後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

聖書を岩手県のケセン語で翻訳した山浦玄嗣さんをご紹介します

2014年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今日はカトリック立川教会で10時のミサの後の11時過ぎから山浦玄嗣さんの講演会があります。この山浦さんは、聖書を東北弁のケセン語で翻訳したのです。

そして前のローマ法王、ヨハネ・パウロII世に拝謁し、献本しました。

そこで今日はこの山浦玄嗣さんをご紹介したいと存じます。

一般的に言えば日本人には聖書は分かり難いものです。

その聖書を東北地方の人にも分かりやすく翻訳したのです。その本が山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳(文藝出版社、初版2011年12月20)という本なのです。

本好きの家内が書評欄で見つけ取り寄せて読み、感動して私にも読むように薦めました。読み始めてみると東北弁が身についている私にとってとても判り易いのです。

この本はキリスト教に無関心な人々が読んでも衝撃的な面白さを感じるはずです。

宗教と関係なく日本人の翻訳文化の陥穽を明快に指摘しているのです。

本の内容を簡単にご紹介します。

聖書に「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という文があります。意味不明で有名な箇所です。

私も気分的には分かったような感じですが、こんなあいまいな文章があちこちにある聖書なので困っていました。そこを山浦さんは以下のようにケセン語で訳しています:「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ア幸せだ。神さまの懐に抱(だ)がさんのアその人達だ。」

このような訳文なら私にも分かります。

心の貧しいという言葉を「頼りなぐ、望みなぐ、心細い」という3つの言葉で説明しています。これこそが正しい翻訳の姿勢なのです。

日本にある聖書は古ギリシャ語から英語やフランス語へ翻訳された二次資料を翻訳したから、わけがわからなくなった場所があちこちに出来てしまったという指摘に感心し、納得します。

こういう説明が沢山書いてあります。

ケセン語とは岩手県の大船渡市、陸前高田市など気仙地方で昔から用いられていた方言です。アイヌ語の影響を受けた独特な東北弁です。

山浦さんの偉い所はまず25年間かけてこの気仙地方の方言のケセン語を集大成して「ケセン語辞典」を完成したのです。そしてその後で聖書の原文の古ギリシャ語を勉強して、その原文の意味をケセン語に翻訳して完成したのです。

さて山浦さんのことをご紹介します。1940年生まれのお医者さんです。東北大学の医学部を卒業し、大船渡市の一介の開業医になります。

ケセン語を体系的に整理し辞典を作ったり、古ギリシャ語を独学でマスターしました。

聖書の研究も普通の神学者を超えています。要するに秀才なのです。このようにご紹介すると冷たい学問肌の医者のように思われます。

しかし彼は本当に温かい人柄なのです。愛情あふれる人なのです。この本を読むと彼のやさしさが溢れ、流れ出てくるのです。読みやすい文章です。

その山浦さんの病院は大船渡市にあり、3年前の3月11日あの大津波に襲われました。1階は泥水と瓦礫の山で、2階だけがかろうじて浸水しませんでした。大浦さんも奥様も逃げ遅れて病院にいましたが無事でした。そして2階をボランティアの寝泊り場所に提供しました。その後医院も再開し被災者の救護に当たりました。

津波を生き残った山浦さんの決心だけをまず書きます。

山浦さんは、「津波に襲われて、家も財産もなくなってしまった全ての人々の苦しみは、この俺が引き受けた!」というような意味のことを語っています。勿論、こんなに詳しく喋っていません。「津波に襲われて・・・」は私が勝手に書いた文章です。

山浦さんは、「ようがす。俺がひぎうげだ」と言うような短い一行です。

「俺が引き受けた」という言葉の意味は深長です。イエス様が俺を使って引き受けてくれるという意味なのかも知れません。

彼はカトリックの信者です。しかし私は確信します。彼は患者に絶対にキリスト教の宣伝はしなかったと確信しています。その代わり、患者を大切にし、患者へ気仙地方の方言で話しかけ、尽くしたのです。

山浦さん仏教徒だろうが無宗教の人だろうが分け隔てなく大切にしたのです。診察と治療に尽くしたのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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手の上にある絵は彼が描いた大部屋に避難している患者の様子です。彼はテレビに出た時、この患者達の態度が立派だったと褒め称えたのです。そして感謝するのです。

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上の左の写真はケセン語の訳された福音書です。大船渡市にあるイー・ピックス出版という会社から出版され、前のローマ法王、ヨハネ・パウロII世に拝謁し、献本しました。右の写真は診察中の山浦さんです。

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左の写真は高台にあるカトリック大船渡教会です。津波はこの高台の足元の街を完全に流し去ったのです。右はミサの風景です。数人の信者の前で山浦さんが福音書をケセン語で朗読しています。ケセン語は流れるように、美しい響きを持っているのです。

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上の写真は山浦さんの住んで居た大船渡市の惨状を示しています。桜が咲いていますから大津波の30日位後に撮った写真と想像できます。瓦礫の山はまだ手つかずの状態です。

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大津波の直後の山浦さんの病院の周囲の様子です。

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上の右の写真は高台にあるカトリック大船渡教会の麓の街は完全に瓦礫の原になったことを示しています。


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