先日、山梨県の大月に遊び、「大月人物伝」という本を貰って来ました。その中に大月市、猿橋町に40年以上住んで、96歳で亡くなった竹内てるよさんの事がありました。あまりにも悲しい境遇で育ち、息子にも先立たれた詩人です。霊能者でもあり、亡くなるまで58万人という数の人生相談を成し遂げてたのです。
このブログで紹介しようと数日間考えてきました。どのように紹介してよいか考えがまとまりません。
悲しい生涯を書くべきか?詩人としての作品を紹介すべきか?霊能者として58万人もの人生相談をした事を中心に書くべきか?あるいは皇后陛下の美智子さまが、竹内てるよさんの詩、「頬」を外国での国際会議で朗読した事を中心に書くべきか?賢く感性豊かな美智子様が竹内さんの詩を読んでいた事実に何故か安堵します。
迷ったあげくに、詩を少しと、人生相談のことを少し書く事にしました。竹内てるよさんは検索すると多くの情報があります。詳しいことはそちらをご覧下さい。
雪が吐息のやうに降る夜は、
いのちの香りが 空に立つ ーー雪と母ーー
てるよが自分を生んで、すぐ石狩川へ投身自殺してしまった母をうたった唯一の詩の一節です。
とおい昔に
私はオルゴールを海に沈めました
ふたの内側に蘭の花を入れて
オルゴールは海の底で
その鍵はさび
ふたを永久に開かず
波にかしがっているのでしょう
ーー海のオルゴールーー
詩人、竹内てるよは明治37年、北海道札幌で18歳の芸者の子として生まれました。
判事をしていた祖父が芸者から、てるよを取り上げます。絶望のあまりその芸者は石狩川へ身を投じてしまうのです。てるよの壮絶な悲劇的な人生はそうして始まったのです。そして一生詩や文章を書き続けたのです。
生まれてから6歳まで歩くことが出来ません。6歳の時、札幌の病院に入院してやっと歩けるようになったのです。その頃、突然不思議な現象が起きました。物事を予知する能力です。その頃から「教祖様」というネックネームがあったと言います。
この霊感が世に知れ、人々が人生相談に集まってきたのです。58万人の相談に乗ったということですが、私にはその数を検証することが出来ません。しかし桁違いに多い数であると信じています。
霊感や霊能力者へは私自身は違和感を感じます。もっとはっきり言えば、なにかいかがわしい感じがします。しかし美しい詩を作る人が霊能力者というなら好きになれます。
人生の悩み事を相談した人々は竹内てるよさんに深い慰めを受けたと思います。彼女は自分の悲しい境遇から、人間というもの、命というものへ限りない愛情を持っていたに違いありません。善い霊感に支えられた人生相談は大きな愛の力で多くの人々を救ったと思います。
竹内てるよさんの詩集は出版されています。しかし人生相談を受けた人々の感想を纏めた本は出版されていないようです。
どなたかこの方面の情報をお持ちの方のお教えをお待ちしています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
初めまして、ハンドルネームちぶねと申します。
竹内てるよ先生のお名前を発見して懐かしい思いを抱き一筆認めたく思い立ちました。
仰る通り先生は高名な文筆家であり、因縁を見ることの出来た霊能者であり、また数奇な人生を辿られた方でありました。
確かに五十八万人もの人の霊能相談にあたったと言うこの数字(出典は何処でしょうか。?)は、余りにも膨大で全く非現実的過ぎであり、本業の文筆業と考え合わせて釈然とは致しません。仮に話半分、否、十分の一、更には百分の一としても、閑として声無きは、藤山杜人様の御指摘に同感で、私も一体何故かと訝しく思っておりました。
私は二十数年前に竹内先生に手紙にて霊能相談を致しました。人生の閉塞感で行き場が無く、霊的見地からの助言を期待したのです。様式としては便箋に既成文言が印字されており、空きスペースに霊視結果が直筆で記されておりました。
而して私への霊視結果は「水子霊二体、犬一匹、十九歳で結核で亡くなった青年を供養した。」というものでありました。
これを見て母親に問いましたが、青年はおろか、水子すらも確認出来ませんでした。無論親戚筋にも思い当たる節は無いのです。ならば全くの他人様なのか。? 私はその事を先生に伝えましたが、明確な答えは頂けませんでした。結局何も得るところ無く、三箇月で供養を断念致しました。三万円を支払ったと思います。有体に言えば与太話しであり、似非霊能者というべきかも知れません。
併し解せないのは、先生は既に名声高くあり、自分の私服を肥やす為に金銭を受け取られていたのではないのです。それらはすべて寄付なさっていた筈です。では何故このような結果になったのか。? ここら辺りが「心霊界」の謎とも言うべき有りましょう。或いは私の知り得ない深い所で真実は横たわっており、何時かは厳然と立ち現れるのでしょうか。?
穿った言い方を許されるならば、多くの相談者も私と同じ感を抱かれたのではないか。またその当時は今日的にウェブ上で発言云々は有り得ず、霊感とはこの様なものよ。と個々人に諦念が存在したのかも知れぬと思い至るのです。
私自身この場をお借りして、嘗ての相談者の声を拝聴出来れば幸甚と考えます。
詰まらない話で恐縮でありました。失礼致します。
敬具
ちぶね 拝
藤山杜人 様