後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私はてんかんの病歴がありますのでよろしく」と気楽に言える社会を作ろう!

2011年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

以下はPOOさんという方が趣味人倶楽部の日記に書かれていた日記です。

「てんかん」という病気に対する理解を深め、気楽にその事を話せる社会になるようにと祈りながら掲載いたします。職場の人々が「てんかん」の事を正しく知っていると事故が未然に防げる場合も多いと思います。

転載にあたってはPOOさん、ご本人の許可を頂きました。

=====POOさの日記より=============

数日前に、クレーン車が小学生児童の列に突っ込むという痛ましい事故がありました。
まだ将来のあるあどけない子供が亡くなるのは見るにしのびません。

運転手は捕まりました。「居眠りをしていた」との最初の報道で、責任のなさに憤りを感じました。今日、運転手の家宅捜索があったとの報道。事故にしては家宅捜索はおかしいと思っていると、「運転手には持病があり、薬物などの経歴なども調査しています」
ますます???になる。まず病名を言わない。薬物依存、それも麻薬などの違法薬物ならばもっと大げさに騒ぐはず。妙に淡々とした報道だ(もちろんそれが当り前なのだが)

新聞報道で納得した。運転手はてんかんの病歴を持っており、事故時に発作の可能性が高いという。だから、薬歴などを調べるために家宅捜索を行ったのだろう。それも静かに。
なぜ静かか。「てんかん」だからだ。
だから、テレビ放送では単に「持病」と言ったのだ。

私は学生時代に発作を起こしてから、20年以上てんかんとの付き合いだ。発作こそ起こさないものの、精神症状の安定のために服薬は欠かせない。
だから知っている。「てんかん」という病名のデリケートな扱いを。

日本てんかん協会という団体がある。てんかんという病気の啓蒙、支援を行っている法人である。
筒井康隆氏の小説に対してイチャモンをつけ、氏が断筆宣言を行って抗議したのはもう15、6年以上前になるのか(詳しくはウィキペディア)
あれ以来、てんかんは「差別用語」であり、アンタッチャブルな扱いになってしまった。

困ってしまっているのは病気を持っている当人である。
法整備もされ、精神障害扱いにもしてくれたが、世間一般、まず精神障害が解らず、ましててんかんとなると「ああ、そうなの・・・」とどうしていいかわからない表情になる。
てんかんとはっきりマスメディア(特にテレビ)で出しにくいから認知度はますます低くなり、いまだに
「発作起こしたら、泡吹いたりするんでしょ?救急車呼べば大丈夫だよね?それとも、口に舌をかまないようにしたほうがいい?」
と言われる時があります。すべて間違ってますから。
運転免許も以前はダメでしたが、今はOKです。なので、今回の事故には参ってます。
実際、私も万が一を考え大型車両は運転を控えています。どうしても地理上の事情で公共の乗り物が少ないので、万全を配して自動車運転をしています。通勤にも使っています。
でも、今回の事故でどうなるか。最悪、現在の職業である介護には就けないかもしれません。
ただでさえ職業枠は少ないのに(一応、発作を考慮して溶接、高所作業はしません)

もう少しオープンに病状の安全、職業、服薬他を議論していただき、世間一般に認知してほしいのですが、どうにもならないようです。

「私はてんかんの病歴がありますのでよろしく」と大勢の人々の面前で軽く自己紹介できる日はいつなのか、気になるところです。

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戦没画学生の出身校、東京藝術大学の訪問記

2011年04月22日 | 写真

第二次大戦へ出征し、戦没した画学生の作品を常設展示している無言舘という美術館があります。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にあります。数年前に車で、山の中を探しあぐねた末にやっと辿り着きました。鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物です。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画を展示してあります。戦没画学生の出身校は東京美術学校(現、東京藝術大学)だけでは無く全国の美術学校でした。そんな事もあって何時かはその東京藝術大学を訪問したいと思っていました。

昨日その大学の美術館で「香り」展があり、その帰りがけにNK教授の所に寄り、学校内をおちこち丁寧に案内して頂きました。私は大学の工学部で研究をしていましたので、自分の研究室出身の人が何人も大学の先生になっています。しかしみんな工学部で仕事をしています。NK教授も長年、大岡山で教授をして居ましたが、数年前に上野の藝術大学に招聘されたのです。彼はとても優秀な人で、私の研究を力強く支えてくれた方です。私が終生誇りに思っている研究者です。藝術大学には昔の技術を再現したり、芸術作品を修理する部門があり、その部門を担当しています。

学内には絵画棟、彫刻棟、音楽棟、美術館などが散在し、さらに鋳物工場や木工工場など種々の立派な施設があります。その中で若い学生さん達が活き活きと制作に没頭しているのです。

第二次大戦中はその学生に赤紙が来て、戦場へと出征して行ったのです。それを考えながら現在の学生さん達の制作中の姿を見ていました。次第に私の目に涙がたまって、霞んで見えるのです。有名な画家や彫刻家の銅像が沢山ありましたが、昨日は何故か見る気がしませんでした。

下に東京美術学校出身で戦没した杉原さんの絵画を示します。神戸の東亜ロードの風景画です。

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戦没画学生の絵画はこのブログで2010年11月と12月に以下のように掲載してあります。クリックしてご覧頂ければ嬉しく存じます。昨日、東京藝術大学のキャンパスをNK教授と家内と一緒に歩きながら考えていた絵画の一覧です。

敵国の戦没画学生を含めて全ての戦没画学生の冥福をお祈りして、この記事を終わります。

戦没画学生の描いた街の風景を求めて銀座をさまよう

戦没画学生の絵画(1)杉原基司さんの「神戸東亜ロード」

戦没画学生の絵画(2)金子孝信さんの「子供たち」

戦没画学生の絵画(3)岩田良二さんの「故郷風景」

戦没画学生の絵画(4)興梠 武さんの「編物をする婦人」

戦没画学生の絵画(4)片桐 彰さんの「街」

戦没画学生の絵画(5)山之井龍朗さんの「少女」

戦没画学生の絵画(6)日高安典さんの「無題」

戦没画学生の絵画(7)蜂谷 清さんの「祖母の像」

戦没画学生の絵画(8)芳賀準録さんの「風景}

以下の写真は、昨日の東京藝術大学の風景です。

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大津波の被災地にも桜が満開になる!

2011年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

桜は大和民族の心です。皆が大津波の被災地に桜が咲くことを祈っています。そして被災地の人々の心の中にポッと小さな灯が燃え始めるように祈っています。

そう祈りながら、「被災地の桜」という言葉で検索して見ました。沢山写真が有りました。日本中の人々が被災地にも桜が咲くようにと祈っていたのです。

沢山ありましたが「時事ドットコム」(http://www.jiji.com/jc/d4?p=chr100&d=d4_quake )から三陸地方の写真と、被災地ではなかったが観光客の激減した福島市の花見山の桜の写真をお借りしてました。

 「春 望」
  国破山河在  国破れて山河在り
  城春草木深  城春にして草木深し
  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺ぎ
  恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

今日は被災地の多くの人々が桜の花で少しでも勇気づけられますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

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