1981年に周栄章さんと2人で一緒に初めて行った北京の北海公園と仿膳飯荘をご紹介したいと思います。
中国人は権力者に表向きは従いますが、心の中では個人的な信義を一番大切にしている民族なのです。
周栄章さんと2人だけで北海公園を歩いていました。その先にある仿膳飯荘で北京鋼鉄学院の学長が私の歓迎会をしてくれるというのです。1番目の写真は北京の北海公園の石の回廊です。写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-57.htm です。
歓迎会で当時あった「茅台酒(マオタイシュ)」の乾杯の応酬で、私もいささか酔いました。
学長さん達に感謝の言葉を述べました。すると学長は中国への旅の感想を聞きます。私はつぎのような話をしました。
「中国は良い国です。けれど共産主義は独裁政治を生むので好きではありません。しかし中国が欧米の植民地にならないためには共産主義を選ぶ他は無かったと思います。中国が欧米列強の植民地にならなくて本当に良かったです。私も嬉しいのです。」
このような内容のことを、一気にしゃべりました。英語で喋りました。
これを聞いて学長さんは深くうなずいて、「あなたは中国について何を喋っても良いです。自由にこの国を楽しんで下さい」と言ったのです。この一言で私は途端に楽しくなったのです。
2番目の写真は仿膳飯荘の入り口です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。
出された料理は女性権力者の西大后の好きそうな小さく綺麗に盛り付けた、いわゆる宮廷料理でした。
周栄章さんの招きで2年後に行った家内はその精妙さと美味しさに感激していました。
3番目の写真は仿膳飯荘の宮廷料理です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。
周栄章さんは北京鴨の有名店でなく裏町の小さな北京鴨店へ何度も連れて行ってくれました。
冷蔵庫が無いのか、あまり冷えていない五星ビールが出ます。前菜でビールを飲んでいるとやがて見事に焼きあがった鴨が出てきます。
4番目の写真は北京ダックの写真です。写真の出典は、http://imagenavi.jp/search/#!/ です。
うす暗い北京鴨の店でいろいろな話をしました。お互いに英語で話し合いました。
北京鴨は自分で皮を切り取って、薄い白い餅に乗せ、ネギと味噌を塗って、餅でくるりと巻いて食べるのです。
皮を全て食べ終わると料理人が出て来て、皮の無い鴨を下げます。調理場で肉を取って、2種類くらいの料理に仕上げて、又持ってきます。それを食べ終わる頃に鴨の骨でダシを取ったスープが出て来ます。これで終わりです。
周栄章さんは私を中国の観光地に案内してくれました。北京原人の周口店、明の13陵、頤和園、天壇、大鐘の寺、長城、承徳、そして西安の秦の始皇帝の墓、兵馬俑、などなどへ案内してくれたのです。しかし話が長くなるので、ここでは北京郊外の離宮の頤和園の写真を1枚だけ示します。写真はインターネットからお借りしました。5番目の写真は頤和園の前に堀って作った湖とその土で出来た山です。
頤和園は私の好きな離宮なので写真を示しました。写真は「頤和園の写真」を検索してネット上にあるものからお借りしました。
その周栄章さんを私も日本に招びました。自宅に泊まってもらい、いろいろな観光地へも案内しました。
周栄章さんは2004年に亡くなりました。亡くなって20年たちましたが彼の温かい友情を思い出す度に胸が熱くなります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)