これは私の感情的な偏見です。ですから怒らないで読み流して忘れてください。
私はかねがねブランドをやたら尊重する日本の文化は軽すぎると感じています。はっきり言えば軽薄な文化なような感じがしています。
特にご婦人方は高価なルイ・ヴィトンやシャネルやグッチなどのブランド物が大変好きです。
余談ながら家人はそうでないので助かっています。
今日は何故、日本人がブランド物を尊重するのか考えてみました。
そして一例として和牛のブランドの実態をご紹介したいと存じます。
日本人の多くは自分自身の価値観が確立されていないからブランド物を過度に尊重するとよく言われています。
自分自身の考えで価値判断が出来ないのです。何が重要なのかを考えようとしないのです。
ですから有名なブランド物や高価なものを競って買うのです。
ブランド品は確かに多くの人が認めているように品質に間違いがありません。
しかし価格が高過ぎるのです。
何故、女性用のブランド品が高すぎるのかというもう一つ理由は女性の虚栄心にあります。
ブランド品を身に着けていると心が豊かになるのです。顔の表情まで豊かになり美しくなります。
ですから女性がブランド品に目の色を変えるをあまり非難しないほうが良いかも知れません。
ですからご婦人の方々がブランド品を尊重するのは、お洒落の一つの方法なので良いことかもしれません。男性はニコニコして沈黙を守っていたほうが良いのです。
しかるに日本男児もブランド品が大好きなのです。女性を笑う資格がありません。
その実例は高価な和牛ブランドがよく売れていることです。
松坂牛や神戸牛の価格が驚異的に高価なのです。
ある時、おそるおそる少しだけ買って食べてみました。確かにいかにも牛肉の良い香りがして美味です。しかし同じ値段で仙台牛を買えば同じように上等です。なにもブランドにこだわる必然性が全然ないのです。
昔、アメリカに住んでいたころ、アメリカ人と一緒にビーフステーキを何度か食べました。彼等は骨付きの胸肉、ロース、もも肉と牛肉の部所を私に説明しますがブランドには一切関心がありません。自分が食べて味をいろいろ批評しますが、その牛がテキサスのものか南米のものかは一切話題にしません。自分が美味しいと思えばそのレストランに通うだけです。彼等はスーパーで生肉を買う時、肉を見ただけで美味か不味いか判断出来るのです。
日本人がイワシやサンマを買うとき魚の色合い、つや、弾力性などから美味しい魚を見分けて買うのと同じです。
ですから牛肉にブランドなどあるのは日本だけではないでしょうか。
そこで日本の牛肉のブランドについでに気楽に書いてみます。
1番目の写真は和牛を飼育している牧場の風景です。

(写真の出典は「和牛写真集」です。)
和牛が美味なことは本当のようです。和牛は現在は世界中に広がって飼育され、多くの外国人も和牛の味に感心しているという報道を見ました。
現在はオーストラリア、カナダ、アメリカやヨーロッパでも飼育されているようです。
始めは日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリアの牧場へ奨励したのがキッカケで、その後、現地の人々が好んで食べるようになったようです。
2番目の写真は和牛がオーストラリアから世界各国へ輸出されている経路を示した写真です。
3番目の写真はその和牛の肉の写真です。

(2番目と3番目の写真の出典は、http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/05/0530.html です。)
これら外国産の和牛にはブランド名がついていません。
外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はないのです。そこが日本と外国の違いです。
ところで、和牛と言っても、純粋の和牛など現在の市場に出回っていなのです。
三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重していますが、それらは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。
本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。
萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。
見島では7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続けています。食肉用として市場へ出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。
4番目の写真にこの「霜降り肉」の写真を示します。

そして下の5番目の写真は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子を示す写真です。

(写真の出典は、http://www.mishimaushi.com/mishimaushi.htmlです)
さてこの「見島牛(みしまうし)とは」というHPを見ると、「和牛の変遷」というスライドショーが右肩についています。良く出来た説明です。
それによると和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったと説明されています。
すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。
しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?。(http://www.nrs.pref.yamaguchi.lg.jp/hp_open/a17606/00000001/misimausi.html#misima もご覧下さい。)
しかしもっと本格的に考えると日本には旧石器時代からオーロックスという野生の牛が跋扈していたのです。それを家畜化しなかったとは言い切れません。もしそうなら、それこそが本当に純粋な和牛ではないでしょうか?
ですからこそ私は和牛、和牛と騒ぐ最近の日本の食文にいささか疑問を感じているのです。
そして松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重している食文化を困ったものだと思っています。輸入牛でも美味しい部分を探して上手に料理をすれば良いだけのことです。
今日の題目に、「ブランドを過度に尊重する文化の軽薄さ、、、」などと大げさな題目を付けましたが内容が偏った一例だけで終わります。竜頭蛇尾でした。お許し下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
私はかねがねブランドをやたら尊重する日本の文化は軽すぎると感じています。はっきり言えば軽薄な文化なような感じがしています。
特にご婦人方は高価なルイ・ヴィトンやシャネルやグッチなどのブランド物が大変好きです。
余談ながら家人はそうでないので助かっています。
今日は何故、日本人がブランド物を尊重するのか考えてみました。
そして一例として和牛のブランドの実態をご紹介したいと存じます。
日本人の多くは自分自身の価値観が確立されていないからブランド物を過度に尊重するとよく言われています。
自分自身の考えで価値判断が出来ないのです。何が重要なのかを考えようとしないのです。
ですから有名なブランド物や高価なものを競って買うのです。
ブランド品は確かに多くの人が認めているように品質に間違いがありません。
しかし価格が高過ぎるのです。
何故、女性用のブランド品が高すぎるのかというもう一つ理由は女性の虚栄心にあります。
ブランド品を身に着けていると心が豊かになるのです。顔の表情まで豊かになり美しくなります。
ですから女性がブランド品に目の色を変えるをあまり非難しないほうが良いかも知れません。
ですからご婦人の方々がブランド品を尊重するのは、お洒落の一つの方法なので良いことかもしれません。男性はニコニコして沈黙を守っていたほうが良いのです。
しかるに日本男児もブランド品が大好きなのです。女性を笑う資格がありません。
その実例は高価な和牛ブランドがよく売れていることです。
松坂牛や神戸牛の価格が驚異的に高価なのです。
ある時、おそるおそる少しだけ買って食べてみました。確かにいかにも牛肉の良い香りがして美味です。しかし同じ値段で仙台牛を買えば同じように上等です。なにもブランドにこだわる必然性が全然ないのです。
昔、アメリカに住んでいたころ、アメリカ人と一緒にビーフステーキを何度か食べました。彼等は骨付きの胸肉、ロース、もも肉と牛肉の部所を私に説明しますがブランドには一切関心がありません。自分が食べて味をいろいろ批評しますが、その牛がテキサスのものか南米のものかは一切話題にしません。自分が美味しいと思えばそのレストランに通うだけです。彼等はスーパーで生肉を買う時、肉を見ただけで美味か不味いか判断出来るのです。
日本人がイワシやサンマを買うとき魚の色合い、つや、弾力性などから美味しい魚を見分けて買うのと同じです。
ですから牛肉にブランドなどあるのは日本だけではないでしょうか。
そこで日本の牛肉のブランドについでに気楽に書いてみます。
1番目の写真は和牛を飼育している牧場の風景です。

(写真の出典は「和牛写真集」です。)
和牛が美味なことは本当のようです。和牛は現在は世界中に広がって飼育され、多くの外国人も和牛の味に感心しているという報道を見ました。
現在はオーストラリア、カナダ、アメリカやヨーロッパでも飼育されているようです。
始めは日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリアの牧場へ奨励したのがキッカケで、その後、現地の人々が好んで食べるようになったようです。
2番目の写真は和牛がオーストラリアから世界各国へ輸出されている経路を示した写真です。
3番目の写真はその和牛の肉の写真です。


(2番目と3番目の写真の出典は、http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/05/0530.html です。)
これら外国産の和牛にはブランド名がついていません。
外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はないのです。そこが日本と外国の違いです。
ところで、和牛と言っても、純粋の和牛など現在の市場に出回っていなのです。
三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重していますが、それらは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。
本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。
萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。
見島では7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続けています。食肉用として市場へ出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。
4番目の写真にこの「霜降り肉」の写真を示します。

そして下の5番目の写真は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子を示す写真です。

(写真の出典は、http://www.mishimaushi.com/mishimaushi.htmlです)
さてこの「見島牛(みしまうし)とは」というHPを見ると、「和牛の変遷」というスライドショーが右肩についています。良く出来た説明です。
それによると和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったと説明されています。
すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。
しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?。(http://www.nrs.pref.yamaguchi.lg.jp/hp_open/a17606/00000001/misimausi.html#misima もご覧下さい。)
しかしもっと本格的に考えると日本には旧石器時代からオーロックスという野生の牛が跋扈していたのです。それを家畜化しなかったとは言い切れません。もしそうなら、それこそが本当に純粋な和牛ではないでしょうか?
ですからこそ私は和牛、和牛と騒ぐ最近の日本の食文にいささか疑問を感じているのです。
そして松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重している食文化を困ったものだと思っています。輸入牛でも美味しい部分を探して上手に料理をすれば良いだけのことです。
今日の題目に、「ブランドを過度に尊重する文化の軽薄さ、、、」などと大げさな題目を付けましたが内容が偏った一例だけで終わります。竜頭蛇尾でした。お許し下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)