後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ある朝鮮の少年の思い出と鍋いっぱいの牛肉

2014年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は終戦直後に一緒に遊んだある朝鮮の少年の思い出を書いてみたいと思います。終戦直後の頃よく朝鮮人一家の家に遊びに行っていました。その家の少年のことです。
自分の家から小さな谷を越した向こうの台地が昔牛飼いの牧場になっていました。戦争が激しくなり牛のいない牧場は草ぼうぼうの荒れ地になっていました。その畜舎の事務室にその朝鮮の一家は住んでいたのです。
父母と、私と同じ10歳くらいの色の白い男の子がいました。気立の優しい子でいつもニコニコして私を歓迎してくれます。
日本の小学校へ行くのが厭なのか何時も家で独り遊びをしています。彼の父も母も私を歓迎して時々は朝鮮風のお菓子をもらったこともありました。
その父がある夜に何処からか牛を一頭引いて来て夜中に牧場の片隅の4本の杭に縛りつけて撲殺したのです。牛がなかなか死なないで、悲しそうな鳴き声が長い間聞えていました。
翌日遊びに行くと、父が大きな両手鍋一杯に生の肉の塊を入れて、「上げるよ」と言います。家に持って帰りすぐに鍋を返してくれと言うのです。
当時はひどい食料難で肉などは見た事もありません。私の父母も非常に喜んでいました。味は忘れてしまいましたが大きな鍋一杯の大きな牛肉の塊の重さは忘れられません。その後しばらくしてその朝鮮人の一家は何処かにフッと消えてしまいました。懐かしい人々です。
このような体験があるので私はあの朝鮮人一家のことを懐かしく思い出しています。
それから時代は変わりましたが、あの少年のことや鍋いっぱいの生の牛肉のことを想うと朝鮮人を懐かしく思います。
最近、韓国人のことを悪く言う人がいます。しかし私は同調しません。鍋いっぱいの生の牛肉の恩義は終生忘れないのです。笑われるかも知れませんが私はそんな小さなことにこだわる小人なのです。 今日の挿絵は 韓国 慶尚南道 海印寺への参道わきの渓流の写真です。
(出典は、http://www.kakura.jp/hw/photos/001/005_2002-12_photos_haeinsa.html です。)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)