フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

シャンソニエのピアニスト

2011年05月09日 | パリ9区

シャンソニエのピアニスト

彼との出会いは、またモンマルトル。
昔芸術家が多く住んでいたところということもあり、古き良き時代を感じるこの地区は、何度訪れてもノスタルジックである。

サクレクール寺院からそう遠くない小さな宿に二度ほど滞在した。


そしてその宿のマダムもお勧めのシャンソニエ「ラパン・アジル」行ってみた。
ここは21時からと言うことで、夕食を済ませて出かけて行った。



薄暗い小さな場所だが、まずチェリーのお酒をいただき、その一杯でシャンソンを堪能できる。
観光客が多く、フランス人でも地方から観光に来ている人は多いのではないだろうか。

まず10人ほどいる歌い手がおなじみのシャンソンをみんなで歌う。そしてソロに移っていき、最後は二時ごろになるという。
残念ながらまだラストまでいたことはない。

ピアニストがいかにも雰囲気のあるムッシュであり、日本の曲も何曲か演奏してくれた。
エディット・ピアフを彷彿とさせる上手な歌い手のソロはトリだということで、聞くことを諦め、ホテルに戻った。


それから、二年、やはりこの歌手のソロが聞きたいのでと、フランス人カップルと一緒に出かけた。
すると入口近くの楽屋に、二年前に演奏していたピアニストが見えた。
思わずそこに行き、「二年前にも来たよ。」と握手した。

これが彼との縁の始まりである。

ふと見ると日本語を書いたノートブックを持っている。
聞けば、なんと日本語を勉強していると言うではないか。
一日2時間は勉強しているという。

彼はその時多分75歳くらいだったはずだ。
「60の手習い」なんてものじゃない。
私は感服した。そして、アドレスを交換した

その後演奏を楽しんだが、翌朝仕事がある友人に二時まで付き合ってもらうわけにはいかず、12時過ぎに帰った。


そしてこの時の縁でその年の九月、我が家にやってきた。
日本には日本語の勉強で何度か来日していたようだが、関西に来るのはそれが初めてだった。

背中が悪く、長く歩くことは容易ではなく、京都と奈良を少しだけ案内した。
その背中を思うと、畳に布団と言う部屋は決して快適なものではなかったことであろう。

滞在中には高齢にもかかわらず、パソコンを駆使することにも驚いた。
写真の修正方法など彼に教わったくらいだ。

彼は二日目にフランス料理をご馳走させてほしいと言い、この地では評判のお店に行くことになった。
「おいしい、でもこれはほんとのフランス料理ではない。」と最後のチーズだけは喜んで食べていたのが印象的であった。

新フランス料理と言うものがフランスにあるが、日本のものはそれに近いようだ。

彼が帰国し数日後、何と家に花束が届いた。
「あなた方のところに滞在することはとても心地の良いものでした。ありがとう。」とメッセージが添えられていた。

それから毎年彼の訪問は続いている。
しかし、もう80近い彼は昨年大病をした。
心配したが驚くべき回復ぶりで、今年も日本にやってくるという。

彼にとって、今や日本は生きがいそのものであるらしい。



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2 コメント

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Unknown (chocolat)
2011-07-14 17:26:03
すずさん、chocolatです。
お邪魔するのがすっかり遅くなってしまってすみません。

すずさんといろんな方との出会いが目に浮かびます。とてもステキな日記
それぞれのお話の続きがとっても気になります。

少しずつバックナンバーから読ませていただきますね!!
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コメントありがとうございます (ふらんすびいき)
2011-07-16 15:18:25
chocolataさん、ありがとうございます。

そう言っていただいて励みになります。

頑張り過ぎないようにと思いながらも、書きだすとあれもこれもと思い出され、数か月でこんなにも更新しています。

続き、気になりますよね。
ぼちぼち続きも混ぜてみようかな??

ふらんすびいき(すず)
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