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フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

知事に話しかけられたレンヌの家族

2011年07月01日 | ブルターニュ

次に登場するのは三菱電機の関係者である。

 

フランスの三菱電機に勤めている「レンヌのムッシュ」のことは先に書いたが、その同じ会社の同僚にフランス人のマダムがいた。

 

彼女が御主人と14歳の一人息子と一緒に家族で日本にやってきた。

京都に泊まり、奈良に日帰り観光にやって来た。

勿論「レンヌのムッシュ」からの紹介で、私が案内することになった。

そのフランスの三菱電機にいた日本人の30歳ぐらいの男性一人も随行してきた。

 

ちょうど奈良の燈花会と言う行事がはじまった8月初めのころだった。

                        

その時、知事の発案で奈良公園に面した県庁もその行事に参加し、屋上が一般に開放されることになったその初日だった。

 

昼間ひと通り、観光地を案内し、夕方京都に戻らなければならない彼等に猿沢池の燈花会の様子を見せることができた。

そのあと彼らと一緒に県庁の屋上に上り、見物していた時、ちょうど知事が初日の様子を視察に来られた。

 

彼らを見るや近づいて、フランス語で話しかけられた。

Vous etes Francais? (あなた方はフランス人ですか?)

これは私がフランス人に話しかける時と全く同じフレーズだったので、少し親しみを覚えた。

 

知事は運輸省時代にフランスのOECDに仕事で赴任し、数年暮らしていたとのことだった。なんでも娘さんがベルサイユに住んでおられるとも言われた。

 

後で知事のブログを見ると、この数年のフランス生活は、人生観を変えるほどの影響があったと書かれている。

 

彼等は、奈良県の知事がフランス語で話しかけてきたことに驚き、大変喜んだ。

そしてその夜は幻想的な灯花会を堪能し、京都に引き上げて行った。

                                                

私はこの縁で、レンヌに行ったとき彼らと再会し、「レンヌのムッシュ」と共にあちこち見物させてもらえたし、彼らの家で、夕食も御馳走になった。

 

その一人息子も今は大きくなり、最近大学入学資格であるバカロレアに合格したそうだ。

そういえばあの時、「哲学の試験は難しいと聞いているがどうか?」と聞いたら、「全然難しくはない、得意だよ」と、言っていた。頭のいい子だ。

 

この時のエピソードはまた後で。


ヨットの「カツラ」号に愛犬の「ベップ」

2011年06月11日 | ブルターニュ

このムッシュとはインターネットで知り合った。

 

彼は日本の有名大手電機メーカーのフランス法人に勤めている。(職場の同僚のマダムも彼の紹介でのちに来日する)

従って、当然仕事で日本に来たことがあり、日本が大好きだった。 

 

ある時奥さんと一緒に遊びで日本にやってきて、あちこち旅行した。 

またムッシュは以前京都の桂離宮に行き、大変気に入った。

そこで彼は持っている自分のヨットに「KATSURA」と命名してしまった。

 

奥さんに桂離宮を見せたくて、予約を取っておいてほしいと依頼のメールが来たので、予約を宮内庁京都御所で取り、彼らと見学した。

外国人の予約には「外人枠」があり、彼らの通訳として日本人もそれに便乗できるのだ。

 

その桂離宮が良かったのか、見学を終えたころに、奥さんは言った。「あなたのフランス語の先生は、近しい間柄になった時使う、二人称を教えなかったのか?」

それからは親しい間柄のみに用いる二人称(TU チュ)を奥さんとお互いに使うようになった。

 

奥さんはこう言ってはなんだが、とても「良い体格」をした人であった。

明るくよく笑い、また気持ちは優しく、面白い人だった。

グルメの二人だから、自然と「体格が良くなる」のは仕方がない。

 

和食好きな二人との夕食の後、カラオケに誘ったところ、歌と踊りが大好きなカップルは、躊躇せず、「ウイ、ウイ」だ。

カラオケも今や立派な日本の文化である。

フランスの曲は少ないけれど、ビートルズの歌なんかもOKだ。

 

カラオケの後で親密度がさらにぐんと増した。

帰りに奥さんは「日本人とこんなに近しく感じたのは初めてだ」と言った。 

たぶん今までは、ムッシュの会社関係の知り合いの日本人が多かったので、どちらかというとムッシュの友人であったのだろう。

初めて自分の友達ができたという感じの喜び方だった。

 

彼らのこの時の印象は、二人はいつも手を繋ぎ、本当に幸せそうな息の合ったカップルだった。

二週間後のフランスでの再会を約束して別れた。

 

帰国後の報告では、その後、九州の別府温泉や黒川温泉まで行ったということで、写真が送られてきた。二人がくつろいで湯船につかる姿だった。

別府温泉には以前ムッシュだけが行ったことがあり、温泉が大層気に入り、今回も選んだのだった。

聞けば何とびっくり、この旅行に先立ち、レンヌの自宅に飼っている犬に「BEPPU」という名をつけてやってきたという。

             

 シラク大統領が、愛犬に「SUMOU」と名付けたのと同じだ。

 フランス人はこのように時々好きなものに日本の名前をつける。日本人も外来語の名前を付けたりするので同じ感覚なのだが、フランス人の場合、親日度の高いフランス人と思えるのである。

 


柱くぐりの成功カップル

2011年06月09日 | ブルターニュ

東大寺・大仏殿にある柱の穴を子供の時にくぐったことがある人は多いだろう。

 

遠足や修学旅行で来た生徒たちにも人気で、時には長蛇の列が出来ている。

これは、子供だけでなく、外国人観光客にも人気である。

 

 

もちろん対象は子供のためのものなのだが、私がフランス人の友人を案内する時、列がさほど長くないときは、並んでお手本を見せることにしている。

 

 

フランス人はどこか少年少女の気持ちを持った大人であることは前述のとおりだ

体の大きくない人はすぐに挑戦するが、そうでない人も挑戦したくてたまらない人が多い。

 

私が無事通るのを見ると、「ほぉー」と、それまで躊躇していた人も、やってみる気になったりする。

ちょっとしたコツがあり、それも伝授する。

 

その時案内していたクリスチャンは残念ながら、チャレンジもむなしく、通れなかった。

180cmを超える体格の持ち主だったから仕方がなかった。

このことがかなり悔しかったことは、後にわかることになる。

 

そこに別のあるフランス人の若いカップルがいた。どちらも小柄だ。

まず女性の方が挑戦した。

難なく抜けた。

男性はシャイな感じで、試みるのをかなり迷っていた。

しかし、私が通るのを見て、決断したようだ。

小柄に見えても肩でつかえてしまうのだ。コツをアドバイスしたところ彼もなんとかうまく通ることが出来、恥ずかしそうにほほ笑んだ。

「やったね!!」と喜びあい、その場で別れたのだった。

 

そして私は翌日、広島に向かうクリスチャンを京都駅に送って行った。

新幹線のホームで、何と、その柱くぐりの若いカップルに再会した!!

彼らもまた広島へ向かうと言う。

ここで再会したことは、大仏様の「縁」だとまた説明する。

そしてアドレスを交換した。

彼女は小児科医、彼は生物の教師で、その時はパリ郊外に在住であった。

 

この後、新幹線でクリスチャンと彼ら三人が広島まで楽しい道中であったのは言うまでもない。

しかも驚いたことに後で聞いたところによると、クリスチャンもパリに住んでいたことがあり、その時期、パリで中学生だった彼女の音楽の教師だったと言うではないか。

本当に不思議な縁である。

 

やがて二人はパリ郊外から、ブルターニュ生まれの彼の故郷の近くに引っ越し、今では二人の子供に恵まれている。

その子供たちに会いに来てほしいという気持ちに応える機会にまだ恵まれないのが残念である。

 

 

 


熟年夫婦の退職旅行

2011年06月08日 | ブルターニュ

このカップルも年配である。

偶然奈良のカフェで隣り合わせになった。彼等は軽いランチを食べていて、自然と会話になった。

御主人は日本の有名船会社に長く勤めてきて、その年にリタイアしたそうだ。永年の会社への貢献により、会社から夫婦へ日本旅行をプレゼントされたそうだ。うらやましい話である。一流会社とはこういうことをしてくれるのか。

彼等は、奈良ホテルに泊まっているとのことだった。ちょうど3月、東大寺二月堂で「お水とり」の時期であった。もし行きたいのなら案内すると言ったところ、是非頼むということになった。

夕方6時に待ち合わせし、二月堂の「お松明」を観覧した。大勢の人であったが、背の高い御主人は頭越しに、小柄な奥さんは人垣の間からなんとか見ることができた。彼らに「お水とり」の行事の意味を話した。この季節しかない行事で、「あなたたちは運が良い」と言ったら大層喜んだ。

近鉄奈良駅まで戻ってから遅い夕食を、一緒に食べることになった。彼らが言うには「日本の食事は高い」である。聞くと奈良に滞在中は、駅近くのラーメン屋で済ませていたという。

その日そのラーメン屋は定休日であった。そこでその近くの別のレストランで一緒に夕食をした。
二人はいかにも上質なオーバーコートを着ていたし、泊まっているところも一流ホテルなのに、この食事行動はそれらと全くチグハグだった。それが不思議に思えた帰国後、ご主人の出身地のブルターニュに退職後の終の棲み家に決めたと知らせが来た


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