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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

フォスディックの手紙

2011年12月26日 | 軍事・諜報
紙面の見出しは「原爆投下直後悔悟の手紙」。内容もWebと違うし、ちょっとまだるっこしい。

中日:「原爆は無差別殺りく」 米ロックフェラー財団元会長の手紙発見 2011年12月25日
ロックフェラー財団の会長で、国際連盟創設期に事務次長を務めたレイモンド・フォスディック(中略)手紙は財団の自然科学部長だったウォーレン・ウィーバー宛て。ウィーバーの文書を調べていた拓殖大の日野川静枝教授が今夏、米ニューヨークの同財団資料館で見つけた。フォスディックは、45年8月14日付のウィーバーの手紙に同月29日付で返信。ウィーバーが「2つの爆弾が落とされ戦争に勝ったことで、多数の米国人の命を救い、たぶん日本人の命も救った」と記したことに反論している。

フォスディックは、ドイツが原爆を開発している情報を受けて米国も原爆を開発した事情を認めた上で、(1)米国が開発に成功した時、ドイツは降伏していた(2)米国は日本が原爆を持っていないと知っていた-と指摘。原爆投下の必要はなく「無差別の殺りくに『認証済み』のシールを貼った」「戦争に勝利するための未来のあらゆる兵器にお墨付きを与えた」と批判した。さらに、将来の核戦争を予測。「私たちの手は、きれいではない」「私は良心の呵責(かしゃく)に苦しんでいる」と煩悶(はんもん)していた。(中略)
■油井大三郎・東京女子大教授(アメリカ現代史)の話…私信ではあるが(中略)法律家なので国際法の知識があり、民間人の無差別虐殺が戦時国際法違反と知っていたのだろう。
フォスデックの論旨はWeb記事にもある通り、
1)ドイツの原爆開発に対抗して(競争して)原爆を開発した事情は分かる(財団はかつてオッペンハイマーらに資金援助していたーそれが原爆開発につながるとは知らなかったという)。
2)日本は原爆兵器を持っていないし、開発能力もなかった。
3)原爆が完成した時、ドイツは降伏しており、日本は殆ど降伏の目前だった時に使用してしまった。
4)米国の手は汚れてしまった。

手紙の要約より
手紙を読み、困惑している。君はこう書いた。「原爆について道徳的に語るのは、愚かで無益だ...」(中略)核戦争になれば、私たちは核の使用に抗議するかもしれない。だが、私たちはもう道徳的なリーダーにはなれない。法の基本原理がある。「公平を求める者は、手がきれいでなくてはならない」。私たちの手は、きれいではない。(中略)私たちは何ら事前の警告もなしに、市民に逃げる機会を与えることもなしに、二つの爆弾を落とした。日本の降伏がほとんど視野に入っていたのに、その機会を犠牲にしたのだ。
また3面の解説記事より
米国内で投下を疑問視する声が出始めるのは翌年三月に「連邦キリスト教会評議会」が集会で「道徳的に弁護の余地がない」と指摘
連邦キリスト教会評議会や(反論とはいえウィーバーも)道徳を念頭に置くのは米国人ぽいが、フォスデックの論旨は道徳を踏まえつつも、むしろ国際法上のことだ。言い換えれば、何が正義かの問題。

言ってみれば、国際法を、戦勝国は捻じ曲げたのだ。それはパール判事の意見と同じことである。政治と軍事と勝利者の専横が、国際法が保証すべき正義に優先した。

フォスデックの見解は政治的でもないし、軍事的でもない。そこを突かれると弱いかもしれない。しかし国際法の重視は、そもそも第1次大戦が終わった後では特に、世界中が重視すべき命題になっていた。当時の知識人の誰かが、このように考えるのは、むしろ自然なことだろう。説得力もなく、少数派の見解ではあったろうが。

ところで、東京大空襲など、日本の大都市への無差別大空襲(精密攻撃をあきらめて、絨毯爆撃にしてしまい、むしろ市民をいかに大勢殺害するかに重点が置かれた爆撃)について、どのような感想を抱いたかも知りたいところである。まあ、絶句したかもしれないが。

フォスデックは1910年にニューヨーク市出納局長。第1次大戦後のパリ講和会議で米陸軍省の特別代表。(戦間期の)国際連盟(!)創設時の事務次長。1936年に創設されたロックフェラー財団の会長(1948年まで在職)。

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