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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「小金井公園の桜は間も無くこのように咲きます

2022年03月26日 | 写真
去年は3月27日に満開になりました。今年は3月30日頃満開になると予想されています。

満開になると写真のようになります。
去年の3月27日の写真です。

人々が櫻を楽しんでいます。平和な光景です。私も櫻花に酔い心地でのんびりして来ました。





「方言と日本語の歴史的な大きな変化」

2022年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
日本語にはいろいろな方言があります。また日本語の歴史的な変化を調べると実に多数の本や論文があります。日本語は時代の流れに従って大きく変化して来たことに驚きます。江戸時代と現在でも日本語は大きな変化がありました。明治維新で学校では標準語を教え普及させました。そして戦後のテレビの普及で日本人全員が標準語を理解するようになったと思います。
しかし方言は消えません。方言は日本語の重要な一部なのです。
昭和11年生まれの私は1954年に東北大学に入るまで純粋な仙台弁を話していました。しかし東北大学へは全国からの人が入学します。純粋な仙台弁では話が通じないのです。標準語らしい日本語を使いはじめました。
そして仙台弁を恥ずかしく思いました。自在に標準語を話す人を尊敬するようにになったのです。
特に標準語を話す女性はそれだけで魅力的でした。その結果私は東京の女性と結婚しました。現在の妻は老いましたが言葉だけは若い頃と変わらないで綺麗に話します。
仙台弁は語尾に「ベッチャ」をつけます。今日は寒いね、は今日は寒いベッチャ、と言います。
仙台弁独特の単語も沢山あります。それよりも特徴的なことは全ての発音がが濁ることです。東北は寒いので口を大きく開けないで話すのです。
ですから私は癖で口を大きく開けないで話すのです。そうすると妻は時々、「もう一度はっきり言って」と言います。
それはそれとして、話題を変えて日本語の歴史に関する研究論文をご紹介しましょう。
「日本語の変遷」、http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2005/groupeF_jp.htm です。
抜粋です。

日本語の変遷の大まかな全体の流れ
・・・古代から近代にかけての文字と音声の移り変わりについて述べたい。わたしは古代から近代という長い期間を扱うため、大まかに全体の流れを紹介するつもりである。
われわれは現在、3種類の文字を使用している。最も古い文字は漢字で、4~6世紀にかけて朝鮮半島から日本に伝来した。そして、奈良時代の終わりから平安時代の初めにかけて漢字の音声面に注目した万葉仮名が作られた。平安時代初期から中期にかけて万葉仮名からカタカナとひらがなが誕生した。

音声については、奈良時代以前は日本語には8つの母音が存在した。それが平安時代末期には現代のような5母音へと変化する。音声の変化で代表的な例がハ行の変遷である。奈良時代以前、ハ行は[h]ではなく[p]であった。それが奈良時代になって[f]となり室町時代まで使用される。この期間、[p]の音声は日本語から消滅した。そして江戸時代になり、外来語を表現するために復活した。

文字と音声との差異としては、江戸時代になるまでひらがなの濁点表記がなかった。もちろん濁音自体は存在していた。表記された文字が現代と同じでも、発音は違うという例は多々ある。室町時代に宣教師によってローマ字が伝えられた。そのローマ字の資料によってわれわれはその時代の発音を知ることができる。それによると、「エ」は[e]ではなく[je]、「オ」は[wo]だったようだ。室町時代は話し言葉が文学・芸術・学問で使われるようになった時代である。江戸時代になると口語と文語の違い、地域による言語の違い、階級による言語の違いが顕著になった。(豊田友紀子)・・・中略します。

・・・江戸・明治期の日本語
江戸時代では、階級と地方によって様々な言語の違いが存在した。また、話し言葉と書き言葉は大きく異なった。町民は比較的平易な、地域ごとに異なる言葉を用いた。それに対し武士の言葉は漢語を多く用い文語調であり、江戸城での共通語としても用いられた
明治時代になって1869年に政府機関が正式に東京に移転してから、状況は大きく変わることになる。東京は中央集権の中心地となり、公用・教育等に関わる言葉は東京語が使用されていくようになった。これは江戸言葉と日本全国から東京に集まってきた人の言葉が混ざって出来上がったものであった。

東京語は、はじめは「普通語」と呼ばれ伝達の手段として捉えられていた。しかし次第に諸藩の「訛り」という多様性を排除し、1つの国家として統一していく必要性が主張されるようになった。そのため「普通語」を改良した「標準語」が制定され、全国で国語教育と国民的精神を発達させる役割を担うようになった。
また、標準語は現在の会話にも文章にもなり得る言葉として創られた。西洋諸国の言葉のように、現代人の思想や感情に適合した文体を創ろうという運動が起こり始めていた。そのため、話し言葉と書き言葉を一致させる試みがなされていたのである。(設楽裕妃子)・・・後略します。

実に明快に日本語の歴史的な変化を説明しています。興味深い問題が沢山思いつきます。戦後話し言葉が大きく変化しました。そして現在まで急速に変わって来ます。私など理解出来ぬ言語がテレビに飛び交っています。
しかし長くなるので今日は止め、続編に書きます。

今日の挿絵代わりの写真は近所の野川にさしかかる桜の夕方の風景です。昨日撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)