今朝は何故か芭蕉の『奥の細道』を思い出しました。
今日は皆さまご存じの『奥の細道』をもう一度読んでみたいと思います。
『奥の細道』は、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発って、奥州、北陸道を巡った紀行文です。全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰った紀行文です。
東北各地に点在する歌枕や古跡を訪ねることが、最大の目的の旅でした。
さっそく芭蕉の俳句をご紹介いたします。
江戸、旅立ち
3月27日[21] 明け方、採荼庵さいとあんより舟に乗って出立し、千住大橋付近で船を下りて詠む。
矢立の初め
「行く春や 鳥啼なき魚の 目は泪」
日光
4月1日 下野国日光(現、栃木県日光市)
「あらたふと 青葉若葉の 日の光」
黒羽 雲巌寺 光明寺
4月4日 黒羽(栃木県大田原市)を訪れ、黒羽藩城代家老浄法寺図書高勝、俳号桃雪
4月5日 雲巌寺に禅の師匠であった住職・仏頂和尚を訪ねる。
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」
白河の関
4月20日 陸奥国白河(福島県白河市)
「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」
飯坂の里
5月2日 飯坂(福島県福島市飯坂町)
「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」
松島
5月9日 歌枕松島(宮城県宮城郡松島町)
芭蕉は美観に感動したあまり「いづれの人か筆をふるひ詞ことばを尽くさむ」と自らは句作せず、代わりに曾良の句を文末に置いた。「松嶋や 鶴に身をかれほとゝぎす」曾良
平泉
5月13日 藤原3代の跡を訪ねて平泉(岩手県西磐井郡平泉町)にて。
「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり」
「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」という杜甫の詩「春望」を踏まえて詠む。
「夏草や 兵つはものどもが 夢のあと」
「五月雨の 降り残してや 光堂」
山形領 立石寺
5月27日 立石寺(山形市山寺)にて。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
新庄
5月29日 最上川の河港大石田(山形県大石田町)での発句を改めたもの。
「五月雨を あつめて早し 最上川もがみがわ」
象潟
6月16日 象潟きさがた(秋田県にかほ市)は松島と並ぶ風光明媚な歌枕として名高かった。象潟(原文では象泻)を芭蕉は「俤おもかげ松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふが如く、象泻は憾むうらむが如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢 魂を悩ますに似たり。」と形容した。
「象潟や 雨に西施せいしが ねぶの花」
市振の関
7月13日 親不知おやしらずの難所を越えて市振いちぶり(新潟県糸魚川市)の宿に泊まる。
「一家ひとつやに 遊女もねたり 萩と月」
敦賀
8月14日、夕方、敦賀(福井県敦賀市)に到着。仲哀天皇の御廟である氣比神宮に夜参する。美しい月夜であった。遊行二世上人のお砂持ちの故事にちなんで。
「月清し 遊行ゆぎょうのもてる 砂の上」
大垣
8月21日頃、美濃国大垣(岐阜県大垣市)に到着。門人たちが集い労わる。
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。 結びの句
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。 結びの句
「蛤はまぐりの ふたみにわかれ 行く秋ぞ」
今朝は何故か芭蕉の『奥の細道』を思い出したので、もう一度『奥の細道』を読んでみました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 後藤和弘
写真は立石寺です。
