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フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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シャンソニエ再訪で繋がる縁

2011年10月31日 | パリ郊外

それから半年後の再会は、パリだった。

 

私が二年前に行ったパリのシャンソニエを再訪したいことを告げると、「では、一緒に」となった。

私はそのシャンソニエでトリを務める歌い手のソロを聞きたかったのだが、彼女の出演は終演前の午前二時ごろなのである。

今回はミッシェルさんのところに泊まっていたので、そこまで彼女に車で迎えに来てもらい、送ってもらえるので終演までいられたらと、期待をした。

 

彼女はフランス人女性にしては珍しく、運転免許をもっていない。前回同様、御主人が運転だ。

 

まずは腹ごしらえということで、モンマルトルのレストランを希望して、予約を入れてもらっていた。

モンマルトルは、かつて灌木林だったと言うことに由来する店で、私はここで好物の「ブランダード」という(鱈のすり身をクリームソースであえたもの)を注文するが、リーズナブルな値段なのにとてもおいしいし、従業員もみな感じが良かった。

彼女たちも初めてこの店に来たと言ったが、満足していたようだ。

  

                                  

 

                                  

 

御主人と会うのも二度目とあって、前回より良くしゃべり、また仕事がうまくいっていることもあり、自信がうかがえた。

もっとゆっくり食事や会話を楽しみたかったが、今夜のメインはシャンソニエなので、名残惜しくも切り上げることにした。

 

彼女たちは初めての訪問だったが、音楽好きの彼女は、このシャンソニエが気に入ったようだ。

司会をしているシャンソニエのオーナーも私のことを覚えていて、私にマイクを振ってくれた。

琵琶湖のミシガンの舞台へ上がった時、彼女から「あなたは恥ずかしがり屋ではありません」との言葉も頂戴しているので、ここでも「ウイウイウイ」とか「ノンノンノン」と言うだけだったが、参加させてもらったのである。

  

                                   

 

                                 

 

最初たくさんの団体観光客がいたが、だんだん減り、時計は1時を回った。

もう後少しだったが、残念ながら御主人は明日仕事が早いこともあり、お疲れだったのであろう、何度も居眠りをしていたので、今回も諦めて帰ることにになった。

帰りに楽屋にいた歌い手に「あなたのソロを聞きたかったが、もう帰らないといけない。」と言うと、「それは残念だわ。私の出番はもっと遅いのよ。でもまた来てね」と言ってくれたので、それを土産に帰ることにした。

  

                                 

 

                                

 

この歌手は小柄だけれど声は大きく、その点昔ここで歌っていたエディットピアフに似ていなくもない。

 

それ以来訪ねていないのだが、この時の縁でピアニストと親交を続け、今年も来日の際、我が家に滞在してくれた。トリの歌手のソロは聞けなかったが、ピアニストとの強い繋がりをもたせてくれた貴重な再訪だったのである。

 

さて、その三ヶ月後、彼女はまた一人でやってくるのであった。

 


宅配便のお陰で手ぶらで来るマダム

2011年10月28日 | パリ郊外

近江路を訪ねた後、京都駅で夕食を取ることにした。

お昼は簡単なものだったので、夜は京料理をいただくことにした。

      

      

その一皿一皿に「繊細な味だ」と、喜んだ。

こんな時、フランス人は普通においしい時の「トレ・ボン」ではなく、「デリシュー」に加えて「ラフィネ」と言うのだと、分かった。

フランス人の舌が肥えているのは、折り紙つきだが、日本食においても、お出しの良さがわかる人が多いことによく驚かされる。

だから、彼女のように日本食通のフランス人を招待するとき、お店を選ぶのは気を遣うのだ。

 

ミシガンの荷物の件でも判るように、彼女は、フランスでは、身を守ることに四六時中注意しないといけないこともあって、いつもストレスがいっぱいだが、治安のよい日本に来ると気が休まると言う。こう言うフランス人は彼女だけでなくとても多い。

事実、列車に置き忘れたカメラや現金入りの財布がそのまま戻ってきたことが、日本びいきに拍車がかかることもある。

反対に日本でのんびりに慣れ過ぎて、フランスに帰国した途端、スリに遭ったという人実際いる。

さて、日本通は食事だけに留まらない。彼女は日本の便利なシステムも利用する。例えば、荷物は国際宅配便で送るので、スーツケースは無しでやってくるし、日本の携帯電話も到着の宿に届くよう手配していて、メールも日本語で、絵文字なども使いながら送信してくるのだから大したものだ。

観光でやってくる中では、彼女ほどの人は私の友人の中にはいない。

宅配便のシステムが便利だと判るのは、初めての観光では無理なことが多く、東京に二年滞在していたフランス人でさえ、知らなかったと言う人もいた。

私たちが当たり前として日常使っている「宅急便」が、意外と「日本のオリジナル文化」なんだとフランス人を通して気づいたりする。

「早く、確実に、信頼して荷物が送れる国」という日本の一つのよさが見えてきた。

 

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恥じらい?それともぶりっこ?

2011年10月25日 | パリ郊外

彼女の二度目の紅葉狩りも、やはり混雑を避けて、京都の円通寺を訪ねることとし、もう一日は彼女の希望で、琵琶湖でミシガンに乗り、三井寺へ行くことにした。

 

円通寺は比叡山の借景で有名な所で、雪景色が素晴らしい。しかし紅葉の時期も、観光客はそれほど多くはなく、ゆっくりと眺められた。

お寺によると、フランスの環境相がすでに訪れたとのことである。

私が今年初めて訪れたお寺もシラク前大統領は訪問済みであった。

彼らは別としても、結構、通なフランス人は京都を私よりずっと知っているので、恐れ入る。

 

この借景の説明をするのも難しかったが、何とか通じていると思いたい。 

                                           

琵琶湖でミシガンに乗るのは私も初めてだったが、舞台で音楽などの演奏も楽しめた。

「一緒に舞台にあがってみませんか?」と何やら面白そうな楽器?を出していたので、ちょっとやってみようと、舞台に行った。

彼女は大喜びで、私に「あなたは恥ずかしがり屋ではありませんね」とほめ言葉?を頂戴した。

そして「外国からの観光客はいますか?」とのことで、今度は彼女が出ていく番になった。

その時である。荷物を置いていることに、一瞬不安な様子で振り返りつつも、「ここは日本だから大丈夫ね」と手ぶらで上がっていったのだ。

 

条件反射のように荷物を気にしたが、残念ながらそれはフランスでは不可欠なのである。

 

                                          

 

                                          

 

最初は恥ずかしそうにしていた彼女が、少し誇らしげに答えた。

「どこの国からですか?」と問われた時だ。「フランス、パリからです」と。

 

この時のように最初恥じらい?を見せるが、それは「ぶりっこ」と言う形であって、この後いろんな場面で、しばしばこのようなポーズを見せることがあることが解って来るのだった。

 

三井寺の近くのおそばやさんで昼の定食風の物を食べた時、彼女が珍しく残したものがあった。それは山芋のとろろだった。一口食べたが、どうもだめだったらしい。

 

                                           

 

三井寺では、巡礼のグループに出会い、それをみた彼女は言った。「いつか四国八十八か所の巡礼をしたい。一緒にどう?」と。

 

それもいいなと、思いながら、晩秋の近江路を後にし、夕食のため京都駅へと向かったのであった。

 

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日本の美、それは”隠れた美しさ”にあり!!

2011年10月22日 | パリ郊外

パリで会った半年後の秋、彼女は紅葉を見にやってきた。 

この時期は、京都は混みあうので、一日は奈良との境の浄瑠璃寺を選び、田舎の風景を楽しんでもらうことにした。

案の定、彼女は「こんな景色を見たかった」と気に入ってくれた。  

私もフランス、パリの景色は素晴らしいと思う。しかし田舎を訪れると、「ここもフランスなんだ」と美しい村にも感動する。おそらく彼女も同じような気持ちなのであろう。 

もう一日は京都、紅葉の有名な所のうちで、渋滞を避けるため、バスを使わずに行ける所の中から、真如堂と黒谷の金戒光明寺に決めた。

地下鉄東山から徒歩だ。

特に真如堂の紅葉は見事で、彼女もご満悦だった。 

少しずつ彼女のことが解りかけてきたが、彼女は大学では日本文学を、そして50代になってから始めた日本語の勉強は毎日していて、週に一度はパリの日本語のクラスで学んでいるとのことである。

 その成果は来日する度、会話で証明されている。しかしこのことは専門家からも認められた。彼女の次の来日は日本語のスピーチによるコンテストのご褒美だったのだから!! 

 
実は、手前味噌になるが、このスピーチに当たって、私も少しお手伝い?をしたため、自分のことのように嬉しかった。
タイトルは「隠れた美しさ」だった。
これこそが日本文化の集約と言っても大げさではなく、数年でよくそれが彼女に解ったものだと感心した。
 
その作文によると、最初は日本人の友人が「素敵だわ」というお茶碗などについても「こんな地味なお茶碗が?そんなにこれが素敵なの?」と、心の中では思ったそうだ。しかし日本人の友人に見方など教えてもらい、もちろん彼女も勉強し、わびさびが解り始めたという。
建物や自然の美しさに感動したのは初めのうちで、「美しい景色は日本の深い美しさを表現するには物足りない」と、彼女に言わしめることになったのだ。

             

 
自作の俳句から始まる作文はもちろん99%は彼女のオリジナルで、私は意味は通じるものの日本語としての自然な言い方はこちらのほうが、というようなアドバイスにとどめた。
 
私がフランス語の作文をするとき、いくら文法などに誤りがたくさんあったとしても、添削されてまったく他人の文章になってしまうのは正直がっかりしてしまう。
だから出来るだけ、彼女の文章、もっと言うと彼女らしさを残したいと言う気持ちで、添削させていただいたのだった。 
 
             

 今でもそれは間違っていなかったと思うが、彼女にこうしたらとアドバイスするのは、簡単ではなかった。
質問を投げかけながら、納得しないと絶対に変えないのは分かっていたが、こちらは日本語のスペシャリストではないし、どう伝えたらよいか、本当に悩まされた。
しかしこの経験は私のフランス語を見直すのにも、フランス人を理解するのにも大変役に立ってくれている。
私の友人の中でも、日本文化の深さを鑑賞できる友人の一人であることは間違いない。
 
 

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エプロン姿でオペラを歌う!?

2011年10月19日 | パリ郊外

日本で初めて会った数週間後、彼女とはパリで再会した。

 

この時は、ご主人も一緒だった。

前に書いたようにその彼は、北アフリカ出身で、彼女より10歳以上若い。

年下のご主人といると若がえるのか、彼女はこの後も会うたびに若く見えた。

 

年齢を重ねて痩せていくより、個人的には「ふっくらめ」がいいと思うが、彼女は初来日で着物を着て、その時のことを「まるでクジラでした」といい、気にしているようであった。

それからはダイエット?し(日本食に習い、魚中心でお肉はほとんど食べないそうだ)、少しずつスマートになり、そのことも若く見えるようになった一因なのである。

 

横道にそれたが、この時は、ゴブラン織りで知られるゴブランの近くの小さな宿に泊まっていたので、車で宿まで迎えに来てくれ、一緒に夕食をとることになった。

この宿はメトロの三駅が使え、観光地を車窓から楽しめる27番のバスが使えるとても便利な宿で、キッチンつきの部屋もある。

 

予め予約を入れてくれていたレストランはマレ地区の近くで、エプロン姿でオペラを歌う給仕さんがいるレストランだった。

  

              

オペラに詳しくはないが、ピアノが始まると急にそのあたりにいる給仕人が一斉に歌い出す。どの給仕人も本格的な素晴らしい声の持ち主で、肝腎の味もよく、日本人に食べやすく軽めで、見た目も繊細な料理であった。

      

                      

         

                          

 

私も彼女も魚をリクエストしたが、ご主人は魚がだめだとのことで、「野菜も好きでないし、健康に良くないのよ」と彼女に言われながら、お肉をおいしそうに食べていた。

       

              

       

              

 

彼女がすべてリードしているような夫妻で、ご主人は無口だったが、支払いの段になると、彼がさっと済ませた。

 

なかなかそれだけでは別れがたく「お茶でもどう?」と言ってもらったが、デザートまでしっかりいただいて満腹だったし、「もしできればお茶より、パリの夜景をみたいのだけど」とお願いをした。

 

それまで私は、夜はなかなか出歩く機会がなく、初めて見るパリの夜景だったこともあり、その美しさにワインより酔いしれたほどだ。

セーヌ沿いの建物はライトアップされていて「ああパリは本当に美しい街だ」と改めて感じ、エッフェル塔のライトアップにも感動した。

          

              

 

そのエッフェル塔のライトアップを見ている時、黒人の物売りがピカピカ光るエッフェル塔のおもちゃを売りに来た。

彼が「いらない」と落ち着いてさりげなく断わると、すぐに引き下がっていったのでほっとした。この態度に彼の人となりを感じたのであった。

        

                    

 

今では何人か肌の色の違う友達もいるが、そういう友達と会う最初の機会だった。そして宿まで送り届けてもらったのだった。

 

 

 

そして帰国後、彼女から「Tutoiement」(親しい二人称)で話しましょうと、嬉しい言葉をいただくのだが、これは私たちの距離が近くなったことを意味する。

 

 

そして彼女は、またこの半年後、紅葉狩りにやってくるのだった。

 

 

 

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