その再会から三カ月も経たないうちに、彼女はまたやってきた。
七月と言うことで、出来れば長歩きは避けたかったが、やはり「隠れた美しさ」という作文で入賞した彼女にここは一番ぴったりだと桂離宮を提案した。
桂離宮は庭園内のどこに位置していても、庭のすべてを一望することはできない。枯山水のように一つのところに座ってじっくり鑑賞する庭園ではない。移動するごとに景色は変わり、次々現れる新しい景色に魅了される。つまり今見ている景色の見えないところに、次の新しい景色が隠れているのである。次にどのような景気が現れるか想像しながら回遊していけば、楽しみは倍増する。
さて、この桂離宮で、一番印象に残っているのは、「隠れた美しさ」を書いた同じ人とは思えない出来事があったことである。
桂離宮はガイドさんが10名程度のグループを案内してくれるのだが、その時もグループに数人の外国人、フランス人もいた。
一緒に歩いていて、小さな橋、長さにして3mもないような橋を渡るときであった。
私が渡り切って振り返ると、彼女はまだ橋の向こうでもじもじしている。どうしたのかな?と思ったら、「渡れなーい」と言っているのだ。
「こんな橋で?」私は一瞬どうしていいかわからなかった。
すると私の前に渡っていた若いフランス人のカップルの男の子が、戻り、彼女に「お手をどうぞ、マダム」と言ったのである。
それで彼女は「ありがとう」と手を取られて、渡ってきた。
これは、衝撃的であった。
日本ならあり得ない。
この時私は思った。もしかしてフランスでは、時として、一人で渡れたとしても、女性は手を取ってもらい渡ることが当たり前なので、そういうポーズをするのだろうか?それを見て、フランスの男性は女性を愛おしく感じるのだろうか。
そう言えば、男女が近づくきっかけとして、わざとハンカチを落とし、「お嬢さんハンカチが落ちましたよ」(反対だったかな?)というシーンが映画であったとか聞いたことがある。
彼女も彼女だが、それにすぐに対応した若いフランス人の男性の言動もさりげなく自然だった。
お父さんがお母さんの手を取って、階段や坂道を登ったりするのを子供のころから目にしていたら、こういうことはごく当たり前に出来るのであろう。
日本では、ともすると、さっさと女性が渡って、「あら、あなた、さっさとついてきなさいよ」となったりしてませんか? さて、日本の奥様方、やってみます? これは愛の国の極意?ですぞ そしてまだこの後も、続きが。
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