遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

硯 洗

2019-09-02 16:04:22 | 日記
令和元年9月2日(月)

硯 洗 : 机洗う

七夕(陰暦)の前夜、子供達が普段使っている
硯とか机を綺麗に洗い清めること。
この日、京都の北野天満宮では、「御手洗祭り」
が行われる。

梶の木の葉

硯に梶の葉を添えて神前に供える行事で、
学問の神様である「菅原道真」にあやかって、
子供達の勉強や手習い事の上達を祈る行事として
続けられている。
翌日の七夕の朝に、芋の葉の露で墨を擦って、
日頃の願い事を色紙や短冊に書いて祈る。
このために、硯を洗い清めた。

今月の兼題に「硯洗」が出た。
最近、私(ヤギ爺)は全く毛筆を手にする事が
ない。普段はパソコンのお世話になり、文書等
で筆どころか、ペンも滅多に使わず、書類の
署名、記述等でペンを使う程度か、、、。
年賀状などにも、筆ペンがあり便利である。

筆ペン

で、季題の「硯洗」にウーン、、はたと困る。
そう言えば、家に硯は在ったっけ、、?
何処へ仕舞ったか、探してみるが見当たらず、
やっと子供部屋の奥に、小学校の毛筆セットが
見つかる、、、、、。

子供の硯



墨汁

毛筆

俳人の夏井いつき先生の「絶滅寸前季語辞典」に
「硯洗」がある。 夏井いつきさんは、
「私も硯は良く使うし、使えば洗いもするが、
それとは趣旨が全く違う。これは勉強や手習い事
の上達を祈る行事であって、きちんと7月6日
の夜に儀式としてやらねば、この季語を体験して
いると胸を張ることは出来ない。
日本文化や日本の社会から毛筆がなくならない限り
硯を洗う行為は続いて行くが、季語としての硯洗
は、風前の灯火というところだろうか、、」

俳人の名句

根性と書き終へ硯洗ふなり     重松 隆


根性と硯洗の二語のミスマッチが可笑しい。
「塾の先生」「悲しい浪人生」「多大な営業ノルマ
を課せられた所長」はたまた「野球部の万年補欠」
こんなバリエーションが浮かんできて、なんとも
愉快、重松隆さんらしいヒネリ技である(いつき)

(夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」より)