から埼玉県の所沢の農村へ雑木林の写真を撮りに行きました。
四季折々何度も写真を撮りに行く私のお気に入りの場所です。
雑木林はまだ深緑りの夏の色です。空は秋の空です。2つの季節が見える風景でした。
もう2ケ月もするとこの雑木林は美しく紅葉するのです。
そしてすっかり落葉して冬の雑木林になるのです。四季折々美しい風景が楽しめる場所なのです。



「多摩川中流の緑地を人々はこのように楽しんでいます」

2019年09月15日 | 写真
多摩川は山梨県丹波村を源流として東京の奥多摩を流れ下り大田区の羽田空港のそばで海に注ぐ川です。その河畔は樹々が茂り緑豊かな美しい場所なので人々の寛ぎの場です。
特に調布市、府中市から羽村の堰までの中流の岸辺は緑がいっぱいです。
人々が自然のなかでバーベキューを楽しんだり自転車で走ったりしています。
昨日そんな写真を府中の郷土の森公園の傍の河畔で撮って来ました。
皆様も写真をご覧になって今日の日曜日を寛いで下さい。









台湾のカトリック教会の写真

2019年09月15日 | 写真
台湾の2018年の人口は 2378万人です。
そのうち道教が79万人、基督新教(プロテスタント)が38万人、天主教(カトリック)が18万人、仏教が17万人です。
今日はこの台湾のカトリック教会の写真をお送りいたします。

尚、中国本土のカトリック教会の写真は「ローマ法王と中国との和解、そして瀋陽の教会での思い出」(2019年09月08日掲載記事)にあります。
そして香港のカトリック教会の写真は「香港の武力鎮圧は起きるか?ローマ法王は動くか?」(2019年09月06日掲載記事)にあります。あわせてご覧頂けると中国全体のカトリック教会の写真を楽しめます。

1 番目の写真はメイ瑰聖母聖殿主教座堂です。出典は、https://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/kaohsiung/kankospot/10413449/tips/10687907/ です。
高雄市にあり、清の時代の創建で台湾最初のカトリックの教会です。アジア三大聖堂の1つでもあるそうです。

2番目の写真は新竹市の聖母聖心司教座堂です。
出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/カトリック新竹教区 です。
カトリック新竹教区は台湾の桃園市、新竹市、新竹県および苗栗県を管轄区域とする司教区です。司教座聖堂はこの聖母聖心司教座堂です。

3番目の写真は安平聖ラウレンティウス堂です。
出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/カトリック台南教区 です。
カトリック台南教区は台湾 台南市および澎湖県を管轄区域とする司教区です。司教座聖堂は中華聖母司教座堂です。

4番目の写真は台湾で一番古い1889年の「聖母無原罪司教座堂」です。
出典は、https://kaikyou.exblog.jp/23616503/ です。

5番目の写真は現在の「聖母無原罪司教座堂」です。
聖母無原罪司教座堂は 台湾 台北市大同区民生西路にあります。
カトリック台北教区の司教座聖堂です。同じ敷地内には幼稚園が併設され、カトリック系の静修女子中学も隣接しています。

このように台湾の教会を見て、その上で中国本土や香港の教会の写真を見るといろいろな感慨が湧いてきます。中国本土に宗教を否定する共産主義の政権が出来てから70年経ちました。
しかし宗教は不滅です。共産党政権も宗教の自由を認めざるを得ませんでした。共産党政権を批判しない限り人々がどんな宗教を信じようが自由なのです。
この制限は宗教を信じている人々にとっては全く意味が無いのです。制限と感じません。
なぜなら宗教というものは政治と無縁のものなのです。真の信者は政治を考えないのです。
政治的な発言は宗教と別世界のことなのです。イエス・キリストも釈迦も政治に関することは一切発言しませんでした。それが宗教というものです。


宗教と政治の関係はさておき、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

花栽培の達人KITAHO さんのデジカメ散歩から

2019年09月14日 | 写真
花栽培の達人KITAHO さんのデジカメ散歩から今週の花の写真をお送りいたします。
http://kitaho321.blog25.fc2.com/page-0.html にはもっと沢山の花の写真がk明細されています。

1番目の写真はベニバナインゲン、紫花豆の花です。
紫花豆は、ベニバナインゲン( Phaseolus coccineus)はメキシコの高原原産のインゲンマメ属の多年草で江戸時代末期に導入されたようです。

2番目の写真はGolden buttons と呼ばれるTansyです。今、盛りです。
 キク科・ヨモギキク属のタンジー(Tansy)がボタンのような花をたくさん見せています。

3番目の写真はジンジャーの花です。今開花しています。(Ginger Lily)
 和名で花シュクシャ(花縮紗)と呼ばれるジンジャーで、透明感のある華やかな花が魅力です。

4番目の写真はピンクのカタバミ(‎Oxalis bowiei )です。
 和名として花カタバミと言います。

5番目の写真は黄色の花のカタバミです。
学名はOxalis corniculata です。
和名として片喰(カタバミ)と言います。噛むと酸っぱい汁が口に拡がることから酢漿草とも呼ばれます。

小泉進次郎の国際的視野の広さに感嘆

2019年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
Face Book の友人の小松 史彦さんが9月11日に次のように書いていました。
・・・小泉進次郎環境大臣が就任会見でSDGsに言及した。今までにSDGsについて自分の言葉で語った大臣はいなかった。率直に評価したいと思う。
一方で一言もそれについて解説、言及しない(できない)会見場にいたマスコミ各社の記者、TV中継したNHKの記者、キャスターらは、意識の低さ無さを露呈した。その後放送されたニュースショーの中でも、見る限りSDGsのくだりはことごとくカットされているようだ。・・・以下省略します。
(https://www.facebook.com/fumihiko.komatsu1)
この記事を読んで私もSDGsを知らなかったことを恥ずかしく思ったのです。
そこで調べました。
SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で国連の巨大な事業です。

今日はこのSDGsを分かり易く説明し小泉進次郎の国際的視野の広さを讃えたいと思います。若くして環境大臣になった彼は確かに高い見識の持主なのです。
SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。

1番目の写真はSDGsが採択されたときに、国連の壁にプロジェクションマッピングでお祝いをした模様を写したものです。カラフルで喜ばしい感じが伝わってきます。
この「持続可能な開発目標」略してSDGsは2016年から2030年の15年間で達成する国連の大きな事業なのです。
目的は世界の飢餓や貧困を皆無にし環境汚染を完璧に防ぎ全ての人間が平等に生きていける場所にしようとするものです。
従来のこの運動は先進国が貧困層の多い発展途上国を援助する事業でした。これはOfficial Development Assistanceの頭文字をとってODAとよばれていました。
日本のODAはアメリカについで2013年までは2位にあったODA大国だったのです。
ですから更にODAに上乗せする「持続可能な開発目標」、SDGsは不要だと考える方々も多いと思います。
そこでまず日本のODAの限界を書きたいと思います。SDGsの説明はそのあとで致します。

さてODAとは各国の政府または政府の実施機関によって、途上国の経済社会の発展や福祉の向上に役立つために供与される資金・技術提供による協力のことです。今日、日本は、世界145の国や地域に対して ODAを実施しています。

2番目の写真は主要援助国のODA実績の推移(支出総額ベース)です。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/jisseki.html
 我が国の2016年のODA実績は,OECD開発援助委員会(DAC)加盟国中,支出総額ベース,支出純額ベースいずれも第4位でした。支出総額,支出純額いずれも前年と同順位でした。

3番目の写真は日本の地域別のODAの配分額の分布を示す図です。
貧困層の多いアフリカよりアジア地域に日本のODA援助が厚く援助しているのが特徴です。
この日本のODAの現状は以下にあります。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/03_hakusho/ODA2003/html/honpen/hp001010000.htm
日本のODAは貧困国の援助を建前にしていますが実態は日本の会社に利益が環流する仕組みになっています。貧困国に道路、橋梁、堤防、ダムなどの建設をするのは日本の大会社です。そこへ日本政府が莫大なお金を払うのです。技術供与をする会社へ日本政府がお金を払います。技術供与で出来た製品を日本の会社が安く買い上げ更に利益を得ます。貧困国の飢えた子供達には恩恵が行きません。
働き手の居ない貧困な家庭には恩恵が皆無です。
ODAは日本大会社をさらに儲けさせるのに役立っているだけなのです。
この日本のODAに対する批判は次のように以前からありました。
まず援助の方法についてですが、これは底辺層の人々の生活水準の向上に よりつながるような援助・資金の適正な流れが必要です。
ところが日本のODAは「タイド援助」の割合が大きく、日本の企業や一部の富裕層の利益となるところが多かったのです。
また、援助と名のついた大規模開発によって、民衆に利益をもたらすはずの援助がかえって借款の増加、貧富の差の拡大などを引き起こす結果となっていました。
つまり「何のための援助か」「誰のための援助か」といった援助の理念が極めてあいまいであったのです。

このODAの欠点を是正するのが2016年から始まった国連の「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」なのです。
そこでSDGsについてもう少し詳しく説明します。
SDGsには17の大きな目標があり、それらを達成するための具体的な169のターゲットで構成されています。
SDGsの17の目標の17の大きな目標の中身を少し見てみましょう。
1、貧困をなくす ... 「いかなるところでも全ての形態の貧困を終わらせる」
2、飢餓をゼロに ... 「飢餓を終わらせ, 食料安全保障と栄養改善を達成し, 持続可能な農業を推進する」
3、人々に保健と福祉を ... 「健康な生活を保証し, 全ての年齢層の全ての人々の良い暮らしを推進する」
4、質の高い教育をみんなに ... 「全ての人々に, 包括的で公平な, 良質な教育を保証し, 生涯にわたる教育機会を促進する」

5、ジェンダーの平等 ...
6、安全な水とトイレを世界中に
7、エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
8、働きがいも経済成長も
9、産業と技術革新の基盤をつくろう
10、人や国の不平等をなくそう

11、住み続けられるまちづくりを
12、つくる責任つかう責任
13、気候変動に具体的な対策を
14、海の豊かさを守ろう
15、陸の豊かさも守ろう
16、平和と公正をすべての人に
17、パートナーシップで目標を達成しよう

この目標を見ていると、貧困や飢餓、健康や教育、さらには安全な水など開発途上国に対する支援に見えます。
しかし実際には、日本の子どもの6人から7人に1人が貧困だと言われていたり、ジェンダー平等に関しても2018年12月に世界経済フォーラムで発表された数字によると149カ国のうち110位と、とても低い数字になっていて、これらの目標は先進国である日本国内でも当てはまることだと言えます。
さらにエネルギーの話、働きがいや経済成長の話も出てくれば、まちづくりの話まで出てきます。これらはまさに先進国である日本も密接に関係する目標です。

ですからSDGsの目的は先進国の国内の貧困や差別をも無くそうという目的も含んでいるのです。ここが従来のODAと決定的に違う特徴です。
この「持続可能な開発目標」は国連の重要決定事項なので日本政府も直ぐに会議を開催して対応を議論しました。

4番目の写真は2017年の安倍総理が主宰した政府の2回目のSDGsへの対応の会合です。
そして次のような発表をしました。
「持続可能な開発目標(SDGs)の実施指針を本日決定しました。日本は、これまで、持続可能な経済・社会づくりのため、国際社会のモデルとなるような優れた実績を積み重ねてきています。
今回決定した指針には、経済、社会、環境の分野における8つの優先課題と140の施策を盛り込みました。この指針で、世界に範を示し、持続可能な世界に向けて、国内実施と国際協力の両面で国際社会をリードしてまいります。
一点目は、国際保健の推進です。国際保健機関に対し、総額約4億ドルの支援を行う予定です。
二点目は、難民問題への対応です。今般、新たに5億ドル規模の支援を行います。
三点目は、『女性の輝く社会』の実現です。2018年までに総額約30億ドル以上の取組を行います。
来年7月には、国連で我が国の取組の報告も行う予定です。関係閣僚においては、今後も本実施指針の下、緊密に連携し、政府一丸で取り組むようお願いします。」
日本はSDGs関連に9億ドルの支援、30億ドルの取り組み、つまり日本円にして合計約4000億円を投資すると言っています。
もちろん、多くのものがこれまで取り組んでいたODAの部分を改めてSDGsの枠組みで表現しなおしているのだと思いますが、日本のSDGsに対する姿勢を表しているものだと言えます。
しかし従来のODAに対する反省が全くありません。
従来のODAと同じ考え方のままで貧困国を支援しようとしています。困ったものです。
そして政府は以下のような曖昧模糊としたアクションプランを発表しています。

SDGsアクションプラン2019の骨子は以下の3つになります。
SDGsと連携する「Society(ソサエティー)5.0」の推進
SDGsを原動力とした地方創生、強靭かつ環境にやさしい魅力的なまちづくり
SDGsの担い手として次世代・女性のエンパワーメント

SDGsが従来のODAと違う特徴は個人や民間会社の利潤追求の活動の中にSDGsを組み込んで持続可能な援助活動にすることなのです。
すなわち個人や民間会社が主であって政府は従なのです。日本政府の古い政治家にとってはこの特徴が理解されないのです。しかし若い小泉進次郎はこの違いを理解して記者会見でSDGsに言及してるようです。

この特徴をいち早く理解し取り入りたのがコンビニのローソンです。

5番目の写真はコンビニのローソンです。
SDGs推進に向けたローソンの取り組み、https://www.lawson.co.jp/company/activity/sdgs/
から抜粋します。
2015年9月、国連の「国連持続可能な開発」につぃてのローソンの取り組みを進める上での考え方
ローソングループは社会・環境への取り組みを推進する上で、次の2つの視点からの取り組みを通です。その上で持続可能な社会の改善の実現を目指します。
1つ目は、自らの社会・環境に貢献する活動です。特に事業活動によるCO2排出量の削減のため、サプライチェーンのCO2排出量を把握するとともに、店舗には最新の省エネルギー機器を導入するなどしています。2つ目は、商品やサービスの提供を通じて、お客さまの社会・環境活動への支援を積極的に進める活動です。

そのために社会・環境教育を以下のように実施します。
ローソングループでは、本部従業員及びFC加盟店オーナー、さらに店長やクルー(パート・アルバイト)を対象とした社会・環境教育を行っています。
本部従業員に向けては新入社員に対する研修をはじめ、年一回、eラーニングによる全従業員を対象とした研修を実施しています。
また、FC加盟店オーナーや店長、クルーに対しては、店舗オープン時研修のほか、社内情報誌などを通じて、情報共有を随時実施しています。

さらにローソングループは”マチの幸せ”募金をし世界の飢餓地などを援助する予定のようです。
この募金の現在の店頭受付額はすでに26,758,826円(2千675万円)になっています。

以上要約すると国連の「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の特徴は次の2つです。
(1)SDGsの目的は先進国の国内の貧困や差別をも無くそうという目的も含んでいるのです。ここが従来のODAと決定的に違う特徴です。
(2)SDGsが従来のODAと違う特徴は個人や民間会社の利潤追求の活動の中にSDGsを組み込んで持続可能な援助活動にすることなのです。

さて小泉進次郎はどの程度この特徴あるSDGsを推進するでしょうか?
今後見守りたいと思っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「万葉集の時代から日本人に愛されて来た秋の七草の花」

2019年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりましたね。昼間は残暑がけっこう厳しいですが、朝夕は流石に涼しくなってきました。
碧く晴れ上がった日は、秋の野に出て花々の写真を撮りに行こうと考えています。これから長い秋の日々が楽しみです。
そして秋の七草を思い出して、山上憶良の万葉集の和歌を読み返します。
岩波の「古典文学体系」や角川文庫の万葉集、上巻(武田祐吉校註)を見ると、当時の人々が愛した花の名が出てきます。
山上憶良の和歌の中にある朝貌は現在のキキョウのことと理解したうえで次の和歌を楽しんでみましょう。原文を分かりやすくしたものを示します。

秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種の花
(山上憶良 万葉集 巻八 一五三七)七種は「七草」と読みます。

萩の花 尾花 葛花(をばな くずばな) なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花
(山上憶良 万葉集 巻八 一五三八)

そこでこの秋の七草の花の写真を見てみましょう。
写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89 です。

1番目の写真は萩です。

2番目は尾花です。

3番目は葛です。

4番目は撫子です。

5番目は女郎花です。

6番目は藤袴です。

7番目は桔梗です。

これらの歌によると、1200年ほど前の日本の野原にはいろいろな花が咲いていたのです。
秋風がわたる万葉時代の野原に花が咲いているのどかな情景が浮かんできます。
二番目の歌は花の名前を羅列しただけですが、その順序と読んだときの音の響きが心地よいのです。2首続けて読むと優雅で気品のある作品のように感じられます。

それにてもこの和歌が作られたのは天平時代の730年ころです。現在よりも1300年も昔のことです。しかし現代の日本人もこの歌を楽しむことが出来るのです。やはり万葉集は確かに素晴らしい文化遺産です。
ついでに末尾の付録に山上憶良の履歴と他の和歌も示しておきました。
ご覧になって万葉時代の優雅な和歌の世界をお楽しみ下さい。

秋の花と言えば七草の花の他に、彼岸花(マンジュシャゲ)、野菊、ホトトギス、リンドウなどがあります。これらは全て日本古来の花々です。
また海外から来た秋の花もあります。セイタカアワダチソウやコスモス、カンナや皇帝ダリアなどなどです。
このように四季折々、花々の咲く日本に生まれた幸せをしみじみと感じる季節です。幸福感につつまれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=================
山上憶良:斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?
大宝元年(701年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。なお、憶良が遣唐使に選ばれた理由として大宝の遣唐使の執節使である粟田真人が同族の憶良を引き立てたとする説がある。
和銅7年(714年)正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる。
養老5年(721年)佐為王・紀男人らとともに、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、東宮に侍すよう命じられる。

神亀3年(726年)筑前守に任ぜら任国に下向。神亀5年(728年)頃までに大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人とともに、筑紫歌壇を形成した。
天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京。天平5年(733年)6月に「老身に病を重ね、年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」を、また同じ頃に藤原八束が見舞いに遣わせた河辺東人に対して「沈痾る時の歌」を詠んでおり、以降の和歌作品が伝わらないことから、まもなく病死したとされる。

いざ子ども はやく日本(やまと)へ 大伴の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)(『万葉集』巻1-63、『新古今和歌集』巻10-898)

憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も 吾(わ)を待つらむそ(『万葉集』巻3-337)

春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ(大宰府「梅花の宴」で詠んだもの)(『万葉集』巻5-818)

瓜食めば 子供念(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ(『万葉集』巻5-802)

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも (『万葉集』巻5-803, )

行く船を 振り留めかね 如何ばかり 恋しかりけむ 松浦佐用姫(『万葉集』巻5-874)

世の中を 憂しとやさしと おもへども 飛びたちかねつ 鳥にしあらねば(『万葉集』巻5-893)

以下省略。