熊谷雅也さんの出版社は大津波に襲われました。しかし大船渡市の人々へ勇気と、輝きを与えています。人々を元気にし、希望をもたせ、また立ちあがらせています。そして何故か光を与えているようです。その訳を書く前に、寒い大船渡に住む熊谷雅也さんを活き活きした水仙の花で囲んでみたいと思います。昨日撮って来た城ケ島公園の水仙です。
・
・
・
熊谷雅也さんは東北大学を卒業後、大船渡市にイー・ピックス出版社を作りました。徒手空拳で会社を作ったのです。
この出版社は非常に特別な事業を主にして長く続いています。地元の隠れた執筆者を発掘し、本を製作し、全国へ販売して来ました。10万円位の自費出版ですが、出版した本の書籍コードを取り、全国の販売ルートに載せます。インターネットでも販売しています。
自費出版といっても内容の質が大変良いのです。その上、編集、装丁も良いので自分の本棚に長く保存したくなります。
10万円で自分の本が出来、全国へ流通するのです。その仕組みを熊谷が考え出し、イー・ピックス社のホーム・ページに明快に説明しています。(http://www.epix.co.jp/profile.html)をご覧下さい。熊谷さんの偉さはそれだけではありません。
大船渡市の活性化のための文化活動を幅広く行ってきたのです。2004年には大船渡の希望者をつのって、「ケセン遣欧使節団」を編成し、ローマ法王のヨハネ・パウロII世に謁見し、自分の会社で出版したキリスト教関係の本を献納して来たのです。ケセンとは岩手県の気仙郡地方の事です。独特の方言が使われているので興味深い地方文化が存続しています。「ケセン遣欧使節団」という名称は「天正少年遣欧使節団」や伊達正宗派遣した「支倉常長遣欧使節団」にちなんだ名前です。
ローマ法王、しかも偉大だったヨハネ・パウロ2世に謁見出来、自分で作った本を捧げるという事は国際的にあまり前例のない大仕事なのです。熊谷さんは、それをいとも簡単に実行したのです。ケセン語を話す8万人の人々をひかり輝かせたのです。
以前、私は、明治維新後の翻訳文化の根本的な間違い・・・山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳ーを絶賛する! という記事を掲載しました。
「イエスの言葉」を書いた山浦さんが熊谷さんを親友として紹介しています。そして熊谷さんの会社も津波で流されてしまったが大船渡の人々が元気になるように活躍していると書いています。
そんないきさつで以下のようなメールの交換をしました。
それはそれとして、今日はケセン地方の人々が復興に立ちあがり、一日も早くもとの生活を取り戻せるように心からお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
参考資料:
イー・ピックス出版社:熊谷雅也さん
(http://www.epix.co.jp/profile.html)
2002年4月28日、すばらしい晴天の元、日本国・岩手県気仙地方の28人のケセン遣欧使節団はケセン語訳聖書を携え教皇ヨハネ・パウロ二世に謁見し、東北の一方言「ケセン語」に訳された聖書『ケセン語訳聖書全四巻』を献呈した。人口のわずか8万弱の言語で聖書が翻訳された例は画期的であり、しかもその翻訳は聖書の原典である「ギリシア語聖書」から訳された非常にレベルの高い翻訳である。
この仕事はバチカンによって「文化史的に意義深いものである」と評価され、日本における聖書翻訳や福音宣教のあり方に大きな影響を与える意義深い仕事となった。
=======メールの交換=============