昨日のNHK特番で「子どもの貧困」をテーマに取り上げていた。
昨今の経済不況とそれに続く雇用不安で、安定した所得を得られない親が子どもに満足な教育、医療、食事を与えられないといった痛ましい実態が描写される。
授業料の滞納で自ら働いてお金を工面せざるを得ない高校生、病気をしても医者にかかるお金がないために登校して保健室に駆け込む小学生、十分な食事が与えられていない小学生に給食の牛乳と栄養補助食品を与えてその場をしのがざるを得ない教員たち、習字セットを買うことができなくて肩身が狭い思いをしても「お母さんに言うと、しんどくなるから・・・」と思いを押し殺す男の子・・・。
学びたくても学べない、病気になっても医者にかかることができない。これは開発途上国のことでではなく、今わが国で現に起こっていることである。教育や食事といったことは私の世代にとってはハッキリ言って「所与のもの」であった。
一方で学習塾で夜遅くまで学び、帰宅していく子どもたちも私は日々目にする。昨日の午後足を運んだ国際協力NGOのイベントでも、開発と貧困の問題に関心を持つ多くの若者も目にした。我が子の将来のためにと、子どもをインターナショナルスクールや中華系学校に通わせる親がいる一方、上記のような基礎的な生活を営ませることができない親も存在する。子どもの生活環境にも「格差社会」が容赦なく押し寄せている実態を番組はあまりにリアルに伝えていた。(こうした子ども達、若者、親御さんたちを批判する意はありません。)
教育は大学まで原則無料であるフィンランドでも、90年代に発生した金融危機の際には教育費の削減が取りざたされたそうである。しかし、当時29歳であった担当大臣は「今こそ教育に予算を割いて未来に備えるべき」と訴え、財務官僚達の説得に成功する。その後フィンランドは世界にも知られる教育・福祉の国となり、手厚い教育を受けた人材はノキア等の世界企業で雇用を得ている。高福祉が経済成長をもなしうることをフィンランドの例は示していると言えよう。
対して我が国はOECD加盟国中最低レベルの教育予算を誇る一方で、自分たちのことは棚に上げ過ぎる「財源論批判」を繰り返す輩が跋扈している。117億円の漫画喫茶を作ろうとした人たちが、上記の子どもの貧困に目も向けずに繰り返す「財源論批判(批判もどき??)」は犯罪的にすら思えてきた。フィンランドの例を見るに、結局は「やるか?やらないか?」の判断の問題なのだと思う。
最後に番組に出演していた2人の発言を紹介。
貧困問題に取り組むNGOスタッフ
「グローバル競争や財源の議論の影で、貧困の問題はいつも後回しにされてきた」
某有名コンビニチェーンの経営者
「将来の消費や社会役安定を考えれば、企業としても必要な負担をすべき。しかし、これまでの政府・行政には支払った負担を適正に使ってくれるという信頼がない。先ずは政治が信頼を取り戻すべき。」
結局は政治不信が「子どもの貧困」をも招いたということか。天下り撲滅や無駄遣いの一掃は、政治に信頼を取り戻すための営みなのです。
番組を見終わり、私に医療も教育も食事も色々な経験も不自由なく与えてくれた両親に感謝したことは言うまでもない。
昨今の経済不況とそれに続く雇用不安で、安定した所得を得られない親が子どもに満足な教育、医療、食事を与えられないといった痛ましい実態が描写される。
授業料の滞納で自ら働いてお金を工面せざるを得ない高校生、病気をしても医者にかかるお金がないために登校して保健室に駆け込む小学生、十分な食事が与えられていない小学生に給食の牛乳と栄養補助食品を与えてその場をしのがざるを得ない教員たち、習字セットを買うことができなくて肩身が狭い思いをしても「お母さんに言うと、しんどくなるから・・・」と思いを押し殺す男の子・・・。
学びたくても学べない、病気になっても医者にかかることができない。これは開発途上国のことでではなく、今わが国で現に起こっていることである。教育や食事といったことは私の世代にとってはハッキリ言って「所与のもの」であった。
一方で学習塾で夜遅くまで学び、帰宅していく子どもたちも私は日々目にする。昨日の午後足を運んだ国際協力NGOのイベントでも、開発と貧困の問題に関心を持つ多くの若者も目にした。我が子の将来のためにと、子どもをインターナショナルスクールや中華系学校に通わせる親がいる一方、上記のような基礎的な生活を営ませることができない親も存在する。子どもの生活環境にも「格差社会」が容赦なく押し寄せている実態を番組はあまりにリアルに伝えていた。(こうした子ども達、若者、親御さんたちを批判する意はありません。)
教育は大学まで原則無料であるフィンランドでも、90年代に発生した金融危機の際には教育費の削減が取りざたされたそうである。しかし、当時29歳であった担当大臣は「今こそ教育に予算を割いて未来に備えるべき」と訴え、財務官僚達の説得に成功する。その後フィンランドは世界にも知られる教育・福祉の国となり、手厚い教育を受けた人材はノキア等の世界企業で雇用を得ている。高福祉が経済成長をもなしうることをフィンランドの例は示していると言えよう。
対して我が国はOECD加盟国中最低レベルの教育予算を誇る一方で、自分たちのことは棚に上げ過ぎる「財源論批判」を繰り返す輩が跋扈している。117億円の漫画喫茶を作ろうとした人たちが、上記の子どもの貧困に目も向けずに繰り返す「財源論批判(批判もどき??)」は犯罪的にすら思えてきた。フィンランドの例を見るに、結局は「やるか?やらないか?」の判断の問題なのだと思う。
最後に番組に出演していた2人の発言を紹介。
貧困問題に取り組むNGOスタッフ
「グローバル競争や財源の議論の影で、貧困の問題はいつも後回しにされてきた」
某有名コンビニチェーンの経営者
「将来の消費や社会役安定を考えれば、企業としても必要な負担をすべき。しかし、これまでの政府・行政には支払った負担を適正に使ってくれるという信頼がない。先ずは政治が信頼を取り戻すべき。」
結局は政治不信が「子どもの貧困」をも招いたということか。天下り撲滅や無駄遣いの一掃は、政治に信頼を取り戻すための営みなのです。
番組を見終わり、私に医療も教育も食事も色々な経験も不自由なく与えてくれた両親に感謝したことは言うまでもない。