令和元年9月2日(月)
硯 洗 : 机洗う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/2f/463cb3e42253ac1324c0603bf8c75325.jpg)
七夕(陰暦)の前夜、子供達が普段使っている
硯とか机を綺麗に洗い清めること。
この日、京都の北野天満宮では、「御手洗祭り」
が行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/7d/008c7efa2c035ab5189e470d61fd1ba9.jpg)
梶の木の葉
硯に梶の葉を添えて神前に供える行事で、
学問の神様である「菅原道真」にあやかって、
子供達の勉強や手習い事の上達を祈る行事として
続けられている。
翌日の七夕の朝に、芋の葉の露で墨を擦って、
日頃の願い事を色紙や短冊に書いて祈る。
このために、硯を洗い清めた。
今月の兼題に「硯洗」が出た。
最近、私(ヤギ爺)は全く毛筆を手にする事が
ない。普段はパソコンのお世話になり、文書等
で筆どころか、ペンも滅多に使わず、書類の
署名、記述等でペンを使う程度か、、、。
年賀状などにも、筆ペンがあり便利である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/51/7d2c2033a8c118ba02c4cc547a10f3c2.jpg)
筆ペン
で、季題の「硯洗」にウーン、、はたと困る。
そう言えば、家に硯は在ったっけ、、?
何処へ仕舞ったか、探してみるが見当たらず、
やっと子供部屋の奥に、小学校の毛筆セットが
見つかる、、、、、。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/4c/26e48804d5822e98c8694f8936c3b51d.jpg)
子供の硯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/0e/818dcc3031a5984dd42a5bbc61b5c4d8.jpg)
墨
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/71/8e0cd76d16eaf4073b38a9a08181fb80.jpg)
墨汁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4d/801203d4af6fee6763124c23502f5ad8.jpg)
毛筆
俳人の夏井いつき先生の「絶滅寸前季語辞典」に
「硯洗」がある。 夏井いつきさんは、
「私も硯は良く使うし、使えば洗いもするが、
それとは趣旨が全く違う。これは勉強や手習い事
の上達を祈る行事であって、きちんと7月6日
の夜に儀式としてやらねば、この季語を体験して
いると胸を張ることは出来ない。
日本文化や日本の社会から毛筆がなくならない限り
硯を洗う行為は続いて行くが、季語としての硯洗
は、風前の灯火というところだろうか、、」
俳人の名句
根性と書き終へ硯洗ふなり 重松 隆
根性と硯洗の二語のミスマッチが可笑しい。
「塾の先生」「悲しい浪人生」「多大な営業ノルマ
を課せられた所長」はたまた「野球部の万年補欠」
こんなバリエーションが浮かんできて、なんとも
愉快、重松隆さんらしいヒネリ技である(いつき)
(夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」より)
硯 洗 : 机洗う
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七夕(陰暦)の前夜、子供達が普段使っている
硯とか机を綺麗に洗い清めること。
この日、京都の北野天満宮では、「御手洗祭り」
が行われる。
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梶の木の葉
硯に梶の葉を添えて神前に供える行事で、
学問の神様である「菅原道真」にあやかって、
子供達の勉強や手習い事の上達を祈る行事として
続けられている。
翌日の七夕の朝に、芋の葉の露で墨を擦って、
日頃の願い事を色紙や短冊に書いて祈る。
このために、硯を洗い清めた。
今月の兼題に「硯洗」が出た。
最近、私(ヤギ爺)は全く毛筆を手にする事が
ない。普段はパソコンのお世話になり、文書等
で筆どころか、ペンも滅多に使わず、書類の
署名、記述等でペンを使う程度か、、、。
年賀状などにも、筆ペンがあり便利である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/51/7d2c2033a8c118ba02c4cc547a10f3c2.jpg)
筆ペン
で、季題の「硯洗」にウーン、、はたと困る。
そう言えば、家に硯は在ったっけ、、?
何処へ仕舞ったか、探してみるが見当たらず、
やっと子供部屋の奥に、小学校の毛筆セットが
見つかる、、、、、。
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子供の硯
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墨
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/71/8e0cd76d16eaf4073b38a9a08181fb80.jpg)
墨汁
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毛筆
俳人の夏井いつき先生の「絶滅寸前季語辞典」に
「硯洗」がある。 夏井いつきさんは、
「私も硯は良く使うし、使えば洗いもするが、
それとは趣旨が全く違う。これは勉強や手習い事
の上達を祈る行事であって、きちんと7月6日
の夜に儀式としてやらねば、この季語を体験して
いると胸を張ることは出来ない。
日本文化や日本の社会から毛筆がなくならない限り
硯を洗う行為は続いて行くが、季語としての硯洗
は、風前の灯火というところだろうか、、」
俳人の名句
根性と書き終へ硯洗ふなり 重松 隆
根性と硯洗の二語のミスマッチが可笑しい。
「塾の先生」「悲しい浪人生」「多大な営業ノルマ
を課せられた所長」はたまた「野球部の万年補欠」
こんなバリエーションが浮かんできて、なんとも
愉快、重松隆さんらしいヒネリ技である(いつき)
(夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」より)