家から歩いたら30~40分ほどのところだろうか、近くの幹線道路は何度も通っているが幹線から外れたところは案外未知の領域だった。
いつもの街中走行であるが少しだけ違うコースに入ったら見たこともない街並みだった。その一角にこんなお寺があった。朝青龍の話題をテレビで盛んに放送しているのでなんとなく寄ってみようというという気になったのであった。
五~六十段の石段の上にあるお寺は寺院とも言えない小さなもので家が檀家になっている近くのお寺より小さい。縁起では本堂に相当する建物が1680年に造られたとあるからそれほど古いものではない。明治以降に栄えた港街だからそんなに古いものは無いのである。
関が原の合戦から80年後、世は家光の時代かなぁ、と思ったら余り有名では無い4代目家綱が没した年であった。もう戦国時代も遠く、世は平和になると共に幕藩体制が磐石となった頃ではないだろうか。
この裏山に残っている木々は昔の自然のままで都市部としては珍しいらしい。そこでは昔ながらの昆虫達の天国らしくこんな看板がしつこく掲示されている。
ここの管理人は余程昆虫採集に腹が立つのだろうが近所の子供達も可哀想な気がする。いやいや子供ではなく商売人が採集に来るのかもしれない。
今日で一月も終り、そろそろ春の香りと花粉症が始まるのだった。
もう白梅も紅梅も綻び始めている。
何気なくケータイで撮ったが空の色が全然違う。写真というのも案外難しいものだ。
いつもの街中走行であるが少しだけ違うコースに入ったら見たこともない街並みだった。その一角にこんなお寺があった。朝青龍の話題をテレビで盛んに放送しているのでなんとなく寄ってみようというという気になったのであった。
五~六十段の石段の上にあるお寺は寺院とも言えない小さなもので家が檀家になっている近くのお寺より小さい。縁起では本堂に相当する建物が1680年に造られたとあるからそれほど古いものではない。明治以降に栄えた港街だからそんなに古いものは無いのである。
関が原の合戦から80年後、世は家光の時代かなぁ、と思ったら余り有名では無い4代目家綱が没した年であった。もう戦国時代も遠く、世は平和になると共に幕藩体制が磐石となった頃ではないだろうか。
この裏山に残っている木々は昔の自然のままで都市部としては珍しいらしい。そこでは昔ながらの昆虫達の天国らしくこんな看板がしつこく掲示されている。
ここの管理人は余程昆虫採集に腹が立つのだろうが近所の子供達も可哀想な気がする。いやいや子供ではなく商売人が採集に来るのかもしれない。
今日で一月も終り、そろそろ春の香りと花粉症が始まるのだった。
もう白梅も紅梅も綻び始めている。
何気なくケータイで撮ったが空の色が全然違う。写真というのも案外難しいものだ。
今時の都会では山や森が少ないので、
お寺っていうのは、樹木が茂る格好の場所なんですがね。
子供たちが可哀そうですね。
それにしても、「こん虫」だったり「きんし」だったり、平仮名にするポイントが違いますね、看板によって。
小さい頃は大阪箕面の山で、クワガタやカブトを捕まえに行っていました。
それらが種類によっては高く売れると聞いたのは、もう虫がこわくて触れなくなってからで、なんか「ちぇ」って思ったのを覚えています(笑)。
ところで途中から虫が怖くて触れなくなるっ
ていうことがあるんですね。
その付近は,やはり暖かいのでしょうか。そう言えば,最近,なんか目にかゆみが...。