焼酎のオンザロック

ただの好み。

紫陽花と株主総会の季節

2018年06月04日 08時33分38秒 | 港街日記

 6月は紫陽花と梅雨の季節だが勤め人にとっては株主総会の季節である。

 今月の株主総会で退任となる我が身を思えば例年以上に株主総会が意識される。勤め人生活は昭和51年(西暦1976年)からだから実に42年を超えている。この42年間毎日出勤し退勤してきた訳である。月曜から金曜まで(昔は土曜日も半日出勤であった)朝も早よから晩まで出かけるというのが身に染みこんでいる。

 しかしながら思えば幼稚園から大学卒業までだって毎日出かけていた訳で、生まれてこの方平日に家に居るというのは僅か4~5才までだったということになる。

 これからは死ぬまで毎日家に居ることになる訳で、全く新たな経験であるには違いない。だからといって新たな経験に胸躍るようなことは全く無いしどちらかと言えば憂鬱であることは間違いない。

 世の中でよく聞くのは「定年後は故郷で農業」というやつだが故郷は無い。それにウィルスと細菌と線虫がウヨウヨしている土を弄繰り回すのはどうも抵抗がある。遠足や旅行以外では田圃も畑も見たことが無いという育ちでウサギとも小鮒とも無縁だったから山村に対する郷愁が全く無いのである。

 第一今から肉体労働をする気にはなれない。体力は確実に落ちていくのである。

 年齢を考えれば何らかの疾患が見つかり、毎日家に居るのではなく1/3ぐらいは病院に居るということにもなりかねない。いずれ何らかの手術や大量の薬物投与で車椅子や酸素ボンベ・オムツの世話になるのだろうけど、どうにかならないもんですかね。

 今後は益々良い状況になって行く、ということはなく衰退の一途を辿るというのは、要するに希望は無いということである。

 マクロ的に見れば日々の目標は、肉体的・経済的に現状から転落するスピードを如何に遅らせるか、という一点だけになる。

 勿論ミクロ的に見れば日々の喜びや悲しみというのはあるだろう。今年も桜が咲いたとか暑くてたまらんとか紅葉や雪の街景色が綺麗だったとか、久々にあるいは初めて名所旧跡を訪れたとか、こうして日々を積み重ねながら衰微していくのである。

 特段長生きをしたい訳ではないが未来を見てみたいとは思う。ただし10~20年後のことではなく千年後・一万年後・十万年後・百万年後・一千万年後・一億年後の地球を見てみたいのである。一千万年後までは大陸の位置関係は今とそんなに変わらないだろうが一億年後となると大陸の移動が顕著になって気候も生物層も激変しているのではないだろうか。

 人類は何時まで存続するのだろうか。適わぬ夢である。

 ところで6月は紫陽花と思っていたが百合の季節でもあるようだ。

 

 


 
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