goo blog サービス終了のお知らせ 

フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

結婚前日の可笑しな儀式

2011年11月11日 | ブルターニュ

カルナックに行った翌日朝早く、ジャクリーヌとフィリップが迎えに来た。 

 

レンヌのムッシュは、「ゆっくり寝ているので、朝ごはんを適当に食べて」と、言ってくれた。

だからアパルトマンに泊まっているかのように、冷蔵庫から色々出して、自分で朝食を用意するのもまた楽しいことだった。 

 

午前中は、ジャクリーヌとフィリップがレンヌ市の市場に連れて行ってくれた。 

フランスではこういう市場がどの町にも必ずある。パリにももちろんある。 

各個人の店がテント張りなどで週の特定の日にずらりと出るのである。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

スーパーでの買い物と違ってそこには売り方と客との楽しい会話が成立する。また毎週行くから店の人と客も顔なじみ同士である。売っているものは食料品が中心で、魚や野菜、果物など皆新鮮なものばかりで価格も手頃らしい。

 

フランス人は市場が好きだ。とにかく沢山の人が買い物に寄って来る。

この日そこで面白いものを見た。

 

有る若いカップルが、友人達に囲まれていた。その男性の方がまるでチンドン屋かピエロかと言うような奇妙な格好をしていて、人の大勢いる市場をこれまた海賊などに扮装した友人達に囲まれている。

 

女性の方はそんなに変な格好ではなく、少し飾り立てた服装で、女性の友人達に囲まれているだけだった。

 

やがて男性を囲んでいる友人達は笛やラッパや太鼓で、ドンチキチン、プップップと演奏しながら練り歩き始めた。

 

 

面白いので見ていると、ジャクリーヌにその尻尾をつけたような格好をしいている若い男性が何やら話をしている。すると突然すごく背の高いその男性とジャクリーヌがその場でダンスを始めたのである。

 

このミスマッチの二人のダンスはユーモラスで、もう可笑しくて可笑しくてたまらなかった。

 

後で聞くとそのカップルは明日結婚するのだそうで、こういう儀式を行う習慣になっているようだ。

 

マダムと踊ったのは、そうすると男性が幸せな新婚さんになれると言う言い伝えがあるかららしい。

 

ジャクリーヌ曰く「あなたのために私は、特別に踊ったのよ。普通ならしないわよ」とのことだった。イヤー珍しい光景を見せてもらった。それにしてもマダムの如才なさは賞賛に値した。

 

これから食事に行くことになる。

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


彼泣いてたのよー

2011年11月05日 | ブルターニュ

さて大変だったロンゲストデイの翌日のことだ。

彼の職場の友人であるジャクリーヌとその御主人のフィリップ夫妻と一緒に、ブルターニュ南部のカルナックへ行くことになった。

 

愛犬のベップはその間、家を出て行ったばかりのカトリーヌに預けると言う。そこでムッシュは彼女がいるアパルトマンに大きな花束を持って立ち寄り、中へ入って行ったが、間もなくベップを預けて出てきた。

 

良くわからないが、そう言う状況なのである。要するに彼は未練たっぷりなのだが、彼女の方はもうサヨナラのようである。

 

車で200キロ近く走ったと思うが、不思議な巨石が立ち並ぶカルナックに着いた。紀元前1000年とかにこの石群は人の手で出来たということだが、何のためなのかは不明らしい。

 

 

 

 

私はこれはお墓ではないかと言ったら、フィリップも自分もそう思うと言っていた。まあ、好きに判断していいわけだ。

 

昼ごはんは近くのレストランだったが、皆はこの地方特産のムール貝を注文した。私は以前ベルギーで食べて美味しくなかったのがトラウマで、ピザを注文した。

 

 

そのあと、キブロン半島の先っぽにある海岸のコート・ソヴァージュへ行った。野性的な海岸という直訳の通り断崖絶壁で、東尋坊みたいだった。

 

 

 

海岸を歩いている時ジャクリーヌはそっと「昨日職場で彼は泣いていたのよ」と言った。

「60を過ぎて一人になるって、それは辛いことよ」と、彼女も心配していた。

それにしても奥さんに絶縁され悲嘆に暮れている彼が運転する自動車の後ろ座席で、夫のフィリップと手を握ったりチュチュとやったり、お構いなしではないか。呆れてしまう。

 

私はコート・ソヴァージュで失意の彼が海に飛び込まないか、心配なくらいだった。

 

そのあとオレーという小さな港町に行くのだが、途中道路わきの露店で果物等を売っていた。トマト、イチゴ、オレンジ、メロンなどが並んでいたがみんな日本のものとは少し形などが違っていた。ムッシュはイチゴを買った。

 

 

 

 

オレーの街を見てから帰途についた。夕食はムッシュのアパルトマンで、男性二人が夕食の用意をしてくれた。ジャクリーヌはここでは(ここでも?)お客さんである。

 

 

 

 

失意のどん底の彼も今日は何かと忙しく、ほんのちょっとだろうが気が紛れたかもしれない。それにしてもジャクリーヌ、フィリップ夫妻が意に介せずいちゃつくのには驚いた。

 

次の日はこのジャクリーヌとフィリップ夫妻がレンヌ市を案内してくれた。

 

ぽちっとお願いします にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


ザ・ロンゲスト・デイ

2011年11月01日 | ブルターニュ

忙しい一日の後半である。しかし衝撃的事件が待っているとは露知らず・・・。

 

ブルゴーニュから帰ってきてパリの友人宅で一息つくと、さあ今日中にブルターニュのレンヌに到着すべく出発である。

タクシーでモン・パルナス駅につき、列車に乗り込めばそれでレンヌへ運んでくれるわけではあるが、今日一日でパリを挟んで東から西へ大移動である。

 

                 

 

レンヌに着けば、2年前に日本に来て仲良しになったムッシュとマダムが迎えに来てくれているわけで何の心配もないが、夜遅くに着くのは申し訳ないなと思っていた。

 

やがて列車はレンヌに到着し、すぐにムッシュが目に入った。一人だった。

やはり夜遅いからマダムは家で待機しているのだと思った。

そして車に乗せてもらい、彼等の家に向かった。

 

彼等は1年ほど前に新しいアパルトマンに転居していた。日本食が好きで鉄板焼きもできる台所などの写真も送ってきていた。

二年前、前のアパルトマンへの滞在も申し出てくれたが、モン・サン・ミシェルの夕日が見たいからと断って、案内のみお願いしたので、今回は念願の彼らの家、それも新居に滞在するというので、楽しみにしていた。

 

しかし、しかしである。ムッシュは車に乗ってから爆弾発言をした。

「実は悲しい知らせがある。」・・・「えっつ?何??」

「今朝彼女は家を出て行った・・・・」・・・「えっつ!!!・・・」

 

二か月前には仲良くスキーをしている写真を送ってきていたので、言葉が出なかった。

聞けばその後、彼等の関係は、急速に悪化していたようだ。

はっきりした原因は今も判らない。

しかし、今朝出て行ったとはびっくりだ。考えるに私が訪問するのをきっかけに、出て行ったようだ。マダムとしては関係がおかしくなっているのに、取り繕って歓迎など出来ないわけだ。自分に正直だと言える。

 

しかし、選りに選って大変な時に来てしまったものだ。申し訳ない気持ちになる。だがもう帰れない。

二人が可愛がっていた犬「ベップ」はマダムが連れて行かず、家に残っていた。二人が日本旅行をした時、別府温泉に泊まり気に入ったから、犬に「ベップ(別府)」と名付けたのだ。 

心なしか、このベップもしょんぼりしているように見えた。

 

                 

 

落ち着いた街の、ベランダから区役所がすぐそこに見える素晴らしいマンションなのに、いるはずの人が一人いないのである。

 

                 

 

もう慰める言葉がない。とにかく今夜は遅い。眠るしか仕方がない。

 

私は彼等の寝室であったであろう部屋、新しく清潔なホテルのように大きなバスタブや洗面所がすぐ横にあり、壁には日本の思い出の品が飾られているその部屋で、複雑な思いのまま、眠りについた。

 

                 

 

                 

 

                 

 

                 

 

しかし長い一日だった。

 

どんな滞在になるのだろうか、この時は知る由もなかった。

 

 ぽちっとお願いします にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 

 

 


貫禄ボディのグルメ夫妻

2011年07月29日 | ブルターニュ

レンヌのグルメなカップルにお世話になってモン・サン・ミッシェルへ行く途中の話の続きである。

 

サンマロの見学を終え、モン・サン・ミッシェルへ行く途中、カンカールという牡蠣の養殖場で有名なところも寄った。ここには東京にも出店しているというクレープの店もあったが、時間の都合上割愛した。

 

車で走りに走り、やがてモン・サン・ミッシェルが遠望できるところまでに来てその姿の美しさに感動した。

やはり、ここにきて良かった。

         

 

          

モン・サン・ミッシェルの登り始めは土産品やオムレツの店などが両脇にぎっしり並んでいるが、やがて寺院の領域に入ると店は無くなり、これはかなり高さのある大きな寺院と言うことが判る。

                

牢獄に使われたこともあるらしい。

四方を海に囲まれたこの寺院は監獄にうってつけだ。

「岩窟王」の話を思い出した。

 

上に上り、下を見下ろすと、私達が来た方とは違う方向から海の浅瀬を歩いてこの寺院に来ようと

する一団が見えた。

 

同行したマダムは、「今度はあの人たちのように海を歩いてこの教会に来よう。」と言った。私も今度来るときはそうしたいなと思った。

 

しかしある事情によって、このマダムのこの言葉は今も胸に仕舞ったままだ。

現在、これが実現される可能性は、ほとんどなくなってしまった。

このことについては、2009年の再訪問の時に述べなくてはならない。

 

名物のオムレツは食べなかった(高すぎるし、それほどの価値を感じない。)が、ガレットやクレープを食べた。クレープが小麦粉で出来ているのに対し、ガレットはそば粉で出来ているというわけだ。

 

                これがクレープ

 

              これがガレット

 

店に入りガレットを食べ終わり、出ようとした時、別の日本人夫妻がやってきたが、店はもう店じまいだと、その客を追い払ってしまった。

「信じられない。」と私に同行したマダムは店の対応に怒っていた。

じっとしていても客はやって来る観光地とはこのようなものだ。

観光地なら、日本でもありうる話である。

 

さて私はモン・サン・ミッシェルの日没を見たかったので、ホテルを島の対岸側に予約していた。

 

ここで夕食をお礼にお返ししようと思ったが、遠いので早く帰らないといけないからという夫妻に、無理強いするわけもいかず、そこで二人の帰る車を見送った。もちろん再会を約束した。

 

モン・サン・ミッシェルの向こうに沈む夕日は綺麗だったし、夕食にうさぎ料理を食べた。

          

富士山と同じように、どうやらモン・サン・ミッシェルも遠くから眺めるのがいいようだ。その遠望は神秘的で、世界遺産なのも納得である。

 

モン・サン・ミッシェルは、日本語に訳せば「聖ミッシェル(大天使ミカエル)の山」というところか。

 

TGVでパリのモンパルナスの駅に帰ってきたとき、「大人の人間のミッシェル」さんが迎えに来てくれていたことは、先に書いたとおりである。

 

 


おいしかったサン・マロの海の幸

2011年07月27日 | ブルターニュ

今回は 以前日本にやってきたレンヌのカップルの話である。 

 

ムッシュがフランスで日本の某有名電機メーカーに勤めている事は前に述べたとおりである。 

 

自分のヨットに桂離宮から取った「KATSURA」と名付け、飼い犬に別府から取って「BEPPU」と名付けた人である。 

 

2007年私は世界遺産モン・サン・ミッシェルを見たくてレンヌのこのカップルにお世話になることにした。 

 

その前にプロバンスにいた私は、マルセイユからマイレージを使ってレンヌの空港まで飛んできた。

鉄道でパリからプロヴァンスに移動した後、レンヌへの移動は、一時は諦めかけていた。パリに戻るには時間のロスがあり過ぎる。

 

空路と決めてからも午前出発のマルセイユ空港からのフライトは値段が上がるからだ。その時、ふと思いついた!!

日本からはANAで往復した今回のフランス旅行だが、以前エールフランスを利用したときのマイルがあるのでは?と考えたのだ。

 

ちょうどこの分だけをカバーするマイレージが貯まっていた。これでモン・サン・ミシェルへ行ける!!とすぐに予約を入れたのだった。 

 

             

この飛行機はわずか50人乗りの小さな飛行機であった。

 

 

空港で、二人は待っていてくれた。

レンヌの自宅に泊まるように誘われていたが、日程上無理でそれは今度に必ずお世話になるからと勘弁してもらい、この一日、車での案内をお願いしていたのだった。

 

すぐにサン・マロと言う第二次世界大戦の激戦地であったノルマンディーの海岸に連れて行ってくれた。

 

海岸の小高い所にドイツ軍が造った分厚い鋼鉄製のすごいトーチカ(砲台)が残っていた。連合軍の艦砲射撃弾が命中し、ベコベコになったまま残してあった。当時のすごさを想像して余りあるものだ。

 

              

 

しかし最近私は少し気になることがある。

このベコベコは本当に艦砲射撃によるものだろうか?という疑問である。

その根拠は穴が海側だけでなく、陸側にも開いているからなのだ。 

この疑問はまだ未解決のままだ。

 

             

 

とにかく映画「ザ・ロンゲストデイ」を思い出さずにはおれない。

 

美味しい魚貝類の料理の昼食を御馳走になった。これはおいしかった。

         

  

         

そのあとサン・マロの城塞町に行き、城壁の上を歩いた。第二次世界大戦の時、この城にドイツ軍が立てこもったので、連合軍が爆撃し、ほぼ灰燼に帰していたそうだ。

今は立派に復元されている。

相当大きい城壁に囲まれた町であった。

 

             

 

中世には、フランス国王の公認の元、この町からバイキングが出撃したという話も聞いた。国王公認の海賊とはびっくりした。

 

続きはまた。


ランキング

人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ ランキングに参加しています。 よろしければ、クリックお願いします

レシピ