今年は雪が多いですね。1月22日に降って庭に積もった雪が消えないうちに昨夜から今朝まで降っています。今も窓の外の暗い空から絶え間なく美しい雪片が舞い降りています。
庭の様子の写真です。



見上げる空には雪雲が低くかかり暗い陰惨な風景です。このような暗い雪を眺めていたら賢治の「永訣の朝」という詩を思い出しました。
雪の降る日に死の床にいる妹が賢治に雪を取ってきてくれと頼みます。兄の取って来た雪を食べてやがて妹が死んでいきます。そんな悲しい詩ですが岩手の方言で書いてあるので分かり難い詩です。
まず詩の説明を読んでから賢治の「永訣の朝」をお読み頂きたいと思いいろいろ調べました、
そうしたら長谷川 義明さんの素晴らしい説明を見つけました。
以下は http://www.chukai.ne.jp/~mechinko/kenji03.htm からの抜粋です。
「永訣の朝」
・・・(妹の とし子は、いきなり、枕元にあった二つの欠けた陶椀を賢治の胸元に突きつけて、
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と叫ぶ。「雨雪を取って来てちょうだい」と叫んだのである。
この陶椀には青い蓴菜(じゅんさい)の模様がついている。小さいときからこの兄妹は仲よく
この二つの陶椀でご飯を食べてきた。この欠けた陶椀は兄妹の変らぬ愛情の象徴なのである。
その時 賢治は、曲った鉄砲玉のように、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしてやっと
戸口から外へ飛び出した。
暗いみぞれの中に立って初めて賢治は、妹の真意をさとる。
このまま妹が死んだら、賢治は生涯返すことのできない負債を負うことになる。
妹さえも安心させ得なかった者がどうして他人をしあわせにできるかという思いが生涯つきまとう
ようになる。そうさせないために、兄の一生を明るいものにするために、泣くような思いで
妹は陶椀を突きつけたのだと、賢治はみぞれの中でさとるのである。かれはこう歌った。)・・・
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
・・・(こうして賢治は、二つの御影石の置いてある場所へやって来て、その上に危く立ち上る。
それから手を伸ばして、松の枝に降り積んだみぞれを二つの陶椀の中にそっと移し入れる。
みぞれ、それは雪でもなければ、水でもない、雪と水との二つの相を持ったもの、
いいかえると、天上的なものと地上的なものとの二相系を保っているものである。
これこそ死んで行く妹にふさわしい食物といえよう。
賢治がこの雪のようなみぞれを取ろうとした時、それはもう、どこを選ぼうにも選びようがないほど、
どこもかしこもまっ白であった。どこもかしこも仏の世界であったといっていい。
あんなに恐ろしい乱れた空から来たとは思えぬほど純白な雪の姿であった。賢治はそれをこう歌う。)・・・
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまう
( Ora Ora de shitori egumo )ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
・・・(賢治はこの二椀の雪を妹のところへ持って行った。
「これを食べれば、おまへは安心して仏さまのところへ行かれるのだよ」という思いをこめて、
この雪を妹に食べさせたのである。その時、とし子はこう云った。)・・・
うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる
・・・(「また生まれて来るのなら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれて来る」とは、
「今度生まれて来る時は、こんなに自分のことばかりで苦しまず、
ひとのために苦しむ人間に生まれて来たい」
と云うこのけなげな妹のために、賢治は祈らずにはいられなくなる。)・・・
以下省略します。
最後に説明文を書いた長谷川 義明さんの自己紹介文を抜粋してお送りします。
・・・ わたしがお経を読み始めたのは、多分7歳か8歳の時だったと思う。はっきりとは覚えていない。
ただ、ひらがなを覚えた時期と、そうは変らない事だけは確かだ。
わたしが子供の頃は、毎月1日と13日には信者の人がうちにおまいりに来てて、
お勤めが終るとお供えを皆で分けるのだが、その時に一部はその場で茶菓子にして食べる。
そのお菓子目当てと、廻りの人が「偉いなぁ~」とか言ってくれるもんで、
ついその気になってやってた訳で動機は極めて不純だった。
・・・そして、常に心に微笑みをたやさないように、人々の幸せを願ってやまないように。
生きとし生けるものすべての命を尊敬し、尊重し、衆生の佛心に生かされて生きている事を忘れずに、そんな風に生きようと怠惰で欲深な自分自身と戦い続けたい、そして普通に苦しみながら死んで行けば良い。
楽に死にたいなどと、思わない。・・・
皆様ご存知のように宮沢賢治も法華経の信者でした。賢治も他の人々の幸せを願ってやまなかったのです。
長谷川 義明さんは深く深く賢治の作品を理解していたに違いありません。
そんなことを考えながら今日は庭に降る雪を眺めながら一日を過ごしたいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
庭の様子の写真です。



見上げる空には雪雲が低くかかり暗い陰惨な風景です。このような暗い雪を眺めていたら賢治の「永訣の朝」という詩を思い出しました。
雪の降る日に死の床にいる妹が賢治に雪を取ってきてくれと頼みます。兄の取って来た雪を食べてやがて妹が死んでいきます。そんな悲しい詩ですが岩手の方言で書いてあるので分かり難い詩です。
まず詩の説明を読んでから賢治の「永訣の朝」をお読み頂きたいと思いいろいろ調べました、
そうしたら長谷川 義明さんの素晴らしい説明を見つけました。
以下は http://www.chukai.ne.jp/~mechinko/kenji03.htm からの抜粋です。
「永訣の朝」
・・・(妹の とし子は、いきなり、枕元にあった二つの欠けた陶椀を賢治の胸元に突きつけて、
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と叫ぶ。「雨雪を取って来てちょうだい」と叫んだのである。
この陶椀には青い蓴菜(じゅんさい)の模様がついている。小さいときからこの兄妹は仲よく
この二つの陶椀でご飯を食べてきた。この欠けた陶椀は兄妹の変らぬ愛情の象徴なのである。
その時 賢治は、曲った鉄砲玉のように、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしてやっと
戸口から外へ飛び出した。
暗いみぞれの中に立って初めて賢治は、妹の真意をさとる。
このまま妹が死んだら、賢治は生涯返すことのできない負債を負うことになる。
妹さえも安心させ得なかった者がどうして他人をしあわせにできるかという思いが生涯つきまとう
ようになる。そうさせないために、兄の一生を明るいものにするために、泣くような思いで
妹は陶椀を突きつけたのだと、賢治はみぞれの中でさとるのである。かれはこう歌った。)・・・
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
・・・(こうして賢治は、二つの御影石の置いてある場所へやって来て、その上に危く立ち上る。
それから手を伸ばして、松の枝に降り積んだみぞれを二つの陶椀の中にそっと移し入れる。
みぞれ、それは雪でもなければ、水でもない、雪と水との二つの相を持ったもの、
いいかえると、天上的なものと地上的なものとの二相系を保っているものである。
これこそ死んで行く妹にふさわしい食物といえよう。
賢治がこの雪のようなみぞれを取ろうとした時、それはもう、どこを選ぼうにも選びようがないほど、
どこもかしこもまっ白であった。どこもかしこも仏の世界であったといっていい。
あんなに恐ろしい乱れた空から来たとは思えぬほど純白な雪の姿であった。賢治はそれをこう歌う。)・・・
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまう
( Ora Ora de shitori egumo )ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
・・・(賢治はこの二椀の雪を妹のところへ持って行った。
「これを食べれば、おまへは安心して仏さまのところへ行かれるのだよ」という思いをこめて、
この雪を妹に食べさせたのである。その時、とし子はこう云った。)・・・
うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる
・・・(「また生まれて来るのなら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれて来る」とは、
「今度生まれて来る時は、こんなに自分のことばかりで苦しまず、
ひとのために苦しむ人間に生まれて来たい」
と云うこのけなげな妹のために、賢治は祈らずにはいられなくなる。)・・・
以下省略します。
最後に説明文を書いた長谷川 義明さんの自己紹介文を抜粋してお送りします。
・・・ わたしがお経を読み始めたのは、多分7歳か8歳の時だったと思う。はっきりとは覚えていない。
ただ、ひらがなを覚えた時期と、そうは変らない事だけは確かだ。
わたしが子供の頃は、毎月1日と13日には信者の人がうちにおまいりに来てて、
お勤めが終るとお供えを皆で分けるのだが、その時に一部はその場で茶菓子にして食べる。
そのお菓子目当てと、廻りの人が「偉いなぁ~」とか言ってくれるもんで、
ついその気になってやってた訳で動機は極めて不純だった。
・・・そして、常に心に微笑みをたやさないように、人々の幸せを願ってやまないように。
生きとし生けるものすべての命を尊敬し、尊重し、衆生の佛心に生かされて生きている事を忘れずに、そんな風に生きようと怠惰で欲深な自分自身と戦い続けたい、そして普通に苦しみながら死んで行けば良い。
楽に死にたいなどと、思わない。・・・
皆様ご存知のように宮沢賢治も法華経の信者でした。賢治も他の人々の幸せを願ってやまなかったのです。
長谷川 義明さんは深く深く賢治の作品を理解していたに違いありません。
そんなことを考えながら今日は庭に降る雪を眺めながら一日を過ごしたいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)