goo blog サービス終了のお知らせ 

フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

旅行途中で、ヘルプ・ミー!!

2011年11月25日 | ブルターニュ

プロヴァンスのシャンブル・ドット(B&B)で知り合ったアルザス三人組、その息子夫妻が結婚した秋から半年後の五月、新婚旅行として日本にやって来るにあたって、メールが来た。

 

まず、プランニングについてだ。

九州でレンタカーを借りたいとのことで、相談を受けた。ちょうど四月に来日したフランス人カップルが、レンタカーサイトをうまく見つけ、利用していたので

彼らにそのサイトを教えてもらい、このカップルに提案した。

しかし、値段は安かったのだが、そのシステムについて、時間単位の利用方法の説明が解りにくかったこともあり、「これはどういう意味?」といくつか聞かれ、フランス語に訳し、説明した。

また民宿やユースの予約についても、こちらが代わりに引き受けた。もちろん彼らが宿を提示してくれたので、電話をするだけだ。これは気が楽だ。

 

ちょうど私がフランス旅行から帰国した翌日、成田着の旅程だった。

 

奈良に来るのは、成田から九州に入り、一週間の滞在を終え、広島、京都の滞在の後である。

 

アルザスでこの二年前、とてもお世話になった両親のことを思うと、彼らを精いっぱい迎えたい気持ちである。

とても楽しみである。

 

そして、成田に到着して間もなく、メールがきた。「緊急事態!!ヘルプ・ミー」である。

実は九州プランニングの段階で一旦は保留にした、屋久島。新妻のローランスが「やっぱり行きたい」と言いだしたのであった。

「急遽、宿の変更と新たに予約をお願いしたい。」

「よっしゃ!!まかしとき」と言いたいところだが、すんなり変更、キャンセル、予約が可能であれば問題ないのだが、新たに予約を入れて、「あいにく満室」と断られた場合、空いているところを当たって、彼らの返事を待たずに予約しておかないといけないところも出てきたのだ。

 

それでも考えている猶予はなくすぐに連絡をとる手段もなく、とりあえず、キャンセル予約と次々手配するしかなかった。

 

後のメールで「ありがとう!!何とお礼を言っていいかわからない」と喜んでくれて、ほっとした。

 

メールで、心の温度みたいなものが解るときがあるが、彼らのもそうだった。何とかしてあげたくなる、そんな温かさを感じる文章であった。

 

 

こうして、いよいよ奈良で、会う日がやってくる。

 

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 

 


ブルターニュのバグパイプ

2011年11月25日 | ブルターニュ

カトリーヌは去った。

 

残った私達はその寂しさを振り切るように海岸沿いの散歩に出かけた。

まず最初に、アパルトマンを出て左の方へ出かけて行った。

 

そちらの方は海岸に突き出ている崖の上へ行く散歩道で、上から見る海岸はなかなか見晴らしが良かった。

 

 

 

 

 

 

高台から戻って来ると大きなステージが有って、そこでブルターニュの民族衣装を着た若い男女がダンスをしていた。

どおりで人が多いはずだ。またアパルトマンの下をバグパイプの一団が行進していたのもこれだったのだ。

 

バグパイプはスコットランドだけのものと思っていたのだが、それはここで誤りだとはっきり解かった。

そしてブルターニュにはブルトン人と言うフランスでも固有の文化を持つ人たちがいるといことを知ってはいたが、このダンスや演奏や民族衣装を見て実感した。

 

 

ダンスは若い人たちが踊っており、年寄りが辛うじて守っているという状態でないことが解る。しっかり引き継がれている文化なのだ。

 

そのショーを少し見てから、近くのジェラールのヨットを見に行った。

沢山のヨットが係留されているところで彼のヨット「カツラ(桂離宮の桂から取った名)」があった。

今回はそれで海に出かけることは出来なかったが、何時か乗せてもらえる日が来る気がした。

 

 

   

ここにもカトリーヌの思い出が染みついている。数日前にカトリーヌが出て行ったばかりなので無理もない。

日本に送られてきたヨットの上の二人の写真を、思い出してしまった。

 

一度アパルトマンの前まで帰り、海岸で休息した、海岸の砂浜で無心な子供たちが走っていた。

 

 

海に足を浸した。しかし冷やさなければならないのはジェラールの心であった。

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 


そしてカトリーヌは去って行った。

2011年11月22日 | ブルターニュ

翌日ジェラールの持つサン・ケイと言うところにある別荘に行くことになった。 

 

ジャクリーヌとフィリップ夫妻も彼らの車で同行した。サン・ケイはレンヌからさらに西の方に車で1時間くらい走った海岸べりの別荘地だ。 

 

別荘と言ってもアパルトマンの4階ぐらいのところの家を買っているのだった。 

 

着くと以前送ってくれたツーショット写真で見覚えのある窓からの海岸が見えた。送ってくれたころは夫婦仲も良くかったのにと、思い返される。

 

 

 

 

離婚したカトリーヌの生まれ故郷なので、別荘を買ったわけだ。

 

そのカトリーヌがそこへやってきていた。

 

彼女の弟夫妻も子供を連れて一緒に来ていた。みんなで海岸近くのカフェでお茶を飲んだ。

 

 

別れたばかりのジェラールと顔を合わすのも気が進まないのに違いないが、彼女は私に会いに来てくれたのだった。

 

この日サン・ケイでは何やらお祭りがあり、それから私達は大きな臨時の仮設テントみたいなところでランチを食べた。

その時のカトリーヌは私達の座るところや注文を仕切るのを見て、ああ、しっかりもののカトリーヌは、変わってないなあと感じたのだった。

 

 

 

 

何とも複雑な雰囲気ながら、そう湿っぽい状況でもなく、険悪なこともなく、さりとて当然愉快だと言うこともなく、それからまた別のカフェでお茶をしてそれからカトリーヌは帰って行った。私と別れのビズをした時は、涙を流していた。

 

レンヌにあるカトリーヌの経営する生活雑貨を売る小間物屋さんみたいな店の経営がうまくいかないらしい。

 

一度店舗を変え新しい店で出直したのだが、状況は厳しいと彼女は言っていた。その険しい横顔は店のことや離婚のことで本当に困難な状況にあることを端的に物語っていた。

 

離婚原因はこの店の経営のことも絡んでいるのかなと想像するのだが、良くわからないままだ。

この時以来今に至るまで、カトリーヌとは音信が途絶えてしまった。

 

その後店をたたみ、チュニジアに渡ったとジェラールから聞いた。

どうしているのだろうかと、いつも気になっている。

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


やけのやんぱちのダンス

2011年11月19日 | ブルターニュ

その夜はフィリップとジャクリーヌの家での夕食となった。私とジェラールが招待されたわけだ

 

「主夫」のフィリップの腕をふるった御馳走が次から次へと出てきた。前菜に続きスパゲッティ、そのあとお肉のメイン(牛肉の赤ワイン煮)が出て、チーズ、デザート(もちろんこれもフィリップ手作り)と言った順だった。

 

 

 

 

 

 

息子さんも少し夕食に参加したけれど早めに切り上げ、友達に会うと言って出かけて行った。

 

どうやら彼女に会いに行くらしい。先にも述べたバカロレアの受験勉強中だがこういうリラックスも当然必要だろう。

 

ワインも開けられ、全員いい気持になってきた。

夕食が一応終わるとジャクリーヌとフィリップがダンスを始めた。

彼等は本当に楽しそうに仲良く踊る。

 

 

 

 

  

 

問題は離婚事件のジェラールである。

そして、またダンスが好きだったカトリーヌことを思い出したのか、涙ぐむ。

 

彼もなんとか気分を紛らわしたいが、なにせ踊る相手は残る私しかいない。

ところが私はダンスなんて知らない。

 

しかし傷心の彼を思うとほっておけない。もうこうなったらやるしかない。

めちゃめちゃでも何でもいいと覚悟に決めて、彼の相手をしたのであった。

 

その間もジャクリーヌ、フィリップ夫妻はさも楽しげに踊っていた。

それに引き換えジェラールはもうやけっぱち気分であった。

 

私も別の意味で「やけのやんぱち」的に彼のダンスにつきあった。

 

しかし、後で動画を見ると、結構二人とも楽しそうに踊っているように見えなくもないのだ。

 

 

こうして「楽しい?」夜は更けて行った。

この夜も一人ぼっち(愛犬「べっぷ」はいるが)のジェラールの家に泊めてもらった。

 

翌日はこのレンヌの街を発ち、ジェラールが持つサン・ケイと言うところにあるにある海岸に面した別荘に行くことになっている。

このサン・ケイは、実は離婚したカトリーヌの出身地なのである。

 

そこでの物語は次に引き継ごう

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 


ガイド付きツアーという有難迷惑

2011年11月13日 | ブルターニュ

レンヌの市場の見学後、木組み家の残る古い街並みを見て、それからランチとなった。

 

 

ランチの場所は、市内のビストロと言った感じの、価格も手頃な店だった。

評判が良いと見えてほぼ満杯の客であった。

 

   

 

 

 

 

そこへ離婚騒ぎの直後のかのムッシュ、ジェラールが合流した。市場を案内してくれたジャクリーヌとフィリップの息子さんもやってきた。

 

息子さんは高校3年生で、バカロレアと言う試験を控えていた。

フランスでは重要な試験でこれに合格しないと、大学入学資格が得られない。

この試験では哲学の試験が大きなウエイトを占めていて難しいとされるが、彼に聞くとどうやら得意科目らしく「簡単だよ」と言う

 

両親のどちらに似たのか解らないが利発そうな子だ。それにしても哲学重視とはいかにもフランスらしい。

 

食事が終わると、「旧ブルターニュ高等法院」の見学に連れて行ってくれた。つまり裁判所である。大きな広場を前に、堂々と建っていた。1994年に出火し燃え、修理したとのことで建物の下半分は古い石のままの壁で、上半分は新しく白い石の壁となっていた。

 

 

その正面近くで大道芸の若者が、鞠を操っていた。

 

 

 

やがて時間が来て中に通され、荘厳な部屋を見学し、法廷も見せてもらえた。金箔が装飾につかわれ、豪華な感じがした。

これはガイド付きの案内である。

時々こういうガイド付きの見学に連れて行ってくれることがあるが、ここに限らずたいがい有難迷惑である。

第一にフランス語でペラペラ説明してくれるがさっぱり解らない。(もっとも英語でも同じだが)

第二に自由に勝手に見られない。ガイドが熱心に説明している間中、じっと我慢して待っていなければ次に行けない。

 

     

 

 裁判所の見学が終わると、フィリップは家に帰った。今夜私とジェラールを迎えての夕食の支度をするからだと言う。

この家は、奥さんがまだ現役でジェラールと同じ日系企業に働いていて、フィリップはもうリタイアしている。

そこで御主人が「主夫」なのである。そしてこのムッシュ、なかなかどうして料理が得意らしい。

 

裁判所の見学で疲れたのでジャクリーヌと一緒にカフェで休憩し、街をゆっくり眺めた。

 

    

 

それからまたしばらくレンヌの街を散策し、やがて車でジェラールが迎えに来てくれ、ジャクリーヌとフィリップ夫妻の家に夕食のために向かった。

 

一戸建の家で3階建だった。

そこで夕食をいただき、食事の後のひと時を過ごすのだが、当然のことながらジェラールは感情が揺れ動き、対応に苦労するのだがその話は次にしよう。

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 


ランキング

人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ ランキングに参加しています。 よろしければ、クリックお願いします

レシピ