後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

銀座7丁目先から出港し、東京の夜景を楽しんだ思い出・・・忘れ得ぬ人生のひとこまです。

2013年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

私は50歳になってから、江の島のヨット・スクールへ通い、セイリングを習いました。その後、葉山マリーナのスポーツクラブに入会しディンギーでセイリングの訓練を続けました。

そしてヤマハ・19の中古クルーザーを琵琶湖で購入し、霞が浦へ陸送し、そこで10年間乗りました。

その次は大きなキャビンのあるジョイラック26というアメリカの中古艇を買って、同じ霞ヶ浦で13年6ケ月乗りました。

2011年10月にそのヨットを売り渡し、25年6ケ月のヨットの趣味を卒業しました。ですから50歳から75歳までのヨットの趣味だったのです。

この経験は私の人生観を大きく変えたのではないかと思っています。

兎に角、いろいろな職業の人がヨットの趣味を持っているので、その影響で自分の狭い職業観が随分と広がったたような気がいたします。

それまでは自分の職業だけに関心があり、とても狭い視野で世の中を見てきたのです。

ヨットを始めていろいろな人々と一緒にセイリングをしたり、一緒にビールを飲んだりして、「目から鱗が落ちる経験」を何度もしました。

そのお陰で職業には貴賤が無いと確信出来るようになりました。

それと初対面の人とも直ぐに友人になれるようになったのです。それまでの自分の人見知りの性格が変わってしまったのです。

その他、いろいろとものの見方が柔軟になったと思います。

世の中は実に広々としていて、素晴らしい人々が活き活きと人生を謳歌していることに感銘をうけたのです。

ヨットの趣味は、おもに自分の艇を23年余係留していた霞が浦を中心にしていました。しかし、時々は湘南の葉山マリーナや江の島マリーナから出港して相模湾でも楽しみました。

そんな25年のヨットの趣味ではいろいろな思い出があります。

今日はその思い出の中から忘れ得ない東京湾でのセイリングのことを書いてみたいと思います。

それは銀座7丁目に隣接した運河にあるヨットの係留場から出港して、東京湾を何回かセイリングした思い出です。

そのセイリングで大変お世話になったのはハンスクリスチャン43のバンビーノ号の艇長の毛利さん(Hootaさん)と東京ベイヨット倶楽部のオーナーの大熊さんでした。

毛利さんと友人になれたのはこのブログのお蔭です。私のヨットに関する記事へ何度も好意溢れるコメントを下さったのです。そのお礼をしようとバンビーノ号の係留港の千葉県の保田漁港を訪問しました。そして、毛利さんと一夕を飲み合ったのです。

それ以来、駿河湾でのセイリングや東京湾でのセイリングに誘ってくれたのです。そして、よく聞くと、バンビーノ号は東京ベイヨットクラブの大熊さんの持ち船だったのです。

そのいきさつで、その後、大熊さん所有のドイツ艇のババリア39の Big Bear号にも何度も乗せて貰ったのです。

その東京ベイヨットクラブは銀座7丁目に隣接した運河のマリーナにあったのです。

その運河は浜離宮と築地魚市場の間にある築地川という運河です。そこが昔からヨットやモーターボートの舫っている静かなマリーナになっていました。

思い出の深いのは2009年6月20日の夜の東京湾セイリングでした

そこで、その折に写真を撮ってきた写真を下にお送りします。

一番上の写真に写っている森は浜離宮の森です。写真撮影は2009年6月20日でした。

そのセイリングのお客は4人でした。

ゆっくり缶ビールなどを飲みながら暮れゆく東京の街並みや、夜になったあとの宝石のように輝くビル街の風景を楽しむことが出来ました。