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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

旧甲州街道の面影をもとめて歩く・・・みごとに打ち砕かれたその感傷趣味!

2011年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

時代の流れは激流のようにいろいろなものを押し流して行きます。私の生きた昭和もすでに遠くなり、霧のかなたへ消えてゆくような気がいたします。

それではいけないと思い、昨日は旧甲州街道の面影をもとめて府中という古い町をさまよい歩いて見ました。昭和、明治をとび越して、江戸時代の旧甲州街道の面影を探す小さな旅でしす。

府中は律令国家の武蔵野国の都として江戸幕府が出来るまで1000年近くも多摩川流域の中心地として栄えたのです。古い時代の中山道が後に鎌倉街道と名前を変え、南北に通っていました。江戸時代になりそれと直角に交叉する甲州街道が作られたのです。下の写真がその交差点で、江戸時代には高札場になっていました。

043 この写真の奥の方向が甲州で、手前方向が江戸です。鎌倉街道はこの写真の5m手前を左右に交叉しています。左が鎌倉で、右が国分寺、そして川越へ続きます。

この場所に屋根のついた高札板が掲げられ、江戸幕府の掟や指示、そして罪人の罪状などが書かれていたそうです。

後ろの柵の中が大国魂神社のお神輿の旅所です。お神輿の休憩所です。

この交差点の東側に大国魂神社があります。大和朝廷の成立以前からあった大きな神社で賑やかな集落があったのです。その理由でこの場所が律令国家の武蔵野国の都になったと言われています。

下に大国魂神社の拝殿の写真をしめします。

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大国魂神社の大鳥居の前から外を見たのが下の写真で左右に伸びているのが旧甲州街道です。右が江戸、左が甲州です。

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向こうのケヤキ並木は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先、源頼義・義家父子が1065年頃に作ったものです。その右には伊勢丹という大きなデパートがあり、左側の商店も近代的になってしまって江戸時代の面影は一切ありません。そこでもう一度鎌倉街道と甲州街道の交差点の高札場へ戻って、古い感じの店を探して写真を撮ることにしました。

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旧甲州街道に沿って古い感じの店はたった2軒しか見つけることが出来ません。ひとつは幕末に創業された酒店で、もう一つは大国魂神社の右側に隣接してある紙専門店でした。店内の写真を気持ちよく撮らせてくれました。

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4枚の写真のうち上の二枚をクリックして、拡大してご覧下さい。

太い電柱と電線が写っています。大きな高層マンションが古い店を押しつぶしそうです。

私は本当にガッカリしました。いつも美しい風景写真を撮ろうとすると高圧線があるのです。それを支える巨大な鉄塔があるのです。それを避けて撮ると写真の構図が決まりません。

昨日も府中の旧甲州街道の面影を撮ろうとして苦労しました。電柱と電線とマンションが画面に入らないようにするのに苦労するのです。

結論です。江戸時代の面影を探すという感傷趣味は止めるべきです。文明開花の時代です。新幹線が走り、原子力発電の時代なのです。電線はどんどん太くなり、空に這いまわります。

美的感覚など完全に無視なのです。冷房も暖房も炊事も全て電気が便利なのです。便利が神様です。コンピューターやインターネットが神様です。その力には逆らえません。

時代はどんどん凄い勢いで変わります。人々の考えかたも変わります。お釈迦さまの教えた「無常」です。その当時、お釈迦さまの生きていた時代もどんどん変わったに違いありません。この世は変わるのが当然なのです。変わるからこそこの世なのです。

そんな他愛も無いことを思い浮かべながらすっかり昔の面影が消えてしまった府中の町を散歩して来ました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


何度見ても感動するゴッホの絵画、その一

2011年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

ゴッホの絵画は何度見ても感動します。文化がまったく違う日本人が感動するのです。不思議です。藝術に国境は無いと言いますが、本当なのですね。

検索していろいろなHPを見較べていますが、「ヴァーチャル絵画館」:http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/Gogh.htm は色彩が一番鮮明で、多くの絵画を網羅しています。特に世界中の歴史的な名画を分類整理して提供してくれています。

そして絵画の転載に関しての合法性について以下のように行きとどいた説明もなされています。

絵画に関しては、作者の死後、50年を経たものについては、著作権は無くなります。人類共通の財産となります。注意しなければならないのは、日本は第二次大戦敗戦国なので、連合国側の絵画に関しては、作者の死後50年ではなく、60年半を経なければ、自由にならない、というペナルティがあります。日本で使用する場合は、画家の出身が、連合国側であったか、そうでなかったかで、注意が必要です。」

ゴッホの絵画は死後60年以上経過しているので著作権はありません。

そこで、「ヴァーチャル絵画館」からゴッホの絵を2枚ずつ、3回に分けて連載する予定です。

是非、「ヴァーチャル絵画館」を開いて、他の画家たちの絵画もお楽しみ下さい。

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上は構図が少し違うものが数枚あります。 この陽の明るさはどうでしょう!

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カフェテラスの真ん中の道の奥から一台の馬車がやって来る部分をご覧下さい。絵の奥深さが分かります。


菊の花の季節です・・・写真をお送り致します

2011年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

晩秋は菊の花が美しくなる季節です。他の花々が終わってしまう季節なので一段と華やかに見えます。昨日行った新宿御苑でも明治神宮でも、そして今朝訪問した府中の大国魂神社でも見事な菊の花の展示会をして居ました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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大輪の花の美しさをご覧下さい。

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黄色も良いと思います。

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そして群生し、咲いている菊もどうぞ。

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菊の花を見ると私は仏に供える花を連想します。一度咲くと花が長く咲いているのでお墓に供える事が多いようです。

実は私は心の中で、昔近所に住んで居て、最近亡くなった娘さんへこの菊の花々の写真を供えています。

夫や子供を残して50歳台の若さで旅立ってしまった娘さんへ供えています。

その娘さんとは、私共がお見合いを準備し、結婚の仲人をしたご縁の人でした。

結婚してすぐに夫の勤め先の地へ行ってしまったので長い間お会いしていません。

母親が近所に居て、よく散歩の時にお会いし、立ち話で娘さんの様子を聞いていました。

2年ほど前にガンになったこと、進行していることなどを聞き、心が痛みました。

最近、ついに帰らぬ人になってしまいました。「とても良い夫をご紹介してくれた仲人さんへ感謝しています」とお母さんが家内に何度も言ってくださいました。

その伝言を聞いて、私は悲しいさでいっぱいの心の中にポッと輝く灯を見ました。彼女は夫に感謝し、母親に感謝し、子供たちへ感謝し、全ての友人へ感謝しながら旅に出たに違いありません。

彼女は必ず心安らかに逝ったに違いありません。

彼女のけなげさに涙が流れます。何故、神様は善い人を早く呼び寄せるのでしょうか?神様の気持ちが分かりません。

菊の花を見ると毎年、毎年、私共は彼女を思い出して、彼女のことを話合うでしょう。その事が供養になるようにと祈っています。(終り)


家族愛が溢れている光景・・・あなたはどんな気持ちで見ますか?

2011年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の写真は神社で七五三を祝う家族の写真です。神社で結婚式を挙げている家族の写真です。昨日、明治神宮で撮って来ました。

このブログはいろいろな方々が見て下さいます。ですから以下の写真を家族運の良い人も悪い人も見ます。一生独身の人。子供を幼くして失った人。奥さんが逝ってしまった人。過酷な人生だったのでこのような事には無縁だった人。そのような人々にとっては興味の無い光景かも知れません。

見たくない光景かも知れません。少し分かります。その気持ちを。私の子供の頃は戦争中だったので七五三の祝いなんかありませんでした。大人になってこのような光景を見て悲しい気持ちになったものです。しかし年をとるに従って、自分に関係の無い光景も楽しく見れるようになって来ました。

美しい自然の風景と同じように楽しく見ます。下の写真には家族愛が霞のように漂っているのです。明治神宮の境内の中に漂っているのです。人々の感謝の気持ちと家族の幸福を祈る気持ちが雲のように流れているのです。それは美しい光景です。そのように見る事の出来るようになったことに感謝します。

今日は全ての皆様が以下の写真を美しい自然の風景と同じようにお楽しみ下さいますように祈ります。後藤和弘(藤山杜人)

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新宿御苑の風景写真をお楽しみ下さい

2011年11月09日 | 写真

兎に角、時間があります。暇な毎日です。今朝もブログに「いさぎよく死ぬ方法」を書いてから、さて何処に遊びに行くか考えて見ました。家内は源氏物語の会で留守です。

そこで暫く行っていない新宿御苑と明治神宮へ行くことにしました。独りで気軽に車を走らせて、まず新宿へ出ました。

私は昔から、御苑のヨーロッパ風の樹木の景観が大好きです。そして日本庭園もあるので楓も植えてあります。紅葉しているのではないかと期待して歩き出しました。

残念ながら紅葉はまだでした。11月の末が見ごろだそうです。

それにしても広々した公園が都心にあることに吃驚しました。昔から何度も行った公園ですがその広さに改めて吃驚です。曇りで写真は鮮明でありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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公園の東寄りにヨーロッパ風に作った庭園が広がっています。下のようにスズカケの並木もあります。

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まだ黄色に変化していませんが落ち葉が地面に散り敷いていました。

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新宿御苑には和風の庭園も広くとってあります。そちらへ歩いて行くとほの暗い木々の下に目の覚めるような ツワブキの花が咲いています。

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そしていろいろな様式の和風庭園があります。下は池と石灯篭を中心にした回遊式の庭園です。カモ達が池の中心で泳いでいました。

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新宿公園の中は不思議な位静かです。しかし門を出ると自動車が轟音を立てて走っています。駐車場から車を出して私もその轟音の中に溶け込んでしまいました。山の手通りを少し走って明治神宮の駐車場へ車をいれました。(続く)


老境の人々がいさぎよく死ぬための3つの準備

2011年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、親しい友人から一通のハガキをもらいました。数年続けていた透析の副作用がいろいろ出て来ましたので、友人達への年賀状は止めることにしました。ご勘弁下さい。そして最後の文章が書いてあります。「長い間のご厚誼にたいして篤くお礼もうしあげます、さようなら」と結んでありました。さようならとは悲しいです。この世とも、さようならという意味も含んでいるようです。

ああ、いさぎよい死に方だと思います。

どうせ死ぬのだからいさぎよく死にたいと願っていた私はこの手紙に強く同感しました。

ここ数年、私はいさぎよい死の為の準備をしながら老境を楽しんでいます。準備と言っても良いし、条件と言っても良いのかも知れません。

その条件は3つあると信じています。そのうちの1つだけでもいさぎよく死ねます。

1、趣味を止める。本などを処分してしまう。食器などの日用品は必要なもの以外は処分してしまう。

これを少しずつして行きます。急にするのではなく、ゆっくり進めて行くのです。そうしてこの世への執着心を捨てる訓練を重ねて行きます。

執着心を捨てるという事はそう簡単な事ではありません。訓練でその意味が理解出来れば良いと思っています。この世に執着がなくなれば自然といさぎよく死ねます。

2、周りの人々へ感謝の気持ちを伝える。妻、子供、孫、友人への深い感謝の気持を伝えるのです。周りの全ての人々へ感謝します。

自分がこの世に生まれたことに感謝します。どんな過酷な人生であっても現在まで生きて来れたことに感謝します。このブログを読んで下さる方へ感謝します。

感謝をすると相手の人を自然に愛することになります。愛するとその人も自分を愛してくれます。そうです。愛に包まれて死ぬのです。楽しいものです。いさぎよく死ねます。

3、自然の風景をじっと眺めて居る。例えば下の奥多摩湖の写真を飽きずに眺めるのです。すると自然の風景が次第に好きになります。

雲の輝き。対岸の黒々とした力強い山の存在感。太陽の光芒を浴びた湖面の輝き。手前にあるカラマツの紅葉。これら全てが私を囲んでいます。自分は自然の一部なのです。この実感を何度も持つ訓練をします。すると自分と自然が一体になったような気分になれます。自分の死がほんのささやかな自然現象の一つとして見ることが出来ます。気楽になります。いさぎよく死ねます。

最近、このブログでは39歳で夫や子供を残して旅立って行った女性のことを書きました。織田美保子さんの遺稿集「風を愛したひと」の書評(2)結婚しようとしている男性、夫婦生活をしている夫が読むべき書 です。この文章の最後に、「この方はガンに勝っていた。その勝利は夫、子供、そして多くの友人の愛で支えられたお陰です」という意味の言葉を書きました。ですから織田美保子さんは安らかに旅立ったと私は信じています。それにしても悲しいです。

ですからこそ、いさぎよい死は老人だけに薦めるべきです。若い時の死はあまりにも悲しいものです。残念です。ですから上の文章は老境に居る人々の為だけのものです。

それはそれとして、今日もこの文章を読んで下さった方々へ深く、深く感謝致します。後藤和弘(藤山杜人)

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晩秋の奥多摩湖の風景をお楽しみ下さい

2011年11月08日 | 写真

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上は向こう側にダムの堰堤が見える場所から見えています。下はこの場所から右手の方向です。太陽が雲に隠れると幽玄な雰囲気になります。

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下はダムの上の方の岸辺の紅葉です。日が射さない山影です。紅葉が柔らかく見えます。

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下は月夜見第一駐車場から奥多摩湖の真ん中くらいの所を見降ろした光景です。

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下は上の場所の西の方向です。小さな紅い橋が奥多摩街道と山梨県側からの街道を繋いでいます。

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晩秋の風景を撮ろうとしましたが、いかがでしたでしょうか?


人間の本音はどんどい変わって行く・・・原発、消費税、普天間基地移転なども例外ではない!

2011年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

唐突ですが、まず下の数馬の里の写真をご覧下さい。美しい山里の風景のように見えます。しかし昨日久しぶりに行って胸が痛む思いをしました。営業している宿はこの「たから荘」だけで周りの民宿は戸締りして何年も閉鎖している様子です。

あんなに繁盛していた数馬の里も時代に取り残されて寂れ行く運命にあるようです。

日本人が本音で好む観光地の内容が時代とともにどんどん変わって行くのです。

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何故か淋しくなり、この上のほうにある三頭山荘と兜屋の様子を見に行きました。流石にこの二軒だけは営業はしていました。しかし建物の手入れが悪く、心が痛み、写真を撮る事が出来ません。お客の気配もありません。仕方無く兜屋の看板の写真だけを撮りました。繁盛していた時代の勢いを示す大看板です。

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日本人の観光地へ期待する本音は時代とともに変わって行くのです。古いものはさびれ、新しいものが栄えるのです。人の心に鎖をつけて留め置くことは不可能なのです。

これと全く同じように人々の原発再開に対する本音も時間の経過とともにどんどん変わって行きます。経済発展のためにはそろそろ原発をまた再開しても良いのではありませんか?本音でそのように思う人が増えて来たようです。これだけの大爆発と放射能の被害が出たのだから、原発を再開しても、もう二度とこんなことは無いでしょう。これも人々の本音です。原発の津波対策も進んでいると「思う」ので再開し、再び停電の無いようにして下さい。これも本音です。

消費税についても人々の本音が変わって来ました。「ギリシャのように国家破産の危険性があるのなら、そろそろ消費税を上げた方が良いと思います。これも本音です。なにせ日本が破産すれば自分が持っている国債が紙くずになるのです。

日本の国家財政の破産を防ぐためにはその他の増税もどんどんした方が良いと思います。これも本音です。

普天間基地問題に関する本音もアメリカの強い反発でどんどん変わって行きます。自由民主党がアメリカと取り交わした移転方針通りどんどん実施すれば良いのです。これも本音です。

新聞は本音を書きません。格好の良い建前論だけを書きます。それを悪いと非難しません。新聞とはそのような宿命を背負っているのですから。

人々の本音は時代とともにどんどん変わるのが自然なのです。しかし時代と共に絶対に変わらない本音もあります。家族愛がその例です。他民族を支配したいという本音もあります。戦争を好む本音もあります。それらについて書いて行けばきりがありません。

それにしても、「原発反対!」、「消費税反対!」、「普天間基地移転反対!」と叫ぶ虚しさをどうすれば良いのでしょうか?

昨日、寂れ行く桧原村の数馬の里の写真を撮りながら感じた事を書いて見ました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


犬も歩けば棒にあたる!

2011年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログは眺めて頂ければ楽しめるということを大切にして作っています。眺めたついでに読んで、考えて頂ければもっと良いとも思って駄文を労しています。

眺めて楽しんで頂くためには写真が重要です。そこでいろいろな所へ、ある主題を心に抱きながら写真を撮りに行きます。

しかしその主題とは関係なく、いろいろ面白い写真が撮れることも多いのです。ですから億劫がらずにあちこちへ出掛ける事が大変重要です。

すると犬も歩けば棒にあたるように面白い、美しい、心がゆり動かせられるような写真が撮れます。

それは偶然です。ささやかな運命です。今日も奥多摩で心に訴えるような雲の写真が撮れました。

心がゆり動かせられるのは私だけでしょか?あなたも少しだけ感動して頂ければ嬉しくおもいます。空に輝く雲の写真です。139

今日のように北から高空に冷たい空気が流れるとこんな雲が出来るようです。

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奥多摩の山並みもご覧下さい。

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山の中腹にあるの生活の苦しさと素晴らしさの両方をご想像ください。140


東京都桧原村、奥多摩周遊道路の紅葉をお楽しみ下さい

2011年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

朝起きてから、毎日遊びの計画を作ります。引退後の老後は毎日、毎日、自由に遊べるので楽しいです。今日は天気も良いので、自宅から一番近く、その上必ず紅葉が美しい所を考えました。自宅から片道60km位で標高の高い所として桧原村の奥多摩周遊道路を思いつきました。その頂上には都民の森という険しい山林公園があります。絶対に紅葉の真っ盛りと確信して車を走らせました。標高が高くなるにしたがって紅葉が色濃くなって行きます。都民の森公園と周遊道路は紅葉が見事でした。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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三頭山荘の上にある滝です。

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上と下は都民の森公園の紅葉です。

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奥多摩周遊道路の月夜見第一駐車場からの眺めです。

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下は月夜見第一駐車場の近くの林の紅葉です。

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キラキラ輝いて美しかった老婦人の旅立ち

2011年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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40年余、お付き合いのあった近所の老婦人が先月92歳で旅立って行きました。最後までキラキラ輝いていて魅力的な方でした。

旅立の日から1ケ月になりますが、いつも思い出されます。女性が年をとっても美しく輝くのは何故かと考え続けています。

自宅から出棺のとき、その美しいお顔の周りに家内と一緒に沢山の花々を入れました。私は白い大きなユリの花を3本入れましたが、とても足りないような気分でした。そこで今日は思いきって、上と下の写真で千本、いや1万本以上のユリの花々をお供え致します。

このようなユリの花のイメージを連想させる老婦人でした。その連想のせいで輝いて美しく感じたのかも知れません。

どんな女性でも老いれば容色が衰えます。しかし美しい、女らしい精神の灯を燃やし続ければ何時までも魅力的な女性であるのです。

このような言葉は良く聞きます。よく読みます。しかし美しい、女らしい精神の灯とはどんなものでしょうか?

もっと分かりやすく書かないと誰にも判りません。判然としません。そこで旅立ったその方を偲びながら具体的に書いて見たいと思います。

彼女とは散歩の途中の軽い挨拶からお付き合いが始まりました。家内の文学の会に30年余も通っていました。家内はしばしば彼女の様子を話していました。彼女の事は家内の好きな話題だったのです。良い意味で。

家内は知的で上品なその方が大好きのようでした。私は家内の話を通して彼女をとても親しく感じていました。

よく旅行に行ってはおみやげを私の家へ届けてくれました。私が玄関に出ると綺麗な、丁寧な言葉で話します。

帰ったあといつもああ、美しい女(ひと)と話が出来て良かったと思ったものです。電話にたまたま私が出ると、優しく挨拶します。70歳や80歳だったと思いますが、美しい女(ひと)だったのです。不思議でした。

そこで理屈っぽい私は分析をしたのです。何故、年老いても美しく輝けるのかを。

それは少女のような恥じらいの気持ちを持つことです。新婚時代の夫へ対する気持ちを持ち続けることです。

いつまでも好奇心が強く美術関係の展覧会や音楽会へ出かけるのです。本を読みます。旅行もよくします。旅に出れば女らしいお土産をかならず買って、届けてくれるのです。

自宅の庭には花々を絶やしません。ご家族で長く外国に住んで居たと聞きました。知り合ってすぐに家内と何度か自宅へ招んでくれたのでご主人とも話し合ったことがあります。物静かで思慮深い感じの方でした。しかし数年後に亡くなってしまいました。

彼女は西日本のある町の大きな酒蔵のお嬢さんとして育ちました。ご主人との間には一人娘がいて、孫娘が2人、ひ孫が4人います。良い家族に囲まれていつもニコニコしていました。

特に感動的だったことは一人娘の夫、、、お婿さんが献身的に彼女のお世話をしていたことです。車椅子の彼女を旅行へ何度も連れて行くのです。家内の文学会への送り迎えの車もお婿さんが運転します。

それは献身的な親孝行です。他人から見れば「献身的」に見えたのかも知れません。しかし私は彼女の魅力がそうさせたのだと思っています。

そのお婿さんが若くして昨年ガンで逝ってしまったのです。そして彼女は今年、お婿さんを追うようにあわただしく旅立ってしまったのです。

近所が急に淋しくなりました。残念です。悲しいです。

ゆりの花々の写真をお供えしてご冥福をお祈り致します。どうぞやすらかにおやすみください。近所の私も家内とともに時々お祈りいたしております。

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撮影場所:宮城県の北西端の栗駒高原の栗原市、一迫町、一迫ゆり園:http://www.ichihasama-yurien.com/ で、2008年7月4日に家内が撮影しました。


こんなささやかな事が楽しくなる不思議さ

2011年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

@小さな岩魚のささやき

下の写真は小屋の庭を流れる小川です。堰を作り、少し広い水溜まりを作りました。

岩魚が上流に登れるように堰の左に魚道をつけました。それを作ってから何年にもなりますが毎年11月になると小さな岩魚が魚道を登って、上の広い溜まりに泳いでいます。ソーッと見ているとゆうゆうと泳いでいます。今年も産卵の為にもっと上まで行きますとささやいているようです。小川には絶え間なく落葉が降り注いでいます。

魚道を作る。岩魚が感謝して登る。もっと上に行きますと言って泳いで行ってします。

それだけの事です。しかしそんな詰まらない事が私にとっては無性に楽しいのです。

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@小川の向こう岸の紅葉した木々を見ながら食事をします

小屋は本当に質素です。水道もガスも来ていません。6畳と4.5畳の部屋があるだけです。それでも朝はコーヒーを淹れ、ベーコン・エッグを作ります。トーストにバターとジャムを塗って家内と静かに朝食です。窓の外の風景は下の写真のようです。

それを飽かずに眺めながらコーヒーを飲みます。

それだけの事が無性に楽しいのです。

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@寒い夜なかに起きて薪ストーブを焚く

寒い冬の夜は薪ストーブが頼りです。しかし薪ストーブは実に不便なものなのです。薪が燃えている間はポカポカ暖かいのですが、薪が燃え尽きると途端に寒くなります。

特に夜中は寒さで震え、寝ていられません。真夜中に起きだして、ストーブに火をつけます。新聞紙を丸めて何枚か燃やすと煙突が暖まり、すごい勢いで空気を吸い込みゴーゴーと音を立てて燃えます。その時、薪を数本入れます。充分暖まってから寝床へ戻って眠ります。しかし2時間ほどすると又寒さで目が覚めます。また薪ストーブを燃やします。

こんな事を朝まで3、4回繰り返します。そして明るくなって朝がくると無性に嬉しくなります。大げさに言えば寒い夜を生き抜いたという喜びです。

こんな詰まらないことが楽しいのです。下は昨日の明け方、燃やし付けたストーブの様子です。充分暖まったら写真を撮る心の余裕が出てきました。

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自分のつまらない楽しみを書きました。失礼しました。 


南アルプスの清流の写真をお楽しみ下さい

2011年11月06日 | 写真

南アルプスの地蔵岳とアサヨ峯や甲斐駒岳から流れる谷川は白い砂の川床です。その上を澄んだ水が流れ下っています。

山が白い花崗岩質なので水が清く、飲むと美味しいのです。

ペットボトルに詰めて南アルプス白州の水という名前で売っています。テレビコマーシャルもあるのでご存じの方も多いと思います。

昨日、撮ってきた写真をお送りいたします。上の2枚が大武川、その次が石空(イシウトロ)川、最後の写真が尾白川です。全て人家の無い山合を流れ下って来ます。

写真から水が美味しそうに感じませんでしょうか?

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俗世を逃れて山に独り住む人々のいろいろ・・・何故独りで住むか?

2011年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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自分の山小屋へ入る細い山道の入口左右の風景です。左を見ると武川米の栽培限界の水田の端が見え、右には甲斐駒岳の山並みが見えます。ここから気候が急に変わり、これ以上の高地では寒気のために水田も畑作も出来ません。深い、深い森が延々と覆っています。

その森の中に踏み込むと、舗装されていない山道が2kmくらいついています。その左右に50軒ほどの別荘があり、8人が独りで永住しています。永住はしていませんが10日、20日と長く滞在し、都会にある家と半々くらいに住み分けている人が5人位います。あとの人々は週末だけ泊りに来る家族です。

このように書くと賑やかな別荘地のようですが、森が広いので人家が見えず淋しいところです。鹿や猿や猪が沢山棲んでいます。熊もいるそうです。動物があまり多く棲んでいるので畑作は出来ません。作物がアッという間に食べられてしまうのです。熊と猪は見たことがありませんが、鹿や猿は何度もみました。下の写真のような山道をゆっくり車を走らせて往くと左右の林の中に鹿や猿が見える時があります。

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この雑木林まで来ると、その静かさで不思議な気分になってしまいます。このまま迷路に迷い込んで黄泉の国へ行ってしまうような気分になるのです。ごく自然に生から死の世界へ続いているようです。寂寥が満ちている雑木林です。

このような道の左右に50軒程の別荘が散在しています。

昨日も大阪に家があり奥さんが居るのに独りで住んでいるARさんの家に寄りました。その少し上にはフランス人と日本人の夫婦が住みついています。

私の小屋の周りには横浜から移住してきた鬼家雅雄さんや共産党本部で一生働いていたODさんも独りで何十年も住んでいます。鶴川で大工さんをしていたNKさんも独り暮らしです。

そして山道の途中の林の中にはMKさんやMOさんが独りで暮らしています。多くは引退した老齢期の人々ですが、一組の若夫婦が住んで居ます。自宅でコンピューターを使って仕事をしている夫婦です。そのような職業があるのです。

その他に都会の家と別荘とを半々位の期間住み分けている人もいます。

一昨日、家内と一緒に小屋の周りの落ち葉を熊手で集めていたら4人の独り住まいの人が別々に寄ってくれました。いろいろと雑談をして行きました。

私は、「何故独りで暮らしているのですか?」という質問は絶対にしません。

しかし独り暮らしの人々はよく都会に居る妻のことや娘のことを話します。以前にしていた仕事の話もします。ですから何となく何故独りで森の奥に住んでいるのか次第に分かってきました。

理由は人それぞれで違います。しかし共通な理由は、兎に角自然が好きなのです。その遺伝子を持っているようです。俗っぽい社会が嫌いなのです。奥さんや子供や孫は好きですが、自然がもっと好きなのです。不思議ですね。

そして共通な傾向は何か趣味に打ち込んでいます。キノコ栽培であったり、薪を沢山作りストーブを焚くことであったり、別荘を自分で作ることであったり、蜂蜜を得る養蜂だったりします。兎に角独りで根気よく趣味を楽しむ人々です。都会では勝手に出来ないような趣味です。

これらの人々と30年、40年と少しだけ付き合ってみると皆が個性豊かなのです。社会に不満が有るわけでありません。家族も好きです。しかし自然の中に独り住みたいのです。そのような遺伝子を持って居るのです。そのような運命の人々なのです。「何故、独りで住むのですか?」と聞いても本人も理由は分かりません。ですからこそ私はそのような質問を絶対にしません。人間とは本当に分からいものです。

しかしみんな幸せそうに独りで生きているのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人


今日の八ヶ岳山麓の山小屋近辺の紅葉の写真をお楽しみ下さい

2011年11月05日 | 写真

昨日から一泊で山梨県、北杜市の山小屋へ行って来ました。薪ストーブを焚いて厳しい山の夜を過ごして来ました。

家内の撮った写真も含めて近辺の紅葉の写真をお送り致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。おやすみなさい。

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上は八ヶ岳、下は自分の小屋の落葉散り敷く庭と小川です。

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