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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

死者を思い出し、感謝し、冥福を祈る・・・豊かな気持ちになる

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日はお彼岸の入りです。午後から気分が少し良くなったので家内の父母、祖父母、親類のお墓参り行きました。家内と一緒に故人を思い出し、感謝し、それぞれの冥福を祈りました。お彼岸の中日に沢山お花を供える予定なので、今日は家の庭に咲いている花々を少しだけ供えてきました。

家内は、可愛がってくれた祖父母や父母のことをいろいろと思い出し楽しそうにしていました。私も自分の父母、祖父母、親類のことなどを思い出し、楽しい時を過ごしました。下にそのお寺とお墓の写真を示します。

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冥福を祈るといえば昨日中央高速道路の下りの初狩PAで献花小屋を見つけました。昨年の12月に笹子トンネル天井板の崩落事故で亡くならた9名の方々へ献花をして、冥福を祈る小屋です。

一般の人々が花を買って、お供えしていました。とても良い光景だったので写真を撮りました。

その小屋の窓の外には真っ白い富士山が見えます。富士山が故人と、故人の冥福を祈る人々を見下ろしているのです。

日本人の心の豊かさに私共も気分が豊かになりました。下に写真をお送りいたします。

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私が愛用する教科書は片岡弥吉著「長崎の殉教者」と「踏絵ー禁教の歴史ー」

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は風邪気味で午前中は寝たり、起きたりしていました。ミサへ行かなかったので、そんな時は片岡弥吉著「長崎の殉教者」と「踏絵ー禁教の歴史ー」を読みかえしています。

キリシタンの歴史書でもありますが、卓越した郷土史家として客観的な文章で長崎の歴史を淡々と描いています。

随分、昔にこの「長崎の殉教者」を読んで感動し、片岡氏へ手紙を送ったことがありました。丁寧な文章の返事が来ました。

片岡弥吉氏の書いた本は、http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E7%89%87%E5%B2%A1%E5%BC%A5%E5%90%89&tag=yahhyd-22&index=stripbooks&jp-ad-ap=0&hvadid=6841747588&ref=pd_sl_4fxsyctxjd_b で購入出来ます。

片岡氏は1980年に亡くなり、著書も絶版になっているものが多いようです。しかし読んだ人がもっと多くの人に読んで貰いたいと思うらしく中古本もネットで購入出来ます。更に死後20年経過した2010年に、片岡弥吉全集1.日本キリシタン殉教史 智書房 2010.5、※全5巻予定で年1冊刊が発刊されています。

以下にWIkipedeaの「片岡弥吉」の項目の資料をご紹介いたします。

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片岡 弥吉(かたおか やきち、1908年1月12日 - 1980年2月21日)は、日本史学者。

長崎県生まれ。日本大学卒。主として長崎の歴史、キリシタン研究で知られる。1964年『浦上四番崩れ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。1951年純心女子短期大学助教授、後に教授、副学長。

著書

高山右近 大夫長房伝   カトリック中央書院 1936

信仰に輝く日本婦人達   きりしたん文化研究所 1941.10/ 復刻:大空社 1995

少年少女のための日本キリシタン物語  中央出版社 1948.12

聖フランシスコ・ザビエル物語  新太陽社 1949.5/ 復刻:長崎純心大学 1999

永井隆の生涯   中央出版社 1952

長崎の殉教者  角川書店(角川新書) 1957/ 改訂版.角川選書 1970

日本キリシタン物語  中央出版社(少年少女文庫) 1958

浦上四番崩れー明治政府のキリシタン弾圧   筑摩書房 1963/ ちくま文庫 1996

高山右近  高山右近列福運動本部 1964

河浦町郷土史 第4輯  天草学林とアルメイダ 河浦町教育委員会 1964/ 新版1984、小冊子

かくれキリシタン  歴史と民俗  日本放送出版協会(NHKブックス) 1967

雲仙・天草  外山三郎共著 講談社(原色写真文庫) 1968

踏絵 禁教の歴史  日本放送出版協会(NHKブックス) 1969

近世の地下信仰 かくれキリシタン・かくれ題目・かくれ念仏
圭室文雄・小栗純子共著、 評論社[日本人の行動と思想] 1974

ある明治の福祉像 ド・ロ神父の生涯  日本放送出版協会(NHKブックス) 1977.1

日本キリシタン殉教史  時事通信社 1979.12

片岡弥吉全集1.日本キリシタン殉教史  智書房 2010.5、※全5巻予定で年1冊刊

長崎のキリシタン  聖母の騎士社 (聖母文庫) 1989.5

長崎のキリシタン使徒たち  純心女子短期大学 1991.4

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神の前の平等とこの世の不平等や不自由・・・山を前にして考える

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

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Img_3940 昨日は甲斐駒岳の麓の山林の中へ遊びに行きました。写真のように都会とは違って広々した空間が広がっています。青空に春らしい雲が流れています。

枯葉に埋もれている小川の水も春らしく輝いています。

そんな環境に入ると自然に神を感じます。自然の山や森に住む神々も感じます。

そして全知全能の唯一の神も見えてきます。その神様は全ての人間を一人一人平等に大切にしてくれます。平等に愛してくれます。

人間は神の前で完全に平等なので他人へ隷属することなく自由に生きることが出来るのです。この感じ方がキリスト教の平等と自由の考え方です。欧米人が他Img_3937_3 人の思惑を考えずに自由に生きている背景にはこんな感じがあるの でしょう。

しかし神の前では平等でも、この世は不平等に満ちています。この世は不自由なものです。

貧困の家に生まれる人と、裕福な貴族の家に生まれる人は、生まれながら不平等を背負って生きて行かねばなりません。

権力者が他人を押さえつけます。人々は権力者の意のままに不自由な生活をしなければなりません。これがこの世の定めと諦めて生きている人もいます。それも立派な人生です。

しかし神の前の平等と自由もこの世の実社会で実現しようとしている国があります。その例がアメリカ合衆国です。

アメリカは階級による差別をなくそうと努力してきました。黒人差別を克服しました。あらゆる差別を廃絶するために「差別用語」を徹底的に排除しました。家柄とか教育によって人間を評価しなのです。人間の価値はその人が現在、何をしていて、将来、何をしようとしているかによって決まるのです。

このように書くと簡単ですが実生活では毎日大変な努力をしています。例は枚挙にいとまがありません。アメリカ人とビールでも飲んで、親しくなっても私の家柄といか卒業した大学を絶対に聞きません。勿論こちらからも聞いてはいけません。

アメリカも以前はインディアンンと言って原住民を差別していました。その呼び方は禁句になりました。アメリカ原住民と言います。

それから以前は郵便封筒に書く名前の前にMr.(ミスター)とかMrs.(ミセス)と言う敬称をつけていましたが、現在は敬称を一切付けてはいけません。いきなりKazuzhiro Gotoと書きます。勿論、Dr. もProfessorも敬称としては用いません。

看護婦は看護師と呼びます。消防夫は消防士です。男女差別を徹底的に廃絶するのです。

日本の社会でも最近は差別用語は廃絶されています。しかしキリスト教の「神の前の平等」という概念抜きでされているので何か軽い流行のような感じで受け止めている人が多いようです。

欧米社会での民主主義はキリスト教の影響を受けた民主主義と考えるのが自然ではないでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)