後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

貧しい家に生まれた人、桂の落ち葉を見ながら想う

2018年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム
旧甲州街道は現在の裏高尾を通って小仏峠を越す山道でした。
その途中に高尾山に登る道がついている日影沢があります。その日影沢に私が四季折々何度も足を運ぶ桂の国有林があります。
約1400本の桂の木を昭和3年に林野庁が植えた見事な桂林です。現在でも林野庁が木道を整備し、一般へ公開している見事な桂の森なのです。
この季節になると落ち葉が甘い香りを漂わせているのです。その香は本当に自然な甘い香りです。カナダの原住民が昔から採っていたメープルシロップに似た香りです。もっと素朴なカルメ焼きの匂いです。
昨日はその香が日影沢に漂い、黄色い落ち葉が道に散り敷いていました。
昨日撮って来た写真をお送りします。

1番目の写真は落葉した巨大な桂の林の風景です。昭和3年に植えたので90年でこれくらいの大木になります。

2番目の写真はまだ落葉しない桂の黄葉です。

3番目の写真は「高尾山国有林・林野庁」の看板の写真です。

4番目の写真は日影澤の高尾山登山道近くの橋の木道に散り敷いた黄葉した桂の葉です。甘い香りがします。

5番目の写真は日影澤の奥から木材を運び出しているトラックの写真です。まだ林業が廃れていなことに感動します。

昨日は車を日影澤に入れて少しの間、写真に示したような光景を見て貧乏な家に生まれた人の不幸を想いました。
私にはそのような友人がいたのです。
学校の給食費が払えないのでお昼時間は校庭で遊んでいました。先生が見かねて給食費は要らないから食べろと言ってくれました。しかしその子は先生の親切を拒否して絶対に給食を食べませんでした。
新聞配達をしながらやっと中学校を卒業し、働き始めました。
中学校しか出てない男は世の中でひどい扱いを受けます。歯を食いしばり工場労働者を務めあげ貯金も少し出来ました。株で儲けて1000坪以上の山林を買い山荘を建てました。もう何十年もそこに独りで住んでいます。
彼は一生独身です。
私の山小屋の近くだったので自然に親しくなりました。彼は頭脳明晰で私はコンピューターの使い方を彼から習いました。
いろいろな話を聞くと学歴の無い男のつらさがしみじみと判るのです。彼がせめて高校を卒業していればもっと幸せな人生を送ったに違いありません。
彼の偉い所は他人を頼りにしないことです。意固地なくらい他人の親切を拒否するのです。プライドも高いのです。
しかし日本の政治や社会に対して根強い恨みを持っています。金持ちを差別し信用しません。通っている病院の医者の悪口を言います。医者は金持ちなので憎んでいるのです。
山荘に独り住んで現地の人々とも交流しません。社交性が皆無なのです。
特に冬の間は何ケ月も人間に会わないのです。

貧乏な家に生まれなかった幸運な人々はとかく説教したくなります。
「もっと現地の人々と仲良くなりなさい」とか、「市役所に頼んで独り暮らしの支援をして貰いなさい」と忠告したくなります。
「もっと社会や政治に感謝の気持ちを持ちなさい」とも言いたくなります。

しかしそれは貧乏な家に生まれなかった幸運な人々の気楽過ぎる発想なのです。
貧乏な家に生まれた人の悲しみや苦しみは他人には理解出来ないのです。
静かに見守るのが良いのです。
世の中には結構な言葉があります。
貧乏に負けるな!
貧乏でも志を高く持て!
清貧な一生を送れ!
貧乏でも恩人への感謝を忘れるな!
みんな正しいのです。
しかしそんな生やさしい貧乏でないのです。
神様は何故、極貧の家に子供を生ませるのでしょうか?

昨日、日影澤の桂の森の中で解答の無い問題を考えていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。