goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

こんなささやかな事が楽しくなる不思議さ

2011年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

@小さな岩魚のささやき

下の写真は小屋の庭を流れる小川です。堰を作り、少し広い水溜まりを作りました。

岩魚が上流に登れるように堰の左に魚道をつけました。それを作ってから何年にもなりますが毎年11月になると小さな岩魚が魚道を登って、上の広い溜まりに泳いでいます。ソーッと見ているとゆうゆうと泳いでいます。今年も産卵の為にもっと上まで行きますとささやいているようです。小川には絶え間なく落葉が降り注いでいます。

魚道を作る。岩魚が感謝して登る。もっと上に行きますと言って泳いで行ってします。

それだけの事です。しかしそんな詰まらない事が私にとっては無性に楽しいのです。

Photo

@小川の向こう岸の紅葉した木々を見ながら食事をします

小屋は本当に質素です。水道もガスも来ていません。6畳と4.5畳の部屋があるだけです。それでも朝はコーヒーを淹れ、ベーコン・エッグを作ります。トーストにバターとジャムを塗って家内と静かに朝食です。窓の外の風景は下の写真のようです。

それを飽かずに眺めながらコーヒーを飲みます。

それだけの事が無性に楽しいのです。

091_2 

@寒い夜なかに起きて薪ストーブを焚く

寒い冬の夜は薪ストーブが頼りです。しかし薪ストーブは実に不便なものなのです。薪が燃えている間はポカポカ暖かいのですが、薪が燃え尽きると途端に寒くなります。

特に夜中は寒さで震え、寝ていられません。真夜中に起きだして、ストーブに火をつけます。新聞紙を丸めて何枚か燃やすと煙突が暖まり、すごい勢いで空気を吸い込みゴーゴーと音を立てて燃えます。その時、薪を数本入れます。充分暖まってから寝床へ戻って眠ります。しかし2時間ほどすると又寒さで目が覚めます。また薪ストーブを燃やします。

こんな事を朝まで3、4回繰り返します。そして明るくなって朝がくると無性に嬉しくなります。大げさに言えば寒い夜を生き抜いたという喜びです。

こんな詰まらないことが楽しいのです。下は昨日の明け方、燃やし付けたストーブの様子です。充分暖まったら写真を撮る心の余裕が出てきました。

076_3

自分のつまらない楽しみを書きました。失礼しました。 


南アルプスの清流の写真をお楽しみ下さい

2011年11月06日 | 写真

南アルプスの地蔵岳とアサヨ峯や甲斐駒岳から流れる谷川は白い砂の川床です。その上を澄んだ水が流れ下っています。

山が白い花崗岩質なので水が清く、飲むと美味しいのです。

ペットボトルに詰めて南アルプス白州の水という名前で売っています。テレビコマーシャルもあるのでご存じの方も多いと思います。

昨日、撮ってきた写真をお送りいたします。上の2枚が大武川、その次が石空(イシウトロ)川、最後の写真が尾白川です。全て人家の無い山合を流れ下って来ます。

写真から水が美味しそうに感じませんでしょうか?

057 063 032 048


俗世を逃れて山に独り住む人々のいろいろ・・・何故独りで住むか?

2011年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

017 015

自分の山小屋へ入る細い山道の入口左右の風景です。左を見ると武川米の栽培限界の水田の端が見え、右には甲斐駒岳の山並みが見えます。ここから気候が急に変わり、これ以上の高地では寒気のために水田も畑作も出来ません。深い、深い森が延々と覆っています。

その森の中に踏み込むと、舗装されていない山道が2kmくらいついています。その左右に50軒ほどの別荘があり、8人が独りで永住しています。永住はしていませんが10日、20日と長く滞在し、都会にある家と半々くらいに住み分けている人が5人位います。あとの人々は週末だけ泊りに来る家族です。

このように書くと賑やかな別荘地のようですが、森が広いので人家が見えず淋しいところです。鹿や猿や猪が沢山棲んでいます。熊もいるそうです。動物があまり多く棲んでいるので畑作は出来ません。作物がアッという間に食べられてしまうのです。熊と猪は見たことがありませんが、鹿や猿は何度もみました。下の写真のような山道をゆっくり車を走らせて往くと左右の林の中に鹿や猿が見える時があります。

084

この雑木林まで来ると、その静かさで不思議な気分になってしまいます。このまま迷路に迷い込んで黄泉の国へ行ってしまうような気分になるのです。ごく自然に生から死の世界へ続いているようです。寂寥が満ちている雑木林です。

このような道の左右に50軒程の別荘が散在しています。

昨日も大阪に家があり奥さんが居るのに独りで住んでいるARさんの家に寄りました。その少し上にはフランス人と日本人の夫婦が住みついています。

私の小屋の周りには横浜から移住してきた鬼家雅雄さんや共産党本部で一生働いていたODさんも独りで何十年も住んでいます。鶴川で大工さんをしていたNKさんも独り暮らしです。

そして山道の途中の林の中にはMKさんやMOさんが独りで暮らしています。多くは引退した老齢期の人々ですが、一組の若夫婦が住んで居ます。自宅でコンピューターを使って仕事をしている夫婦です。そのような職業があるのです。

その他に都会の家と別荘とを半々位の期間住み分けている人もいます。

一昨日、家内と一緒に小屋の周りの落ち葉を熊手で集めていたら4人の独り住まいの人が別々に寄ってくれました。いろいろと雑談をして行きました。

私は、「何故独りで暮らしているのですか?」という質問は絶対にしません。

しかし独り暮らしの人々はよく都会に居る妻のことや娘のことを話します。以前にしていた仕事の話もします。ですから何となく何故独りで森の奥に住んでいるのか次第に分かってきました。

理由は人それぞれで違います。しかし共通な理由は、兎に角自然が好きなのです。その遺伝子を持っているようです。俗っぽい社会が嫌いなのです。奥さんや子供や孫は好きですが、自然がもっと好きなのです。不思議ですね。

そして共通な傾向は何か趣味に打ち込んでいます。キノコ栽培であったり、薪を沢山作りストーブを焚くことであったり、別荘を自分で作ることであったり、蜂蜜を得る養蜂だったりします。兎に角独りで根気よく趣味を楽しむ人々です。都会では勝手に出来ないような趣味です。

これらの人々と30年、40年と少しだけ付き合ってみると皆が個性豊かなのです。社会に不満が有るわけでありません。家族も好きです。しかし自然の中に独り住みたいのです。そのような遺伝子を持って居るのです。そのような運命の人々なのです。「何故、独りで住むのですか?」と聞いても本人も理由は分かりません。ですからこそ私はそのような質問を絶対にしません。人間とは本当に分からいものです。

しかしみんな幸せそうに独りで生きているのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人